アンデスを望むサンチアゴ

サンチアゴの市街とアンデスの山々。
チリの首都サンチアゴ・サンタルシアの丘から望むアンデスの山々。

チリへ45時間バスの旅

5月5日午後6時、ナスカを発ち、一路チリの首都サンチアゴを目指す。45時間のバスの旅で、覚悟して乗ったが、さほどつらくなかった。

6日夜明けに国境の街タクナに着くと、出入国管理事務所が空くのを待つためか長い朝食休みを取り、国境の手続きもペルー側・チリ側含めて優に3時間はかかった。かなり厳重だった。荷物検査の他、麻薬や火薬をかぎ分ける警察犬がバスの中、荷物コンパートメントを念入りに調べた。私の「米帝国主義」のパスポートもいろいろ難癖をつけられかと思ったが、すんなり通った。帰りの切符を持っているかなども聞かれなかった。

45時間動かずで体がおかしくなるのを心配したが、まずこの国境通過でいろいろ動かされ、運動不足を解消。そしてペルーのバス、一般に南米のバスはやはり優れている。座席が広く160度程度にまで倒せる。日本のバス夜明かしの不快感は2晩とも感じなかった。ずっと海岸線近くのパンアメリカン・ハイウェイを南下し、揺れもあまりない。特にチリに入ってからの道路は先進国並みの高速道路。乗客も多くなく、2日目からは私のところの2人掛け座席は私だけになった。

クルズ・デル・スル社の国際バス。
このバスでナスカからサンチアゴまで45時間の旅。クルズ・デル・スル(南十字星)社の国際バス。
ペルーとチリの国境検問所。
ペルーとチリの国境。この検問所を通り、チリ国境の町アリカに入る。

季節を旅する南米旅行

南米は、一か所での季節の変化が少ない代わりに「季節を旅する」ことができると言う。高山から低地帯、熱帯雨林から砂漠地帯、そして西岸海洋性気候と徐々に姿を変え、移動する旅行者に多様な風土を体験させてくれる。

ナスカからチリ北部までは、まるで火星のような風景が続いた。木一本、草一本生えてない砂の沙漠だ。こんな場所を45時間一挙に南下するのは本当に火星旅行のようなものだ、と思いながら赤い砂の風景を眺める。

が、国境を越えた2日目が過ぎ、3日目の朝が来ると、徐々に風景が変わり出した。わずかに灌木が生えだし、ブッシュランドというのだろうか、ロサンゼルス辺りの風景になってきた。やがてチリ中部、サンチアゴが近づくにつれ、木が生えだし(またユーカリが見える)、農地も現れる。葡萄酒の産地で、ブドウ畑のようだ。

3日目の朝、夜が明けると曇り空だった。まだアタカマ砂漠の南辺のはずだが、明らかに湿度が増している。さらに南下すると植生が濃くなり雲も厚くなる。海からの霧も強まる。やがてサンチアゴに近づく頃は、小雨もぱらつきはじめた。昨日までの雲一つない砂漠の空はどこへやら、まるで北海沿岸のヨーロッパだ。5月7日夕刻、チリの首都サンチアゴに着いた。

清浄の街サンチアゴ

サンチアゴは美しい街だった。盆地のため大気汚染が問題になっているが、私の居た2日間は雨の後の快晴で、さほど空気の混濁はなかった。市中心部のサンタ・ルシアの丘に登ると、雪をかぶったアンデスの峰々が望めた。旧市街のアルマス広場界隈から、歩行者天国のアウマダ通りやウェファノス通りを歩くと、街路樹の間にしゃれたお店が並び、どこか南欧の雰囲気がある。新大陸だから、比較的新しく規模も大きめだが、雰囲気は南欧の明るさ。サンチアゴは(おそらくブエノスアイレスも)「新大陸の南欧」なのだろう。

サンチアゴ中心部のアウマダ通り。
南欧の雰囲気がただようサンチアゴの街。旧市街中心部のアウマダ通りは歩行者天国になっている。
サンチアゴのアルマス広場とカテドラル。
旧市街の中心、アルマス広場とカテドラル。
チリの大統領府となっているモネダ宮殿。
大統領府となっているモネダ宮殿。すぐ前(左手)は憲法広場。1973年、アジェンデ社会主義政権に対する軍部ピノチェトによるクーデータが起こり、アジェンデはここに立てこもって自害した。

屋台の串刺し焼肉

夜のサンチアゴ街頭で、ついに屋台の串刺し焼肉を食べた。メキシコ旅行で食あたりした肉料理に近い。結構ボリュームがあり、塩味が効いてうまかった(1000ペソ=170円)。たまらずもう1本頼んだ。雨が降って来た。バス・ターミナルのひさしの下に立ち、サンチアゴ市民が足蹴く行きかうのを眺めながら舌鼓を打つ。

チリの物価はペルーの約2倍。財布のひもを引き締めなければならない。またサンチアゴにはペルーにはない地下鉄が走っていた。犬が無気力で昼でも路上にだらりと寝ている。吠えない。もはや番犬の役割は期待されていないようだ。「お前の時代は終わった」と宣言されている犬たち。

その他、ペルーは「飲むヨーグルト」が主だが、チリは普通のドロッとしたヨーグルト…などと細かい違いを挙げていけばキリがない。それより同じ南米の国として共通点が多い。スペイン語を話す。スペイン系と先住民系をはじめ多様な民族。そして、何より長距離バスのシステムがペルー同様非常に優れていた。

サン・クリストバルの丘からの夜景。
サン・クリストバルの丘からの夜景。

南米の長距離バス

リマからクスコ、クスコから天孫降臨伝説のあるプーノ(ティティカカ湖)、アンデスを越えてナスカ、ナスカからサンチアゴとバスの旅を経験し、その都度、便利な南米の長距離バスに感心した。大きな座席、ほぼ真横に倒せるリクライニング・シート、車内で食事が出る、トイレ付き、振動が少なく走行中に本が読める、客室前方に速度表示があり、乗客監視の下、時速100キロ以上は出せないようにしている。などなど。

そして、バスターミナルが街の中にあって、バスを降りてすぐホテルが見つかる点に私は最も感動した。サンチアゴでもバスターミナルは旧市街の中心に近く、多少わさわさしてはいるものの、周りに安宿がたくさんあった。荷物をバスから出すと、すぐ近くの「ホテル・エメラルダ」に入れた。(名前からは超豪華な宿に聞こえるが。)

サンチアゴ・バスターミナル周辺の安宿街
サンチアゴのバス・ターミナル周辺は安宿街になっている。ホテル・エメラルダという立派な名前のホテルに入った。

東南アジアではバスターミナルが街の中心から離れていることに閉口した。まわりに宿もない。遠くの街から来たバス代より、中心部まで行くタクシー料金の方が高いこともある。広いバス車庫をつくれる郊外の土地まで来れば乗せてやるぞ、という態度がありありでいやになる。鉄道からの競争が強い日本や中国ではこうにはならない。バスターミナルも町中の主要駅近くにできる。

南米も鉄道からの競争はあまりないのだが、バス会社間の競争が激しいからか、サービスが行き届く。バスターミナルは市中心部に立地し、多くの人が集まり賑わいの中心になっていた。宿も市内交通への接続も完備している(唯一の例外が、コロンビアの首都ボゴタだったが)。

バスの中に、飲食物などの物売りが入ってくるのもラテンアメリカの特徴だ。商品を高く掲げ大きな声で車内を歩き回る。運転手も認めているようだ。「我々の顧客に必要なものを提供してくれるサービス」とでもいう位置づけか。バスが走り出しても車内販売を続け、次に止まるところで降りる。また帰りのバスに乗り込んで売るのだろう。

近代的なサンチアゴの地下鉄にも物売りが入り車内を練り歩く。そこで初めて気が付いた。ニューヨークの地下鉄に物売りが多いのは中南米の影響なのだ。ニューヨークには、プエルトリコ、ドミニカ、メキシコなどヒスパニック系移民の人たちが多い。人口のほぼ3割、250万人がヒスパニック系という。