犯罪減少の原因:団塊世代の高齢化

ニューヨーク市の1970年代以降(明確には90年代以降)の長期的犯罪減少はなぜ起こったのか。様々な理論がある中で、団塊世代が犯罪率の高い若年期を過ぎ、高齢化したからだという説が、最も有力で検証に耐える説だと私は考える。

「暴力の人類史」まではたどらない

犯罪減少は実はさらに長期的な傾向で、人類史全体のレベルからも言えるという論もある。スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(幾島幸子, 塩原通緒訳、青土社、2015年。原著:Steven Pinker, The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined, Penguin Books, 2012)がそう主張している。興味深い分野がだ、もちろんここではそこまでは論じない。より現代に近い第二次大戦後の動きに絞る。

(なお、ピンカーの言うように、第一次、第二次大戦の死者、中ソなどで起こった粛清や飢餓の犠牲者は絶対数では膨大だが、人口当たりにすると、例えば中国・唐代の安史の乱(9世紀)や13世紀のモンゴル世界制覇などでの犠牲者の方が遥かに比率が高かったという議論は、史料分析上の誤解、モンゴルに対する伝統的な偏見などがあり、いくつか修正が必要だと思われる。)

若年層で犯罪が多い

日本で今、「キレる高齢者」の問題が注目されている。高齢者の一員として私もこの問題は充分認識して「おる」。決して無視するわけではない。数が多い団塊の世代が高齢化し、平均寿命も延びれば、悪さを働く高齢者も増えては来るだろう。しかし、冷静に考えれば、高齢者の犯罪は統計的には高くなく、やはりエネルギーがあり余る若年層で犯罪率が高くなる。したがって若年層が多い時ほど犯罪は統計的に多くなるのが物事の道理だ。例えば、分かりやすいグラフを作成してくれたこのサイトによると、現代日本の10万人当たりの凶悪犯検挙数は60代2.3人、70代以上0.8人に対して10代16.2人、20代10.3人となっている。米国の統計でも例年、24才以下の若年層の暴力的犯罪による逮捕は、25才以上の約5倍(Jeffrey Butts and Jeremy, The Rise and Fall of. American Youth Violence: 1980 to 2000, Urban Institute, 2002)。犯罪逮捕者の半数は30才以下で、犯罪ピーク年齢は、殺人と薬物関連で19才、強姦18才、器物損壊16才などとなっている(Dana Goldstein, “Too Old to Commit Crime,” New York Times, March 20, 2015)。

「団塊の世代」青年期に犯罪率が上昇した

戦後の時代で、突出して人口が多かったのはベビーブーマー、日本では「団塊の世代」と言われる世代だ。これが10代後半、20代前半を迎える時に犯罪が多くなり、歳が行けば社会全体の犯罪率も下がる。ある意味、非常に簡単な法則によって犯罪率の変化は起こった。それが真相だ。

さらにこの世代は反体制を掲げ社会的に大いにあばれまわり、それなりの逸脱も含めて全体的に社会的活気?をことのほか増幅させたことは否めない。団塊世代の末尾付近に位置する私としても、この点の批判は粛々と受けなければならない。

アメリカの殺人率推移を見ると、このベビーブーマーの動向が如実に反映されていることがわかる。彼らが青年期に入る1960年代から犯罪率が徐々に上昇し、1970年代に高いレベルに達する。1980年以降は、クラック禍で一時的急上昇はあるものの、徐々に下降線をたどる。なお、このクラック禍の時期(1984~1990年)を中心とした犯罪増大も、団塊ジュニア(米国では「ジェネレーションX」)が青年期に達して若年人口が増大した時期と重なる。

日本の場合、殺人率は上昇しなかった

日本の場合は、殺人率に限ると、団塊世代の青年期に目立った上昇が現れていない。戦後、一貫して減り続けている。しかし、凶悪犯(殺人、強盗、強姦、放火)、粗暴犯(傷害、暴行、脅迫、恐喝、凶器準備集合)を含めた全体の犯罪率を見ると、やはり1950年代末から1960年代に突出した上昇が見られる。このサイトでその事情をよく理解できる。法務省『犯罪白書』のデータをもとに少年犯罪が決して増えていないことを示したサイトだが、グラフが的確で、1960年前後の犯罪率上昇を明瞭に示してくれる。

恐らくアメリカの場合、銃の存在が大きい。ちょっとした暴力沙汰や強盗でも銃があると直ちに殺人に移行する。日本の場合はそこまではいかない。1990年前後で、ニューヨーク市の殺人の約7割が銃によるものだった。米国と英国の犯罪を比べても、強盗の発生率はほぼ同じだが、それが銃による殺人に発展するのは米国の方が54倍多いという(Franklin E. Zimring &‎ Gordon Hawkins, Crime Is Not the Problem: Lethal Violence in America, Oxford University Press, 1999)。

また、アメリカでは1960年代の激動が社会全体に大きく広がったという要因もある。日本でも内ゲバなど凶悪犯罪があったが、社会全体で統計的な差異をもたらすほどの拡散はなかった。しかし、アメリカでは、ベトナム反戦運動、学生運動、ヒッピー文化ばかりでなく、黒人公民権運動が高まり、それに飽き足らない層から「ブラックパワー」を掲げる武装した運動が出てきた。何よりも60年代後半から全米の都市で黒人暴動が頻発し、社会を大きく揺るがすとともに、多数の死者が出た。そうした一連の社会的激動が凶悪犯罪の発生率に反映したと思われる。

ベビーブーマー高齢化と文化変容

米国で「ベビーブーマー」は1946~1964年に生まれた世代を指している。彼らは1980年に16~34才、1995年には31~49才になった。「30才以上の者を信じるな」と叫んでいた人たちが皆30を越えたわけだ。あばれていた人たちも落ち着いてくる。犯罪率も全般的に下降する。

前々稿から参照しているカーメン『ニューヨーク殺人ミステリー』(Andrew Karmen, New York Murder Mystery, New York University Press, 2000)は、この人口・世代的な「デモグラフィック」な変化に対応して、世代間の文化的な変化も大きな意味をもったと指摘している。次の「ポスト・ベビーブーマー」「ベビーバスター」「ジェネレーションX」と呼ばれる世代(1965~1978年生まれ)は前の世代と文化的にかなり違っていた。こうした文化的な変化がどう犯罪率に影響したかを数量的に検証するのは難しいとしながら(同書、p.249)、次のように言う。

「1960年代の余韻は70年代も一部継続した。70年代末から80年代になるとベビーブーマーは中年にさしかかった。家庭、学校、政府機関、企業、その他彼らがこれまで挑戦・批判・抵抗してきた枢要な機構、組織で、より大きな役割を果たすようになる。彼らは成熟するにつれ反抗精神を弱め、プロテスト活動 ―そして一部は街中の犯罪― から大挙して身を引き始めた。代わりに、彼らの子どもである次の世代が、関心と憂慮の対象となっていった。」(同書、p.251)

ベビーブーマーたちは、ジェネレーションX世代が不平を言うだけの漂流者だと批判したり、逆に、自立して賢明な選択をする実務家だと持ち上げたりした。評価は分かれたが、「しかし、彼らが非政治的になったということについては大方意見が一致した。各種調査によると、次の世代はベビーブーマーに比して、集団的抗議で自分たちの主張を訴えようとせず、市民的意識が不明瞭で、政党、リーダー、政府機構、さらには同世代のアメリカ人に対する信頼も低かった。一貫したイデオロギーを避け、左・右など古くさい政治的ラベルから距離を置いた。…そして、身近な問題に関心を向け、個人の幸福追及と、拡大する消費文化がもたらす物質的な豊かさ、便利さ、快適さの享受に没頭した。」(同書、pp.252-253)

犯罪的行動をクールとしない風潮

このような世代的変化は、「リトルブラザー症候群」とも関連し、犯罪多発地域の街頭に居る若者たちにも反映したとカーメンは続ける。「若者たちが讃えヒップでクールだと思うことについて、大きな変化が生じた。アウトサイダーに身を置き、薬物に浸って社会規範に逆らい、銃の所持を地位と力のシンボルと感じ、略奪し支配する者をロールモデルとし、権威に敵対し、法を守り正直かつ懸命に働く人たちを侮蔑し、無法者と一体化して彼らを警察に通報せず不利な証言もせず、服役は大人になる儀式、タフさの証明、プライドと栄誉のしるしと考える。そうしたすべてのことがクールとは考えない風潮が広がった。」(同書、p.253)

以上のようなベビーブーマーの若年層からの退去という人口・世代的な変化、そしてそれに伴う文化的変動が、1980年代以降の長期的犯罪減少の根底にあった。もっとも、カーメンの論理構成は、この他にも様々な要因を挙げ、あくまでもそれら全体が複合的に犯罪減少を招いたとするのだが、私はやはりこの人口・世代的な変化を最大の要因と考える。

大学教育は犯罪を減らしたか

カーメンが様々に上げる犯罪減少要因として、もう一つ、高等教育の普及という論点がある。大学教育に携わってきた私としても、これはなかなか興味深い視点だ。大学教育が次第に拡大し、貧しいスラム街の若者たちの多くも2年制大学などに通うようになり、それが犯罪抑止の一因になった、としている。

「殺人に関していうと、18~24才の年齢層が最も高い率を示す。この年代は、通常、大学に行く年齢層だ。彼らがこの混乱に満ちた時期をどのように過ごすかは犯罪の増減を大きく左右する。学生のサブカルチャーは、街頭カルチャーと大きく異なる。」(同書、p.209)。

現在、ニューヨーク市には110の2年制・4年制大学があり約60万の学生が学ぶ(” Education in New York City,” Wikipedia)。1990年代でも学生数40万人に達しており、あまり言われないが、ニューヨークは「全米最大の大学町」だった。特に、全体の半分を受け入れるニューヨーク市立大学(CUNY)システムは、貧しい地域を含め市内各地にキャンパスを置き(2年制大学7校、4年制大学12校、大学院7校)、安価な学費で、高卒者をだれでも受け入れる「オープン・アドミッション」方針を取っていた。大学教育を受けたことのある人は1970年に市人口の19%だったが、1990年までに42%に増加。市内高卒者で大学に行く生徒は77年の76%から97年の87%に増えた。全米平均値は79年49%、97年69%だから、それを上回る。黒人、ヒスパニック系は白人層より低めだが、それでも97年までに81%に上昇した(同書、pp.209-211)。

犯罪抑止策としての大学教育拡大

カーメンは続ける。「結論的に言うと、大学に行くことは、特に黒人とヒスパニックの若者にとって効果的にリスクを削減する要因 ―殺すこと殺されること両面で― となった。…大学教育を受ける層が拡大するとともに、街頭ギャング加入、薬物取引、強盗、窃盗、車盗み、銃所持といった高リスク・低利益活動に取り込まれる若者が減った。より多くの若年層を大学に送ることは、賢明な犯罪抑止戦略としても機能した。ニューヨーク市が1960年代末から行ってきたこの長期的な教育投資策が1990年代にいよいよ効果を表してきた。」(同書、p.214)

こうした分析から彼は、政策的提言としても、できるだけ多くの高卒者を大学教育に触れさせることをトップに掲げる。

「まず第1に、高卒者のほとんどを、たとえ大学教育の準備ができてなくても、卒業する見込みがなくとも、大学に行くよう勧めることが犯罪減少の社会目的に合致する。すべての者を高等教育に触れさせることは、多くの理由から健全な社会的投資と言えるが、今後は、副次効果として街頭カルチャー価値観への対抗策となることも、その理由の一つに加えることができる。」(同書、p.265)

現在、大学進学率は日本で51%、アメリカで74%に達する。日本では、入学者増大に伴い「大学教育・研究の質が落ちる」との批判も出ているが、そういう人から見れば、このカーメンの提言は驚愕すべきものだろう。大学に行かせれば犯罪防止になる…そんなものなのかい、大学教育とは!という怒りが聞こえてきそうだ。しかし、そうした面からもこのカーメンの提起は興味深いし刺激的だ。高等教育を社会政策的に若者の犯罪防止手段として位置づけるなら、50%を超える大学進学率は何ら問題ではないし、大学教育内部で、新たな挑戦と変革の課題が生じることにもなる。教員の心構えも違ったものになろう。大学教育に携わってきた者としてこれはかなり刺激的だ。

厳密な論証と言えるか

カーメン以外にも、大学教育拡大が犯罪抑制につながったとする主張は多い。しかし、本当に大学に通わせることで犯罪が減ったのか、その辺の論証には疑問が残る。統計的に大学への進学率上昇と犯罪減少が並行したからといって、前者が原因で後者が起こったと即断することはできない。逆に、警察力で若者の犯罪や街頭ギャング化を阻止したからまっとうに大学に行く若者が増えた、と言うこともできる。あるいはまったく別の主要因、例えば全体的に所得が上昇したため、大学進学率も高まり犯罪も減った、と言うことも可能だ。

カーメンも大学の教員だ。大学教育が社会にいい効果がもたらしたと考えたいというのはわかるし、共感できる。一般に「教育」「大学」などのイメージは良い。その拡大が犯罪を抑止したというのは論証抜きで納得されやすいかも知れない。だが危うい。

ビデオゲームは犯罪を減らしたか

それを言うなら、「ビデオゲームの普及で犯罪が減った」という他で言われる議論も成り立つ。この時期、統計的には、犯罪の減少はインターネットの拡大、コンピュータ・ゲームの普及と並行していた。しかし、だからと言ってビデオゲームが犯罪を減らしたと言えるか。確かに「ニンテンドー」で青少年は家にこもり、街頭に出て悪さをすることは減ったかも知れない。根拠がなくはない。暴力的なビデオゲームで犯罪が増えたという議論もあるが、それでも総体的には犯罪を減らしたかも知れない。

サッカーする若者が増えて犯罪が減ったか

あるいは、私の勝手な主張だが、サッカーする若者が増えたから犯罪が減った、という言い方もできる。サッカーだけの統計は見当たらないが、米国の15~24才年齢層で、毎日何らかの運動をする人は2003年の22%から2013年の26%へと着実に増えている(Rose A. Woods, “Sports and Exercise,” May 2017)。若者が活発にスポーツするようになれば、悪さに走る者も減るというのはかなり当を得ていよう。これも明確な論証はできないが、少なくとも大学教育の効果よりは大きいように思われる。

親との同居で犯罪が減ったか

また、若者の親との同居率が増えたから犯罪が減った、という議論もある。日本では「パラサイト・シングル」が問題となっているが、アメリカでも親との同居が増えている。18~34才年齢層で親と同居する者は、1975年に1470万人(全体の26%)だったのが、2016年には2290万人(同31%)に増えた。米国では普通、子どもは高校を卒業したら自立すると考えられているのでこれは大きな変化だ。特に黒人層は16年37%と高かった。家族的つながりの強いはずのアジア系は意外と低く、26%だった(Jonathan Vespa, “The Changing Economics and Demographics of Young Adulthood: 1975–2016,” US Census Bureau, April 2017)。

同居していても親は子を十分監督できないものだが、それでも破局的段階に進むのは統計的には減るだろう。日本では引きこもりも含めて多くの問題を家族が抱えてしまい、家庭内で破局的な事態が起こることも少なくない。外での犯罪が少なくなればいい、だけは済まない問題であることを示唆するが、それでも、少なくとも統計上は外での犯罪は減るだろう。

移民の増大

こうした様々な犯罪減少の要因がとりざたされる中、やはり、論証に耐える確実な要因は、団塊の世代の高齢化という人口的・世代的な変化だと私は考えるわけだ。そしてこの人口的・世代的な要因については、移民の増大も一定の役割を果たしている。カーメンもこの点はかなり強調していて、政策提言の2番目に「勤勉な移民をニューヨーク市の多文化混合体に歓迎していくこと」を挙げている(同書、p.265)。これについては稿を改めて詳論する。