きょう(2月21日)のニューヨークは24°C。調べなくても、明らかに今年最高の気温だとわかる。まだ2月だというのに。
(昼頃で24度。その後さらに上がって公式発表では華氏78度=摂氏26度。2月21日の記録として1930年の20度を越え過去最高。2月の気温としてもそれまでの記録24度を越え、観測史上最高となった。)
こんな日に、家の中で論文書きしていたくない。
外に出ると、暖かい空気に身を包まれた。本当に久しぶりのあの感覚。街行く人に短パンの人が居る。しかし、これまで寒かったので厚いジャンパー姿も。私はももひきを履いて出たが、明らかに暑すぎるだろう。直射日光に当たらない建物の影側の歩道を歩く。そんな、これまた久しぶりの生活上の考慮も頭の中でまわりはじめた。
公園に行くと、バスケットコートにたくさん人が出て満員。冬の間、バスケする人たちはほとんど居なかったが、久しぶりに見る光景だ。
散歩道や芝生にも人が出て、児童公園は子どもたちであふれていた。遠くに見えるマンハッタンのビル街は、春のぬくみで霞んでいた。
ーーーーーーー蛇足・余談ーーーーーーー
最低で連日零下10度前後という時期を体験してきて、温度感覚が変わった。零下は並みの気温だ。テレビで零下60度になったシベリアの映像を流していた。零下60度でも人間は生きられる。ヒト族は長い間(数百万年?)、30度前後の熱帯地方で暮らしてきたが、考えてみるとそれは上限ぎりぎり。あと10度上がったら(40度)、かなりが熱中症で死んでしまう。下なら、防寒対策をすれば零下60度まで生きられる。許容幅は約100度。そのかなり上の方で私たちは暮らしてきた。
しかし、面白いことに自然界は逆だ。温度の下限が零下273度と決まっている。上限はなく、何万度でも何億度にもなれる。ビッグバンの最初の瞬間は1兆度だったという。私たちはそのかなり下限近いところで生を受けた。星の内部で1000万度以上の核融合が起こっている中に、まったく別の生物、というより何らかの物質エネルギー定常系が存在するかも知れない。