地上絵のナスカ

ナスカの地上絵「木」。
ナスカの地上絵「木」。

「線」を見に行く

ナスカの地上絵は、英語ではラインズ(線)というらしい。ラインに行くのか、行きたいだろうと客引きがたくさんやってくるが、最初は何のことかわからなかった。「線」ではあまりに情緒がないだろう。

ナスカは、クスコから来ると、少し首都リマに戻る感じになる。来るときに飛ばしてきたが、最大の目玉マチュピチュを見たので残りの時間でゆっくり地上絵も見たくなった。インカ以前の紀元前200年頃から砂漠の中に描かれた巨大で幾何学的な「絵」。宗教的意味があった、宇宙人が描いた、など諸説があり、想像をかき立てる。

何しろ焦げ付くような砂漠の中に広大に広がる「絵」だ。ツアー勧誘を拒否すれば、相当きつい砂漠行軍になることを覚悟していた。

が、実際は「瞬殺」だった。ナスカから隣町イカまでパンアメリカン・ハイウェイを90円の路線バスが走り、それに乗れば30分で地上絵展望台(ミラドール)に行けた。そこから「木」、「手」、「トカゲ」などの有名な地上絵が間近に見える。広大な砂漠や丸裸の山々も見渡せた。貴重な遺跡と気づかず、ここにパンアメリカン・ハイウェイを通してしまったらしい。セスナ機に乗って空から地上絵を見るツアーもあるが、空からより、この展望台からの方がよく見えるらしい。セスナ機は1万円近くかかる上、飛行機酔いで地上絵どころではなくなるという。

ナスカ絵の近くを走るパンアメリカン・ハイウェイ。
ナスカ絵のすぐ近くをパンアメリカン・ハイウェイが走っている。
ナスカ:パンアメリカン・ハイウェイ沿いのミラドール(展望台)。
このミラドール(展望台)に登ればナスカ絵がよく見える。
ナチュラル・ミラドール(自然の丘)。
ナチュラル・ミラドール(自然の丘)。この丘に登っても地上絵が見渡せる。
ナスカの地上絵「手」。
地上絵「手」。
ナスカの地上絵「トカゲ」。
地上絵「トカゲ」。
ナスカの砂漠を通るパンアメリカン・ハイウェイ。
付近は茫漠たる砂漠。

路線バスは頻繁にあり、展望台での見学を終えると、別のバスがすぐ来て、近くのナスカ絵博物館に行けた。その解説や遺跡諸品もすばらしかったが、地上絵を執念で研究したドイツ人女性、マリア・ライヘさんの写真が印象的だった。粗末な身なりで砂漠を放浪するかのような姿に神々しさを感じる。

見学を終え、博物館の前に立つと帰りのバスもすぐ来た。やはり90円でナスカ帰着。2時間かからず、目玉観光が終了した。

ナスカ:マリア・ライヘ博物館。
マリア・ライヘ博物館の展示。
ナスカ:マリア・ライヘ写真。
執念でナスカ地上絵の保全と研究に尽力したマリア・ライヘさん(マリア・ライヘ博物館展示)。

古代人の美意識

生涯をかけて研究したライヘさんには申し訳ないが、ナスカの地上絵に、マチュピチュほどの衝撃は受けなかった。不謹慎にも、子どもが遊びで描い絵、という印象をもった。砂をちょっとどかして下の白い地面を浮き立たせただけ。それが雨の降らない砂漠地帯でよく残った。後世の研究者が、太陽の位置を示す暦法の意味がある、太陽神と交信する宗教的な意味だ、など難しいことを言い始めて大事(おおごと)になったが、古代ナスカ人たちの無邪気なお遊びだったのではないか。

その後、バスの中からこの辺の延々と続く砂漠をながめているうち、こんな単調な砂の表面ばかり見ていたら、何か地表に書きたくなるよな、と思えてきた。風で砂模様ができているところもある。それに習って古代人たちも茫漠とした大地に面白い模様を描いた…。「ナスカ絵・古代人の美的感覚説」。それもまあ夢があっておもしろいのではないか。ナスカに限らず、この辺には他にもいろんなところに地上絵が描かれている。

ペルーからチリ北部の太平洋岸は、このような砂の沙漠が続く。単調な地表だからこそ、古代人たちは熱心にそこに絵を描いたのか。

ナスカ付近の岩石砂漠。
火星の表面。いや、ナスカ付近の岩石砂漠。
ナスカ付近の単調な砂漠の山。
単調な砂漠の山。
コカ・コーラの地上絵。
夢か幻か、このような地上絵もあった。

南米の食に慣れる

ナスカの熱暑の中、食堂で昼飯を食いながら、南米、ラテンアメリカは意外と私に合うかも知れない、と思った。スペイン系から先住民系、黒人、中国系などいろんな人が居てあまり気にしない。ゆったりした生活のペース。今のところ、来たばかりでいろいろまごついているが、慣れれば結構住みやすいのではないか。ナスカの中央広場(アルマス広場)のベンチに座り休んでいて、宗教関係らしい勧誘者に熱心に話しかけられた。「ノー・エスパニョール」(「スペイン語はできない」のつもり)と言うと、「あー、そうなんだ」と初めて気が付いて苦笑する。もちろん東アジアの時と比べて、ここで私は異邦人とばれ易いが、それでもインカの系譜も汲むここの人々は私たちと、そんなに異なるわけでもない。私のような顔つきの者が居てもおかしくない。

少しずつ、土地の食事を試しつつある。確かにアジアとは食文化が違う。カップヌードルがないのに驚いた。あれは世界的に普及した普遍食ではなかったのか。スーパーでやっと見つけた、と思って買ったらインスタント・スープだった。どこに行っても最低限、即席めんさえあれさえあれば生きていけるのだが。

中華レストランもChifaといって結構至る所にある。しかし、そこで定番の焼きそば(チャオメン)を頼んでも、ないと言われる。ではピザでも食べるかとピザ屋さんに入ると、まずい。冷凍食を電子レンジで中途半端に温めたようなピザだ。

前にメキシコを旅行したとき、屋台で肉入りタコスを食べひどい下痢を患った。だから、屋台には気をつけているが、朝食べれば大丈夫だろう、と試み始めた。朝なら料理直後で昼の暑さにさらされていない。道路のほこりもさほどかぶっていない。

朝の屋台では、肉、ジャガイモ、コメの入ったスープが人気のようだ。スープだけで朝食にする人も居る。しっかり食べたい人にはご飯とスパゲッティとジャガイモを盛って、上に鶏肉やスープ汁をかけた定食ものがある。どちらもうまい。150~200円程度。昼は、ランチ定食がねらい目で、スープと野菜付きのメインディッシュが250円程度。

米が南米でもけっこう食べられているのに感心した。どこから来たのか、東アジアから来た中国人などが持ち込んだのか。スペイン経由で来たか。コメの原産地は揚子江中流域だが、そこからどう世界に拡散していったか、ロマンを感じる。

現地の食事を食べるということには、象徴的な意味がある。衛生上の心配から、最初は警戒するが、徐々に慣れてきて手を出す。気持ちの上で吹っ切れるものがある。土地の自然から生まれた食物、それを食べることで、その風土で生る力が得られる気がする。

ナスカのアルマス広場。
ナスカ中心部にあるアルマス広場。
ナスカの市場。
ナスカの市場。
ブエナフェ遺跡の地上絵。
ナスカの南3キロにあるブエナフェ遺跡。ここにも地上絵がある。遠方にナスカの街。
灌漑用の水路降り口。
ブエナフェ遺跡の近くにかつての灌漑水路が残っている。インカ以前(プレ・インカ)時代のものという。アンデスの水を地下道で運んで来て、砂漠地帯を農業用地に変える 。渦巻き状の道を降りていくと、地下の用水にたどり着く。
ナスカ近郊地下水路。
地下の水路には今でも水が来ており、使われている。