隣に、アジア(ミャンマー)からの貧しい移民の家族が住んでいる、と思っていた。実際、その隣のこの部屋にも同じくアジアからの貧しい老人(私)が住んでいるのだし。
独り身ならまだしも、隣は若夫婦と2歳程度の幼い子どもが暮らしている。私の6畳部屋よりは少し大きいらしいが、シャワー、キッチンは同じく共同だ。夜、私が帰ってきて、廊下わきのキッチン、というより単なる水道流しとガスコンロ台のコーナーを通過すると、母親にすがっていた子どもが驚いて奥の自分たちの部屋に逃げる。「怖くないよう、大丈夫だよう」「怖いぞ、怖いぞ」とその日の気分によっていろいろ声かけするのが日課になっていた。
しかし、そのうち、夜、かすかに隣の部屋から音楽が聞こえてくるのに気づいた。おもちゃのピアノを買って与えているようだ。よく「ABCの歌」を歌っている。単なる抒情的童謡でなく、勉強のとっかかりになる「ABCの歌」であるところが、何ともいじましい。移民の親たちはこういう貧しい長屋で、子どもを精魂込めて育て上げ、立派な人材としてアメリカ社会に送り出すのだ。そんな有能なアジア系青年たちを私は多く見てきた。
貧しい移民たちが子どもに「ABCの歌」を歌わせて何が悪い。それを意外、場違いに思う私こそがおかしい。最初、彼らの暗い生活を想像していたが、そうでもなさそうだ。昼、母親は子どもを近くの公園に連れて行って遊ばせているようだ。広くて遊具などもたくさんある公園。私などよりずっと健康な生活をしている。
そして、私が入居して2カ月半がたった昨日、彼ら家族は引っ越していった。何だか廊下で物音が激しいので出てみると、荷物の整理をしている。「修理してるのか」と聞くと、一家のあるじの青年が「いや、引っ越すんだ」。
何と「ムーブ」か! 驚いた、何で出てしまうのだろう。数日前、大家と何かわからないアジアの言葉で口論しているのを聞いていた。
夕方になってまだ作業している。「いつ引っ越すのか」と聞くと、「今晩」と答える。え、もうすぐじゃないか。冗談半分に聞いた。「でかい家でも買ったのか」。すると奥さんの方が悪びれる様子もなく首を縦に振った。びっくりした。誇るのでもなく、恥ずかしがるでもなく、ごく普通の表情。こちらは、ありえない冗談のつもりで聞いたのだが、完全にひっくり返された。
夜になり、親戚の手伝いも来たようで引っ越しは最高潮。そして私が狭い「6畳」でインスタント・ラーメンをすするうち、彼らは去っていった。騒々しかったアパートが急に静かになった。思ったよりずっと早く彼らの巣立ちは実現し、老移民だけが後に残された。