ニューヨークの犯罪減少:警察力だけではなかった

マンハッタンが凶悪犯の刑務所に

あなたは「ニューヨークからの脱出」(Escape from New York、邦題「ニューヨーク1997」)という映画を見たことがあるか。1981年に封切られた近未来SFアクション映画で、犯罪があまりに多くなった1997年のニューヨーク・マンハッタンが島ごと「最強警備刑務所」になり、周囲に15メートルの壁が張り巡らされ、凶悪な犯罪者がそこに閉じ込められる、という設定だ。そこにテロリストに乗っ取られた大統領機エアフォース・ワンが墜落し、大統領が囚人たちの人質になる。そこに自身も銀行強盗の犯罪者である主人公が、恩赦を条件に潜入させられ、悪の巣窟となったマンハッタンから見事大統領を奪い返す、という映画だ。

https://www.youtube.com/watch?v=ckvDo2JHB7o

このような文学性の高い映画を、もちろん私が見るわけがない?。しかし、この映画設定には感動した。当時(1980年代)、ニューヨークは犯罪が蔓延し、ギャングに支配されたとも言われた。そのマンハッタン全体を刑務所にしてしまい、そこから大統領を救い出すというプロット。この大胆で創造性あふれるアメリカ人の構想力には感動する以外ない。

幸運にもこの1981年当時の予測はあたらなかった。1997年(16年後)のニューヨークは、奇跡というほどの犯罪減少を達成し、殺人数は1981年の1826人から1997年の770人にまで減少していた。その後も前述の通り減少しつづけ、2017年の殺人数は290人となった。

ニューヨーク殺人ミステリー

「ニューヨーク殺人ミステリー」というおもしろい本がある(Andrew Karmen, New York Murder Mystery, New York University Press, 2000)。犯罪の街ニューヨークに起こった何か殺人事件のミステリー小説かと思うと、そうではなく、なぜニューヨークでこれほど犯罪が減ったのかという「ミステリー」を解こうとした学術書だ。

著者のアンドリュー・カーメン(ニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ法科大学教授)は、1990年代の劇的な犯罪減少に関し、ジュリアーニ市長、ブラットン警察本部長らによる警察力増強とその新方針が要因、と誇示されていたことに批判的だった。犯罪はやはり富の不平等や差別など社会的矛盾に対処しなければ解決しないという立場だった。それが、警察の力による犯罪激減を前にもろくも崩れ去ったと新聞記者に書かれた。「多くの社会学者、犯罪学者は市警の貢献を評価することに躊躇している。学者人生を通じて、間違った見方を広めてきたことを認めることになるからだ」とされた。「こんな風に挑戦され、私は、このミステリーの真相にたどり着くため分析に入ることにした」とこの研究の動機を語っている(同書、p.xi)。

確かに、社会を良くしなければ犯罪もなくならないと考えるリベラル派にとって、警察ががんばって犯罪が激減してしまったと認めるのは苦しい。しかし、一定の歴史的条件の中では、警察の対処でかなりの犯罪減少が可能だったことも認めなくてはならない。カーメンはそれは認める。警察の貢献を一定程度評価しながら、それだけでない社会的諸条件を総合的に分析した。市長、警察本部長らの自画自賛に乗るだけでなく、他の要因もあったことを冷静に分析した。

カーメンの出した統計で説得的なのは、米国大都市すべてで1990年代、殺人件数が減少したことを示したものだ。つまり、警察の取り組みがたたえられたニューヨーク市だけでなく、他のいずれの大都市も犯罪が激減していたのだ。

表:米国人口100万以上の大都市での殺人件数減少 1990年代

表 米国大都市 犯罪率低下 1990年代
出典:FBI’s Uniform Crime Reports, 1990-1998 (前記New York Murder Mystery, p.25より)

ニューヨークが特別ではなかった

確かにニューヨーク市の72%減は大きい方だが、それでもサンディエゴ、ボストンはそれを上まわる減少を示している。なんだ、ニューヨークが特別でなく、アメリカで全体的に犯罪率が下がっただけか、という訳だ。ニューヨークの減少がやや大きいところにニューヨーク市警の努力を見てもよいが、ニューヨークの家賃がこれほど高くなったので貧しい人々が住めなくなったからだろう、など他にいくらでも理由は言えそうだ。

そこで、カーメンは、この時期、米国全体でなぜ犯罪率が下がったのか、様々な要因を検討していくことになる。警察の取り締まり強化と関連して、ニューヨーク市警がコンピュータによる犯罪情報の収集・解析システムCompStatを導入したこと、刑務所収容者が増え街頭にたむろする犯罪者が少なくなったという見解、薬物市場の変化、アルコール消費の推移、銃所持の規制、地域経済の活性化、失業率の推移、地下経済の活性化、大学教育を受ける層の拡大、移民の増大、ベビーブーム世代の高齢化、若者の価値観の変化、など。

自画自賛に便乗する各種勢力

1990年以前、犯罪が増加するうちは、行政も警察も、我々は起こった犯罪に対応する役目で、犯罪が起こる原因、その多少に責任はない、と言っていた。しかし、一旦犯罪が減少に向かうや否や、手の平を返したように「自分たちの手柄だ」と言い始める。カーメンによると、次のような発言が聞かれたという。

トップから言えば、まず当時の政権を担ったクリントン大統領は、1994年の犯罪抑止法案が(全米的な警察増強とコミュニティー・ポリーシング強化など)効果を表したからだとした。フリーFBI長官は、同局が全米100以上の地域で行った「安全な街路」キャンペーンの成果だとし、カリフォルニア州のウィルソン知事は、同州が導入した三振法(重罪で3回の有罪判決が出たら終身刑)が犯罪を減らしたとし、ニューヨーク州のパタキ知事は死刑の再導入、凶悪犯罪の再犯者に仮釈放を認めないとしたなど州新法の成果とした。マンハッタンとブロンクスの犯罪減少については、コールストロムFBI副長官が、ストリートギャングの徹底した訴追と厳格な判決のためだとし、マンハッタン地区検事局のモーゲンソー地区検事は、同局殺人捜査部による薬物ギャング部、職業的犯罪部による常習犯の厳格な訴追の成果だとした。(Karmen、同書、pp.84-75)

もちろん警察も

もちろん、各地の市警もこの波に乗らないわけはない。ロサンゼルス市警を始め多くの自治体警察が、地域との連携を強めたことで犯罪が減ったと主張。シカゴ市警は、若者の銃所持取り締まり強化が功を奏したとし、ワシントンDC警察は殺人捜査班の改革で犯人逮捕率が上がったとし、コネチカット州ブリッジポート市警は、薬物取引のたまり場周辺に交通遮断ブロックを置いて「消費者」が近寄れないようになったためとし、バッファロー市警は合同薬物取締班を立ち上げることでギャング勢力を弱めたとし、バルチモア市警は警察主催のスポーツリーグ活動で若者犯罪を防止したとし、ローデアイランド州プロビデンス市警は、銃規制専門の裁判所を設置したことと落書き対処班の活動がよかったとし、ボストン市警は、保護観察官との連携を強めたことが効果的だったとした(pp.83-84)。ニューヨーク市警が、「ゼロ・トラランス」の厳格な取り締まり方針で犯罪を減らしたと豪語するのも、こうした流れの一環だったのだが、一般に最も普及した有名な見解となっていた。

面白いことに、アルバカーキーとサンディエゴの市警は、「犯罪減が警察の手柄だと言ってしまうと、増加した時、ただちに非難される」という理由でこうした自画自賛には加わらなかったという(同書、p.84)。

犯罪減少の説明に十数の理論が出された

私がいつも尊敬して参照させてもらっている本川裕のウェブサイト「社会実情データ図録」がある。広い分野にわたり詳細な統計を集め、それをわかりやすいグラフにして提供してくれている。犯罪データに関しても世界各地のデータを多数集め、今回大いに参考にさせて頂いた。ここで同氏は1990年代以降のアメリカの犯罪減少についても、各種データを参照しながら詳しい解説をしている。それによると、この犯罪減少の原因として少なとも15程度の理論(理屈と言うべきか)が出されているという。次の通りだ。

  • 割れ窓理論による警察取り締まりの巧妙化・強化。(前稿で詳述したもの)
  • 1970年代の中絶合法化で貧困母子家庭が減り、20年後の犯罪減少につながった。
  • 犯罪者を大量に刑務所に収監した。
  • オバマが大統領になって黒人の意識が変わり暴力が減った。
  • 人間をキレやすくする鉛のガソリン含有が70年代に禁じられ、幼少期の鉛摂取が減り90年代に犯罪減少。
  • ビデオゲームやインターネットで若者が家の中にとどまるようになった。
  • ベビーブーマーが高齢化し、犯罪を犯しやすい青年期の若者が減りつつある。
  • 犯罪多発地に警官を集中させる「ホットスポット重点取締」の効果。
  • DNA鑑定、携帯電話GPS,防犯カメラなどのハイテク技術の向上。
  • 高学歴化と親との同居率上昇。
  • 薬物問題の一定の収まり。
  • 都市中心部の再開発が進み、郊外から中産階級が戻ってきた。
  • 車、宝石の盗難防止警報など警備テクノロジーの向上。
  • 主に黒人を対象にした取り締まり強化が差別を生んだが、治安向上に効果はあったとする説。
  • クリントン政権時の1994年の犯罪抑止法律で全米の警察を10万人増加。

多数の要因が複合して犯罪減少

これら以外にも、世間話などでよく聞く話として、犯罪が少ないアジア系移民が増えたから、ニューヨークは家賃が高くて低所得者が外に追いやられたから、などもある。その他ありとあらゆる「原因」が考えられるのではないか。カーメンの『ニューヨーク殺人ミステリー』はこれら多様な要因を詳細に検討し、犯罪学者として批判に耐える理論を見出そうとしている。結局、彼の結論は次のようなものだ。

「ニューヨークの犯罪減少ミステリーは解決した。単一の要因(警察戦略の革新など)が決定的役割を果たしたのではなかった。改善は最初はゆっくりと、しかし、そしてある時から突然加速し、多くの肯定的傾向が始動し影響しあい、一つの方向 ―犯罪減少― に雪崩を打っていった。」(Karmen, 同書、p.257)

そう言った後、彼は、それまで出てきたありとあらゆる犯罪減少の要因を挙げる。景気の回復、インナーシティでの失業と貧困の減少、働き者で犯罪の少ない移民の増大、低所得層にまで拡がった高等教育の機会、薬物問題の改善、ハードリッカー(強い酒)消費の減少、ニューヨーク市警のハイテク導入と積極的なポリーシング戦略、犯罪者の刑務所への隔離、犯罪率の高い若年層の減少、薬物関連の殺し合いやオーバードース(過剰摂取)死亡で犯罪者の数が減少したこと、若者たちの価値観の変化、などなど。

学問的結論というのは往々にしてあまりドラマチックなものではない。多数の原因が複合して犯罪が減少した、では確かにインパクトに欠ける。そこから、例えば当時のパタキ・ニューヨーク州知事のような不満も出てくるのだろう。犯罪があれこれ社会的要因の複合で起こるなどの「ナンセンス」を言っているときではないとして、「我々は市民に奉仕する人間だ。社会学研究をしているのではない。公共秩序を維持し、人命を救う責務がある。…私にとっても皆さんにとっても大切なことは、単純な真理、つまり犯罪者が犯罪を起こす、ということに立ち返ることだ」と語ったという(同書、p.261)。

クラック禍の基底に長期的な犯罪減少の兆候があった

しかし、カーメンは原因の複合性を述べた後、「しかしながら、ある一つの要因が他を押しのけて重要な役割を果たした」としながら1984~1990年のクラック(コカイン)禍がこの時期の犯罪を劇的に高めたことに触れる。これが見かけ上、急激な上昇と下降の原因だったが、実は当時、1980年代から犯罪は徐々に減少していたと示唆する。これが重要な指摘だと思う。

「ニューヨーク市の殺人率は、クラック禍のため1980年代末に明らかに上昇した。しかし、その基底には、80年代前半からの犯罪減少が継続する良好な条件が隠れていた。警察力は洗練度を高め、規模も大きくなり、多数の犯罪者が鉄格子の後ろに閉じ込められ、裁判所も犯罪に厳しく対応するようになった。貧困と失業率は改善し、飲酒も減り、より多くの若者が大学に行き、移民が大挙して流入した。若年層人口が縮小し、次世代の若者の価値観も変化していた。クラック禍の狂騒がこれらすべてを台無しにした。常習者が薬物を買うためカネを奪い、はでな街頭取引が進行する中で武装した縄張り争いが起こった。犯罪の減少は、このクラック禍が一巡して収まるまで実現しなかった。」(同書、p.258)

つまり、目のくらむようなクラック禍で、一時的に時代の本質が見えなくされていた。クラックは、依存性の強い薬物コカインの純度を高め、たばこのように簡便に吸えるようにしたコカインの結晶状の塊。1回分が2~3ドルと格安なこともあり、1984年頃から全米に広がった。急性中毒による救急車出動は1985年に12%、1986年に110%増加。1984年に23,500件だった出動件数が、1987年には94,000件と約4倍になった。

犯罪における技術革新

犯罪における技術革新とも言うべきこの薬物の蔓延で、1980年代から始まっていた長期的犯罪減少の傾向は影にかくれた。クラック禍によるすさまじい犯罪の拡がりと、それが一巡することで訪れた突然の犯罪減に人々の目は惑わされ、事の本質は見失われた。実際は、すでに始まっていた長期的減少傾向に回帰しただけであり、その長期的減少の方にこそ、より本質的な要因が潜んでいた。

この点を次回でさらに詳しく見ていく。