高層ビル街とサタデー・ナイト・フィーバー

ブルックリンのサンセットパークから見たマンハッタン
ブルックリンのサンセットパークから見たマンハッタンの高層ビル街。

ブルックリン・サンセットパークからのマンハッタンの眺望は素晴らしい(上写真)。アパートがどんなに狭くても、この眺望が近くに得られるというのは100万ドルの値打ちがある。ほぼ毎日、この公園に行き、マンハッタンを見る。霞がかかっている時もあるが、大陸からの乾いた風が吹き、空気がくっきりと冴えわたる日も多い。ロウアーマンハッタンのビル街、特にひときわ高い新ワールドトレードセンターがそびえる。そこからビル街を右の方に視線を走らせると、エンパイアー・ステートビル周辺のミッドタウンの高層ビル街も見える。目を左手に向けると、ハドソン川対岸ジャージーシティのビル街があり、さらに湾上に自由の女神像が見える。夜は夜でまた、夜空を背景に絢爛たる明かりの点滅が映える。

マンハッタンの摩天楼街と言えば、無機質で冷たい街を考えがちだが、この公園は子ども連れの家族などがたわむれる人情あふれる空間だ。貧しい移民の人たちが憩い、体を休め、気力を養う。そこからマンハッタンが見える。人々の暮らしの風景に高層ビル街が彩を添えてくれる。テロリストたちにはあの高層ビルが世界支配国家アメリカの象徴のように見えたのだろうが、こんな庶民の景観の中にもマンハッタンがあることを知って欲しい。

最初はあの絢爛たるマンハッタンに一体化した気分になっていたが、新移民の苦しい生活の中で毎日これを見続けているうち、違った風にも見えてきた。人々の生活にかかわらず常に超然としてそびえるビル街。それは美しい眺望だが、同時に、かの地とこの地の格差を日々意識させる光景でもある。

1977年の映画、マンハッタンとブルックリン

今でこそ、ブルックリンは起業家経済などでマンハッタンの延長となる気配だが、かつてはそうではなかった。1977年にヒットした映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が思い出される。ディスコ全盛時代にその象徴となった映画だ。ひと昔前に青春を送った方々にはなつかしい映画だろう。あの物語の背景にあったのはマンハッタンとブルックリンの格差だ。若きジョン・トラボルタ演じるトニーたちが暮らす希望のないブルックリン。それに対比して、這い上がる先にあるかも知れない別の世界の象徴としてマンハッタンが描かれている。

ブルックリン・ブリッジとロウアー・マンハッタンの高層ビル街。
ブルックリン・ブリッジとロウアー・マンハッタンの高層ビル街。

映画の冒頭に、ブルックリン側から見たブルックリン橋とマンハッタンの高層ビル街が映し出される。そう、この物語は、川(イーストリバー)のこちら側の話だということが示された。次いで空撮が、真新しいベラザノ・ナロウズ橋の上空を流し、そのたもとに広がる物語の主舞台、ブルックリンのベイリッジ地域を映し出す。そして、高架線になった地下鉄線路下の道路を歩くジョン・トラボルタが現れ、Staying Aliveの力強いメインテーマが流れる。

あの地下鉄はD線だ。私のアパート近くを走っている。いつもあの電車に乗る。映画主舞台のベイリッジ地区は、私の住むサンセットパーク地区から少し南に行ったところで、ベラザノ・ナロウズ橋(ブルックリンとスタテン島をつなぐつり橋、主スパン1298mで当時世界最長)が1964年にできていた。この橋も映画の重要な場面で背景となっている(冒頭映像の他、恋人ステファニーとのデート、クライマックスでの友人ボビーの転落事故死など)。

ブルックリンの86番ストリート。
映画の冒頭でトラボルタがStaying Aliveのリズムに合わせて闊歩したブルックリンの街路。地下鉄D線高架の下86番ストリート。ベイリッジ地区からちょっと離れたベンソンハースト地区にある。
ベラザノ・ナロウズ橋のふもとの小公園。
ベラザノ・ナロウズ橋のふもとの小公園。二人がここのベンチに座って話す場面が出てくる。

出口の見えないブルックリンの若者の生活

若きトラボルタ演じるトニーは、ブルックリンで毎日さえない生活を送るが、土曜日の夜に地域のディスコ・クラブで踊る時だけ輝けている。当時、サンフランシスコでさえない生活を送っていた私も、この映画を見てなぜか印象に残った。映画を通じて流れるビージーズの音楽も多くの人の青春のメロディーとなっただろう。サンフランシスコのアジア系アメリカ人たちの間でもディスコがはやり、クラブというより、家のリビングなどで数十人が集まるディスコ・パーティをよく開いていた。近所から苦情が来るときもあるが、家(サンフランシスコの場合はほとんどが、2~3階建て各階別世帯の「フラット」)でダンスパーティをやれるというのはさすがアメリカの住宅事情だ。

トニーは、家族関係、仕事(ペンキ店)、友達関係でもさえない毎日で、時にギャングとの抗争や橋の上のおふざけなど、ある意味しょうもない生活をしている。そのトニーの前に現れたのがマンハッタンで専門職に就くステファニーだ。やはりダンスがうまく、「個人的関係にはならない」約束でペアでダンス大会に出場することになる。このステファニーを通じてトニーは、次第に別の世界を知っていくことになる。

(1980年代の日本の「バブル時代」というのは私には無縁だった。そこでのディスコ・シーンへの「サタデー・ナイト・フィーバー」の影響などについても私は知らない。そもそも1980年代は貿易赤字と財政赤字に悩む米国が、日本にやられ続けていた時代。バブルで騒いでいたのは日本だけだった。「サタデー・ナイト・フィーバー」の映画も、バブルの真逆で、希望のない生活から出られないブルックリンの若者たちの物語だった。)

長いトンネルを抜けてマンハッタンの朝

細かく筋を紹介するのが目的ではないが、最後のダンス大会の夜がクライマックス。二人のダンスは愛を確認しあうシーンともなる(そこで流されるMore Than a Womanの曲がまたいい)。彼らは1位になるが、しかし、ダンス自体の実力では明らかにプエルトリコ系カップルの方が上だったと感じる。人種的判断の入った審査だと思ったトニーはトロフィーをプエルトリコ系カップルにあげてしまう。ステファニーとも口論になり、あげくの果てに強引に迫って激しく拒絶される。一方で、トニーがずっと振っていた幼友達のアネット(当初のダンスパートナー)は酩酊して自暴自棄に。彼女とトニーを含め荒れる仲間一行は、ベラザノ・ナロウズ橋に繰り出し、いつもの悪ふざけを始める。そこで、女性関係で悩みトニーに相談を持ち掛けては無視されていたボビーが特に荒れ、結局橋から落ちて死んでしまう。アネットの悲痛な叫びが橋げたから海に響き渡る。

まさにどうしようもない生活だ。トニーは仲間を離れ、頭を抱えながら夜の地下鉄に乗ってマンハッタンに向かう。この地下鉄はR線で、途中で乗り換えるN線ともども、やはり私のアパート近くを通っている。ニューヨークの地下鉄は終夜運行だ。それにしてもすさまじい車内の落書き。確かに当時はそういう状況だった。しかし、現在は、ニューヨークの地下鉄もかなり安全になり、落書きもない。

マンハッタンのステファニーのアパートに着く頃には夜が明けていた。長い地下鉄の旅は、彼のこれまでの出口のない生活を象徴していたかも知れない。ここで流れるHow Deep Is Your Loveの曲がまた絶妙で、最初の出だしI know your eyes in the morning sunが、訪れた朝の風景によくマッチする。ステファニーのアパートに何とか入れてもらい、そこで結局仲直りして新しい生活が始まるかのようなシーンで映画が終わる。

映画をあまり理屈で解釈するのはよろしくない。やはりこの映画は華麗なダンスと美しい音楽が主要テーマだろう。しかし、その背景にマンハッタンとブルックリンの格差が基軸として忍ばせてある。マンハッタンはブルックリンのしょうもない生活から出ようとする若者の新しい世界の象徴として描かれた。ブルックリンが今、それほどひどいとは思わないが、多少そういうところも残る。私もまた、ここから毎日マンハッタンの華麗な光景を拝みながら、何を考えているのかな、と自問し、かの映画を思い出している。