クラック禍はなぜ収まったか

前稿の最後で述べた通り、ニューヨークの犯罪は1990年代に突然減ったのではなく、1980年前後から徐々に減少に向かっていた。そこに84~90年のクラック禍(Epidemicが日本では「ブーム」と訳されているようだが)が起こって犯罪が上昇し、それが収まったことで90年代の劇的な犯罪減少が起こった。80年以降の長期的な犯罪減少曲線に回帰したのである。

この長期減少傾向の主要因は、人口数の多い団塊の世代が犯罪多発期(青年期)を過ぎ高齢化していくことに求められるが、その点は次稿で検討する。本稿では、クラック禍の発生とその終息、なぜそれが収まったかについて見ていく。

犯罪減少は1980年前後から始まっていた

下記表の通り、ニューヨーク市の殺人数は、1960年までは年400~500人に収まっていた。それが1960年代を通じて徐々に増加し、1969年に1000人の大台を超え、1970年代はほぼ1500~1600人で推移。1981年に1826人のピークを迎えた後、一旦は減少に転じた。1985年には1384人にまで減っている。しかし、まさにこの頃からクラック禍が始まり、薬物がらみの殺人が急増した。殺人総数は1990年まで増え続けるが、その年の2245人をピークとして減少に転じる。クラック禍もこの年に一応終息したとされる。

クラック禍という「犯罪における技術革新」がもたらした特別の事態がなくなれば、通常の長期的減少傾向のカーブに復帰する。全米の殺人率推移グラフニューヨーク市の殺人率推移グラフなどを見ても、クラック禍時の例外的突出を度外視すれば、1980年前後をピークに現在まで続く自然な下降線がたどれることを視覚的に確認できるだろう。

表:ニューヨーク市の薬物がらみ殺人件数の推移

  • 年         殺人総数
  • 1930     495人
  • 1960     482
  • 1961     483
  • 1962     631
  • 1963     548
  • 1964     636
  • 1965     634
  • 1966     654
  • 1967     746
  • 1968     986
  • 1969    1043
  • 1970    1117
  • 1971    1466
  • 1972    1691  薬物関連         それ以外(未解決・不明を含む)
  • 1973    1680    125人 (7%)    1555人
  • 1974    1554
  • 1975    1645
  • 1976    1622    136  (8%)       1486
  • 1977    1557
  • 1978    1504
  • 1979    1733
  • 1980    1814    192 (11%)       1622
  • 1981    1826
  • 1982    1668    349 (21%)       1319
  • 1983    1622
  • 1984    1450    (クラック禍始まり)
  • 1985    1384    356(26%)        1028
  • 1986    1582    525(33%)        1057
  • 1987    1672
  • 1988    1896
  • 1989    1905
  • 1990    2245    (クラック禍収まる)
  • 1991    2154    670(31%)        1484
  • 1992    1995
  • 1993    1940
  • 1994    1561
  • 1995    1177    226(19%)         951
  • 1996     983     247(25%)         736
  • 1997     770     138(18%)         632
  • 1998     633     106(17%)         527

資料:Chris Mitchell, “The Killing of Murder,” New York Magazine, January 7, 2008; New York City Police Department, “Historical New York City Crime Data: Citywide Seven Major Felony Offenses 2000-2016”; “Crime in New York City,” Wikipedia; Andrew Karmen, New York Murder Mystery, New York University Press, 2000, p.39; Martin Kaste, “How Many Crimes Do Your Police ‘Clear’? Now You Can Find Out,” NPR News, March 30, 2015.

(表の注:薬物関連の殺人数はKarmen,p.39による。ただし、米国の殺人で犯人逮捕に至るのは6割程度で(2013年で64%)、殺人の原因が特定できないケースが相当ある。薬物関連の殺人数はあくまで犯人が逮捕(原因が特定)された中での数だ。カーメンは、1970年代と1980年代については、解決率が85%に達した年のみの数字を掲げている。解決率は警察があまり出したがらない数字で、報告もおざなりになることが多い。ウェブ上のFBI統計(Uniform Crime Reports)でも昔の市ごとの解決率は出ていない。最近の統計でも例えばニューヨーク市警の2011年と2012年の解決率は0%となっている。)

クラック禍とは

クラックは、前稿でも述べたが、コカインの純度を高め、たばこのように簡便に吸える結晶状の塊にしたものだ。犯罪における技術革新とも言うべきこのクラック・コカインは1回分が2~3ドルと安価で、急速に全米の低所得地域、特にニューヨークの低所得者地域に浸透した。吸引すると強い多幸感、極端な自信などの症状が現れ、しばしばパラノイア的な妄想にも駆られる。効果は10分程度しか続かず、すぐ次の分が欲しくなるので、売人にとっては割のいい商売となる。わずかな資金で始められるこの「路上ビジネス」に多数の貧困層若者が参入し、互いに競争・対立した。すでに縄張りをもっていた既存の薬物ディーラーとも対立し、暴力沙汰が増えた。

マイノリティ地域の貧困ビジネス起業

ニューヨークの貧困地域の若者にとって、これはアングラのビジネス起業活動だったかのようにカーメンは叙述する。「わずか数百ドルで最初の原料である数オンスのコカイン塩酸塩と重曹が手に入る。加工用の機器はマイクロ・オーブンで、これはほとんどの家のキッチンにある。それに若干の人脈づくりの才覚があれば、サプライヤーと顧客を確保できる。これといった資格・学歴もない若者にとって、この路上販売は上昇志向の夢をかなえてくれるものだった。…最初は見張り役、ボディガード、運び屋、次いで路上売人、さらに卸し、最後はディーラーのボスになって、成功した独立ビジネスマンを装うことができる。」(Andrew Karmen, New York Murder Mystery, New York University Press, 2000, p.172)

薬物ディーラー間で「軍拡」

だが、リスクの大きい「ビジネス」だ。ディーラー間の対立が絶えず、特に割のいい街角の支配権をめぐって暴力、殺し合いが起こった。「軍拡」が始まり、通常の拳銃だけでは足りず「自動拳銃、マシンガン、軍用兵器、消音式拳銃、防弾服」を導入する。もちろん、被害にあっても警察に訴えることはできない。当局も取り締まりを強化し、例えば、1986年の連邦法(Anti Drug Abuse Act)は、クラック関連罰則を粉コカイン関連より100倍厳しくし、5グラム所持で最低5年の禁固刑に処するとした。ニューヨーク市警も、前々稿で詳述した通り厳しい取り締まりを実施した。

街頭から屋内での取引へ

クラック禍はなぜ収まったか。最大の原因は、クラック取引形態の変化だった。暴力、殺し合い、逮捕、長い刑期など大きくなリすぎたリスクを回避するため、薬物市場が路上での「自由な」取引から、店の奥部屋、アパート、ゲームセンター、ランドリーなど見えない場所に移っていった。ペイジャー(ポケットベル)で電話を受けて配達者が送り届ける方式、不特定多数との取引でなく固定客との関係強化、などへの変化もあった。

カーメンは「皮肉にも、こうした屋内への退避、それに電話を受けて届ける方式などの取引形態の変化が、路上の安全を高めた。警察からの圧力が強まる中、ディーラーも顧客も慎重かつ実務的になり、より注意深く責任ある行動を取るようになった」(同書、p.173)とまとめている。クラックを含め薬物の取引・消費はその後も大きな後退はなく続いていることも多くの調査結果で示している。しかし、少なくとも街頭市場は影を潜め、殺し合いは減っていく。

犯罪者たちは自滅したのか

恐ろしい話だが、犯罪者たちは密売人同士の殺し合いで自然消滅した、という説もある。1980年代末以降のニューヨーク市の殺人の多くが薬物抗争がらみで、殺された者の多くも薬物取引にかかわる犯罪者だった。死者の約半数に犯罪歴があり活発な犯罪行為を行っていたことが推定されている。

カーメンもこの説をいろいろ検証している。殺人被害者のうち「控え目に」2回以上逮捕歴のある者だけを常習的犯罪者と仮定した。それが死者全体の4分の1を占めた。1988~1997年の10年間でその総数は4150人となった。次のような現場取材者の証言がある。

「最も優れた警部は ―今もそうした警部はたくさん居る― あらゆる殺人事件にまったく同じアプローチでのぞむ。しかし、クラック中毒者の殺人が50件目だとなると、そういう姿勢を取り続けることが難しくなる。近年では、多くの警官が、こうした薬物抗争殺人を『軽犯罪殺人』『社会奉仕殺人』などと陰口をたたくようになった。だれもかまわないような殺人事件を解明することにほとんどプライドが感じられない。上司から督励を受けることもない。」(Eric Pooley, “Getting Away with Murder,” New York Magazine, September 28, 1992, p.27)

薬物犯罪者たちは自身も薬物を吸引し、オーバードース(過剰摂取)で死亡することが多い。ニューヨークで年1000~1800人、10年間で14,720人がオーバードース死した。さらに薬物常習者は静脈注射器を使いまわしすることが多く、当時拡大したエイズの犠牲にもなった。市内推定20万人の注射利用薬物常習者の4分の1から2分の1がエイズに感染し、その死者は10年間で17,640人に達した。この他、もちろん投獄されたり、(移民者の場合)国外追放された犯罪者が5250人おり、合計約43,000人が街頭から消えた計算になるという(Karmen,前掲書、p.242)。

カーメンはこうした「自然減」がどの程度影響を与える数だったか判定することは難しいとしながらも、少なくともニューヨーク市警の総数と同じ数の犯罪者が街頭から消えたことにはなる、としている(Karmen, 前掲書、pp.235-243)。

リトルブラザー症候群

また、この時期、社会学者の間では、犯罪減少を「リトルブラザー(弟)症候群」(little brother syndrome)で説明しようとする流れもあった。ビッグブラザー(兄)のどうしようもない生活態度を見てリトルブラザー(弟)が別の方向を目指すという家族内でもよく見られる現象を模した説だ。『ギャング辞典』(Encyclopedia of Gangs)ではこれを次のように説明している。

「リトルブラザー症候群とは、1990年代半ば、最初にニューヨーク市で使われた言葉で、社会科学者たちが、全米のインナーシティで犯罪とクラック乱用が激減したことをこれで説明しようとした。犯罪減少について最有力の説明は1980年代末からの警察力強化戦略が功を奏した、というものだが、このリトルブラザー症候群説は、貧困地域の次の世代の若者たちが、兄や親世代が恐るべき事態(薬物依存、病気、死、服役)で崩壊するのを間近で目撃し、同じ運命に取り込まれないと決意したことで起こった、と説明した。」(”Little Brother Syndrome,” Louis Kontos & David Brotherton, ed., Encyclopedia of Gangs, Praeger Publishers, 2000, p.158)

事態が悪化すれば次の世代がおのずと別の方向に向かうというのは単純すぎるし、実際、そんな好転が見られない深刻な歴史的事例はいくらでもあったはずだ。しかし、恐るべき「自然減」の話を聞けば、説得力があるし、実際、現場で観察を続けたジャーナリストや研究者たちは、この辺の世代的な変化を生々しく感じ取っていたようだ(Gina Kolata, “Selling Crack: The Myth of Wealth — A Special Report: Despite Its Promise of Riches, The Crack Trade Seldom Pays,”
The New York Times, November 26, 1989)。

90年代の突然の犯罪減少だけ見ると本質がつかめない

いずれにしもこれでクラック禍は収まった。長期的減少傾向の流れが復活した。このため1990年代に突然急速な犯罪減少が起こったように見えた。なぜ1990年代だったのかの原因探しが始まった。だが、それだと事の本質はつかめない。ずっと前からの長期的減少傾向に分析の対象を移さねばならない。あるいは、90年代になぜ減ったかよりも、なぜ60年代から、70~80年代に増えたのかの方を分析しなければならない。それは次稿で詳述するが、薬物の話がでたので、ここで、薬物オーバードース死など社会政策的観点から重要と思われる日米の死因別死者数を下記に掲ておく。

日米の死因比較 -高い米国の薬物死

これを見ても明らかにように、米国の薬物オーバードースによる死者は現在に至ってもなお6万人を超え、殺人被害者数の4倍近くになっている。殺人が減る一方、薬物オーバードース死は1980年代から一貫して増加している。殺人が減ったからいいという問題ではまったくなく、アメリカ社会が依然として抱える深い闇を示している(Josh Katz June, ”Drug Deaths in America Are Rising Faster Than Ever,” New York Times, June 5, 2017)。

また、薬物以外でも、アルコール中毒死、殺人、交通事故死など、いずれも米国が圧倒的に深刻な状況を抱えているということがわかる。そんな米国と比べてはいけないが、日本の薬物・アルコール中毒での死亡は、統計さえ取られておらず、年数件がニュースなどで大きく報じられ、個別事例がよくわかるレベルだ。アルコール中毒では死者数でなく救急搬送者数の統計が取られている(増えているので要注意)。ただ、自殺者数に関しては、人口当たりで日本の方が依然、米国を上回っていることに注意しなければならない。

表:日米の死因別死者数(年間)

  •                                     アメリカ          日本
  • 薬物オーバードース     66,324 (1)          3 (2)
  • 急性アルコール中毒       2,200 (3)          2 (4)
  • 殺人                          17,250 (5)       289 (6)
  • 交通事故                    40,200 (7)     3,694 (8)
  • 自殺                          44,193 (9)   20,984 (10)

*注:米国人口は日本の約2.5倍