日食と移民社会

8月21日午後、北向きの窓の外光が少し弱くなったように感じた。青空が暗いまでに深い碧に澄んでいる。そうだ、きょうは日食の日だった。皆既日食が米大陸を横断し、ニューヨークでも太陽の4分の3が隠れるという。外に出ると、光線の違いはほとんど感じないが、爪楊枝で穴をあけたコピー紙を街路にかざすと、アスファルトに半分ほどに欠けた小さな太陽が映し出された。

宇宙が演じる天体ショーには独特の興奮がある。前にいつだったか日本で皆既日食を体験したとき、あたりが本当に暗闇になることに驚いた。地震も株価の上下も正確に予知できないのに、日食は予知通り秒レベルのくるいもなく正確にやってくるのに感心する。

近くの雑貨屋に行き、日食観測用のサングラスを求めた。2軒とも置いてなかった。せっかくのビジネスチャンスを逃しているのではないか。両目に指で〇をつくり、空を指さし「日食用の眼鏡、ある?」と聞くと、中国系の女性店主が、

「ノー!」

と答える。そんなにきつい調子で言わなくていいじゃないか。

空を眺める人が群れているかも知れない。中華街を見て歩くと、外に繰り出している人はあまりおらず、歩く人も空に関心を寄せているようには見えなかった。いつも通りの午後の街路。興ざめした。忙しい移民の人たちにとって一時的な光線加減の変化など面白くもなんともないのか。

隣のメキシコ人街ではどうか。行ってみようとも思ったが、すぐその気が失せた。アパートに戻って寝た(昼寝)。