NY-フィラデルフィア、往復15ドル

高層ビルが立ち並ぶフィラデルフィア中心部
フィラデルフィア中心部の街並み。人口160万。全米第6の街。ニューヨークの南西約160キロにある。1800年にワシントンに首都が定められる前、約11年間、米国の首都だった。

年寄りは、文献ばかり読んでいるとボケるので、ある日(10月5日)、思い立ってフィラデルフィアに行った。刺激が必要です。

11時45分ニューヨーク発のハイ・バス(gotobus.com)に乗った。出足が遅いな。もっと早く出発すればいいものを。

片道10ドル(1100円)だった。現場で買えば往復15ドル(1700円)という割引もあった。ネットで買って失敗した。ネット予約では往復割引というのはない。

フィラデルフィアまで160キロ往復1700円というのはべらぼうな安さじゃないか。東京-清水、東京-那須塩原、大阪-岐阜程度の距離(の往復)だ。鉄道も調べたが、この5倍程度で、お話にならなかった。

中国系がバス会社を運行

マンハッタンのチャイナタウン付近に、バス発着スポットがいくつかあるのは知っていたが、その1カ所からの出発だった。切符をチェックする人、運転する人がともに中国系の人で、バスの中の広告も漢字。これはもう中国系企業であることは間違いなかった。中国人はすごい。こんな交通ビジネスでアメリカでの地歩を築きつつあるのか。乗客にはアジア系も居るが、黒人、ヒスパニックの人たちも多い。

中国では、新幹線(高速鉄道)がバス並み、時にそれより安い料金で運行していた。高速バスもたじたじだった。それに比べると、日本の新幹線、どころか在来線も料金でバスに負けているし、アメリカの鉄道はもっと競争力がない。ここは中国系バス会社の市場競争力にがんばってもらおう。

複数のバス会社があるようだが、このハイ・バスのフィラデルフィア行きは約1時間ごと、朝6時台から夜10時台まで1日16本程度出ている。木曜昼の時間。乗客は20人程度で、特に予約をしておく必要はなかった(帰りの同日夜8時台のバスも同じく20人程度)。約2時間の旅。片道10ドル20人で200ドルだが、運転手やバス発着所従業員に給料を払って、儲けが出ているのだろうか。(出ているから営業されているのだろうが。)

車内に無料WiーFiが完備している。車中ずっとネット接続が可能で飽きることがなかった。WiーFiを通じて独自に映画も提供している。

安全ベルトを締めようとしたら、ベルトがない。中国の高速バスには必ずあるのに。その他のアジアの国のバスではよくあることで、それと同じだな、と納得。窓ガラスが汚れて視界が悪い。各座席の横にごみ袋が下がり、車内にゴミ散乱という訳ではない。私の座った席の窓は、だれかがUVカットくもりガラスを削ったらしく、丸い穴が空いているように見える。外の景色がよく見えるよう乗客が削ったのだろう。写真を撮るには都合よかった。車内からいい写真が撮れたと思う。

バス発着所。遠くに新ワールドトレードセンター。
マンハッタンのチャイナタウンからバスが出発。チャイナタウンには長距離バス発着スポットがいくつかある。この発着所にはバス1台が入る「車庫」があり、一応「バスステーション」になっている。
バスの車内から窓ガスを見る。
窓ガラスが汚れていて外がよく見えない。
窓に穴があいたようなUVカット削り。
私のすわった座席の窓には、UVカット曇りが削られ、まるで丸い穴があいているようになっていた。写真を撮るには好都合だった。
マンハッタンのビル街。
おかげでこんないい写真が撮れた。出発してすぐのマンハッタン・チャイナタウン近くのビル街。中央右に古い市庁舎ビル。
ジャージーシティーの高層ビル街。
ハドソン川のトンネルをくぐり、ニュージャージー州側に出ると、ジャージー・シティーの高層ビル街。その向こうにワールドトレードセンターなどマンハッタンのビル街も重なって見える。
ニューアーク港。
ニュージャージー・ターンパイクを南下。左手にニューアーク港。輸入されてきたのか、大量の乗用車が置かれている。
ニューアーク空港。
右手にニューアーク空港。ニューヨークへの玄関口のひとつでもある。

 

フィラデルフィアに入る橋の手前。
しばらく単調な田園風景が続いた後、ニュージャージー・ターンパイクを離れるとフィラデルフィアの街が見えてきた。
デラウェア川にかかるベンジャミン・フランクリン橋。橋げたから。
デラウェア川にかかるベンジャミン・フランクリン橋を渡る。

 

フィラデルフィア中華街の門。
バスは、チャイナタウンの外れに付いた。車庫もなく、道路に駐車。下りてちょっと歩くと、この中華街の門がある。
フィラデルフィアのチャイナタウン。
フィラデルフィアのチャイナタウン。

 チャイナタウンを結ぶ格安バス

バスはフィラデルフィア中華街のはずれに着いた。車庫もない比較的すいている街路の一角。そこに料金徴収の人が常駐している。「ニューヨークまで片道10ドル、往復15ドル」などの広告が出、道路には駐車注意のコーンなども設置されているから市にも認められているようだ。さほど離れていないところに長距離バスターミナルもあり、グレイハウンドやメガバスが発着しているが、ここを使うと高い使用料をとられるのだろう。

こうして中国系格安高速バス網は各街のチャイナタウンをつなぐ。これは絶妙のシステムだ。チャイナタウンというのはどこの街にもあって、市中心(のちょっと脇)にあり、便利だ。市内から離れたところに発着場をつくれば格安といっても使いにくくなる。高速道路にも近い。ここを結べば、中国系住民だけでなく、一般の人の足にも十分役立つ。

フィラデルフィアを散歩

私は毎日、ブルックリンのアパート近く、中華街、ヒスパニック街、ユダヤ人街などを順繰り散歩するのを楽しみにしている。毎回いろんな発見があって面白いが、たまには変わったところに行って散歩するのもいいだろう。ということでフィラデルフィアに来たのだ。特に何か変わったことをするわけではない。いつも通り、歩き回ればいい。

しかし、2時間程度でフィラデルフィアに来てしまうというのはすごい。ニューヨーク市内で息子夫婦のところ(レゴパーク)に地下鉄で行くのでも、ドア・ツー・ドアで1時間半はかかる。普通の地下鉄料金で往復5ドルかかる。それが、160キロ離れたフィラデルフィアまで2時間(ちょっと切る)、往復15ドルというのだから顔がほころぶ。

マンハッタンを北から南まで全部歩くのは無理だ。しかし、フィラデルフィアの規模なら、中心部を歩いて回れる。チャイナタウンから始まって、ちょっと東のインデペンダンス・モール(リバティ・ベル、インデペンダンス・ホールなど)、オールド・シティ、歴史地区をまわり、デラウェア川河岸に出て散策。さらに街を西に横断し、重厚な市庁舎を見て、高層ビル街を抜け、スクールキル川を渡ってドレクセル大学、ペンシルバニア大学などのあるユニバシティー・シティ地区をまわり、リッテンハウス公園など市中心部南側を通ってチャイナタウンに戻る。何時間歩いたか、いい運動になった。

フィラデルフィアはニューヨークより、若干暖かいという感じがした。緯度的には青森県八戸市から岩手県盛岡市あたりに南下してきたことになる。歩くと汗ばみ、短パンでもよかったかな、と思う。(ところが、この夜、ニューヨークに戻ると、やはり暖かく、この日(10月5日)が暖かい日だったということがわかった。どうも米国東海岸の気候はわからない。涼しくなって、いよいよ早い冬が来るのか、と思うと、西海岸の「インディアン・サマー」(サンフランシスコなどでは9月、10月が最も暑くなる)を思わせる陽気がぶり返したりする。

インデペンデント・モール。
インデペンデント・モール。中央がインデペンダンス・ホール(独立記念館)。右が自由の鐘のあるリバティーベル・センター。
インデペンダント・ホール(独立記念館)。
インデペンダント・ホール(独立記念館)。もともとペンシルバニア州議事堂として建てられたものだが、独立革命前後に頻繁に州代表の集まる場所となり、1776年の独立宣言がここで発せられた。合衆国憲法も1787年ここで採択され、1790~1800年、フィラデルフィアが米国首都だった際には連邦議会議事堂になるなどアメリカ建国の象徴的建物となっている。1915年には第一次大戦後の国際連盟設立の会場となった。1979年、世界遺産に登録。
リバティーベル(自由の鐘)。
リバティーベル(自由の鐘)。1776年7月、独立宣言の発表を知らせる際など、建国の重要な節目節目で、この鐘が鳴らされ、市民への周知が図られた。奴隷制廃止の運動でも大切にされ、自由を象徴するシンボルに。

フィラデルフィアはアメリカの奈良・京都か

的外れとは思うが、フィラデルフィアは(ボストンと並び)日本の奈良・京都にあたる「古都」ではないか、と思った。建国の時の主舞台となり、現首都(ワシントンDC)の前の首都でもあった。アメリカは圧倒的に若く、建国してすぐ近代だ。他の国の「古都」とは比べものにならならない。しかし、それなりにこの国の中では歴史を感じさせる場所であり、全米から建国の歴史を学ぶため多くの観光客が集まる。国よって「古都」も異なるのだ。

デラウェア川河岸公園とベンジャミン・フランクリン橋。
デラウェア川の河岸公園。ニュージャージー州カムデン市側とをつなぐ橋はベンジャミン・フランクリン橋。フランクリン(1706‐1790)はボストン生まれだが、17才のときフィラデルフィアに移り、以後、ここを主な活動拠点にした。
デラウェア川に浮かぶ戦艦ニュージャージー。
デラウェア川河岸(ニュージャージー州カムデン市側)に係留されている戦艦ニュージャージー。同艦は第二次大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争、1984年のレバノン内戦まで激しい戦闘に参加しながらほとんど損傷を受けなかった。太平洋戦争中の沖縄戦にも加わり、日本占領時には東京湾に出動。1999年にカムデン市が博物館として利用するため取得した。ちなみに、こちら側フィラデルフィアのある州の名前をとった戦艦ペンシルバニアは、日本の真珠湾攻撃で大きな打撃を受けたのを皮切りに、たびたび損傷。1945年8月12日には航空機からの魚雷を受け、日本軍が最後に損傷を与えた米軍艦として記録されることになった。最後には1946年のビキニ環礁の原爆実験で、被害を調べるため、戦艦長門などとともに供用されている。
デラウェア川河岸とフランクリン橋。
デラウェア川河岸とフランクリン橋。フィラデルフィア港を見ていて思うのは、かつての港が、海岸でなく、内陸の河岸につくられていたのだな、ということ。フィラデルフィアもデラウァア湾から80キロほどさかのぼったところに位置する。昔の技術では海洋に直接面する海港は使い切れなかった。ロンドン(テムズ川)、パリ(セーヌ川)、アムステルダム(運河)、ハンブルグ(エルベ川)など、いずれも内陸の河岸に発達した街だ。
フィラデルフィアの古い街並み。
デラウェア川沿いの古い街並み。オールドシティー文化地区として整備されている。
フィラデルフィア市庁舎
荘重な市庁舎。市の大通り、マーケット通りとブロード通りがここで十字に交わる。ここを中心に市街地が広がる形だ。1901年完成。左の塔部分の高さは167メートルで当時高さ世界1のビルだった(鉄塔ではすでにエッフェル塔ができていた)。先端にウィリアム・ペンの銅像があり、これより高いビルはつくらないという紳士協定があったらしいが、今では多数の超高層ビルに周囲を囲まれている。
フィラデルフィアの貸自転車Indegoプログラム。
フィラデルフィアにも、ニューヨークと同じように貸自転車のシステムが導入されている。市が行うIndegoプログラム。
ドレクセル大学。
市中心部西端のスクールキル川を越えると、複数の大学が集中するユニバーシティ・シティー地区。これは理工系に強い私立のドレクセル大学。
ペンシルバニア大学。
さらに南西部に進むとペンシルバニア大学がある。アイビーリーグの一つに数えられる名門私大。USAトゥデイ紙の2015年の評価で全米1になったこともある。
世界初のビジネススクール、ウォートン・スクール。
その中でもひときわ評価の高い経営修士(MBA)大学院のウォートン・スクール。1881年設立の米最古(世界最古)のビジネススクールだ。
ペンシルバニア大学キャンパスの街路樹。
「大学は知の独占機構で、これにより民衆の中のインテレクチュアルという文化が衰退した」という批判もあるのだが、しかし、大学キャンパスという空間はいい。緑の街路樹と芝生に囲まれツタの絡まる校舎やチャペル…。そこに真正な知の営みがあると思えてしまう。これも策略?
フィラデルフィアのリッテンハウス公園。
市南西部のリッテンハウス公園。高層ビル街に近いが、付近には品のいいカフェなども多い。

あっけなく帰宅

帰途、夜8時45分フィラデルフィア発のバスは、10時半くらいにニューヨークに着いた。ネットできょう見たフィラデルフィアの名所を復習しているうちに眠くなりうつらうつらしていた。バスが高速を下りて、いやに高いビルが建っているな、と思ったらNY。あっけない。郊外への日帰りお出かけのようだった。この調子で、今後、周辺の街にいくらでも行けるな、という感触がつかめたのはよかった。

しかし、アメリカの街の旅って、どうも食指があまり動かないんだよね。どこに行っても大体同じようなビルの街。途中の景色も殺風景な原野で、街の近くになって現れる工場、倉庫、資材置き場などは益々殺風景(はい、ニュージャージー州のことを言ってます)。ワシントンDCやボストンにはすでに行ったし、ぜひ行きたいという強い衝動が起こる行先が見当たらない。まあ、毎日の散歩の延長だ、とでも思って歩いてくればよいのか。ニューヨークの地下鉄は24時間運行だから、未明の帰宅になってもいいぞ…。