YMCA

西城秀樹さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りする。

こんな時に不謹慎なのだが、日本語版の曲「YMCA」を歌っていたのが西城さんだと初めて知った。いや、そう深く認識した、というべきか。日本でも歌われているということは前から知っていたが、あまり詳しく詮索することがなかったのだと思う。

私のカラオケ定番はこのYMCAで、大好きな曲だ。だが、英語の歌だ(Village People, “Y.M.C.A.,” 1978)。息子の結婚式の披露宴でこれを歌って大いに受けた。いや、予想以上に盛り上がってこっちが驚いた。私はカラオケの画面(英語の歌詞)を見ながらそれなりにまじめに歌っていたつもりなのだが、ふと後ろを見たら若い連中が立ち上がってそこら中を練り歩き踊りまくっているではないか。びっくりした。後でその一人から「英語で歌うのもいいですね」と言われて、日本でもこの曲が大いに歌われていることを認識した。西城さん、あなただったのですね。失礼していました。

息子の結婚式披露宴でYMCAを歌う親、ってどういう親?とニンマリする顔が見えてきそうなので、私がこの曲を好きになった経緯を書いておきたい。

日本語に移し替えられたYMCAは原曲の持つ意味を全面的に引き継いでいない気がする。(ま、それはそれでいいんだし、あの能天気なお騒ぎの面は正確に受け継いではいるんだが。) 例えばYMCAが、若者の利用する格安の宿泊施設だということも知らないで歌っている人も居るようだ。(確かに日本語の歌詞ではYMCAが何のことかまるでわからないし、何もYMCAが出てこなくてもよいのだ。)

ネット上の書き込みを見ると、「あれはアメリカではゲイの歌なんだ」という心ない書き込みが見られる。それで鬼の首でも取ったかのようなシニシズムを発散させる。そう受け取られていい内容があるし(歌詞の二重性)、曲をつくった人たちもそう思われて大いに結構、偏見はまるでない、といったところがある。しかし、その作詞者の一人でリードシンガーのビクター・ウィリス(黒人警察官踊り手)はゲイではないし、ゲイを歌った曲でもないということを明確にしている。グループ内でゲイであることオープンにしているフィリッペ・ローズ(先住民踊り手)も、つくられた経緯から言ってもあの曲はゲイの曲ではないと言っている

私が気に入った理由はあの曲の音楽ビデオ(上記)だ。大の大人、立派な男たちが、「YMCAに行けば楽しいよ」「新しい街に来たらYMCAに行こう」という単純なほどバカげたセリフを真面目に歌い、手をたたきながら歌い踊っていることだ。黒人、先住民、白人、ラティノなど人種的にバランスのとれたメンバーをそろえているところがいい(おいおい、アジア系が居ないぞ)。こいつらがいっしょになってYMCAの前でバカ騒ぎを繰り返している。

あの曲が全米を風靡したのは、そういう事情があったからと思う。黒人だって白人だって皆あの歌を天真爛漫に、思いっきり歌いたい。人種・民族に分け隔てられた社会で、そんなのなしだぜ、YMCAでみんな仲良くやろうぜ、と狂騒する歌が、涙が出るほどたまらなく感動的なのだ。同性愛への差別・偏見とかそういう問題もかかわるとしたらそれは歓迎すべきところ。そんな問題も含めて全部ぶっとばしてさあ歌おう、踊ろうというこのノリが素晴らしいのだ。

その意味でのこの曲の高い芸術性(?)、破壊性、革命性、にもかかわらずそんなこと微塵も感じさせない能天気性は、日本語の歌詞では失われている(能天気性以外は)、と思う。まあ、それは日本の社会状況から仕方がないのかも知れないが。

オンライン誌「ハフィングトン・ポスト」のベンジャミン・ボウルズは「ビレッジ・ピープルは、単に楽しい時間をもつことさえ微妙に政治的行動の一形態になりえる時代に活動した」と解説しながら、オリジナルメンバーのフィリッペ・ローズから次の言葉を引き出している。

「1970年代には、ディスコがゲイ、黒人、ラティノらのメルティングポットだった。バランスを取るための白人もクラブに居たが、ドナ・サマーのような歌手が出る前のこの時代、そうしたアンダーグランドの人たちが主体だった。みんな、踊ることで外での問題や不正義を忘れた。」(Benjamin Boles, “Gay Village People Co-Founder Says ‘YMCA’ Not A Gay Song“)

「YMCA」を日本に広めてくれた西城秀樹さんに感謝する。私も引き続きこれを大いに歌いたい。ついでにメッセージも広げられたらなおいい。