続・ストリートバスケ名所 ―独立記念日にラッカーパークなど

7月4日、独立記念日。きょうもアパートに居ると暑いので、とにかく外に出る。あてもなくバスに乗る。めっぽう冷房が効いている。独立記念日だ、街でいろんなことをやっているかも知れない、と思ったのだが、何もやっていない。店は閉まり、人は少なく、歩道に出されたゴミ袋が目立つ。

バークレイズ・センター
ブルックリン中心部にある屋内スタジアム「バークレイズ・センター」。2012年完成。NBAバスケットボールでは「ブルックリン・ネッツ」がここを本拠とする。ニューヨークにはもう一つ「ニューヨーク・ニックス」というチームがあり、これはマンハッタン中心部マジソン・スクエア・ガーデンを本拠としている。同じ市内にマンハッタンとブルックリンのチームがあるというのは、やはり過去からの因縁か。かつての独立都市ブルックリンは何かとマンハッタンと張り合っているが、経済規模にしても美術館にしてもマンハッタンにかなわない。プロ・バスケチームも、ブルックリン・ネッツの方が弱く、チケットも安いようだ。

ストリートバスケ揺籃の地・ラッカーパーク

マンハッタンに足を伸ばすことにした。この間の続きだ。ストリートバスケ名所探索といこう。いっきょにハーレムの奥、ストリートバスケの聖地中の聖地、ラッカーパークに行く。私の最寄り地下鉄D線で簡単に行ける。マンハッタン中心部を過ぎ155番ストリート駅で降りると、ほぼすぐ前がラッカー公園だった。ハーレムの市公園局プレーグランド担当で、若者向けバスケ・トーナメントを創始するなどストリートバスケ文化形成に貢献したホルコウム・ラッカー(1926 – 1965)にちなんだ公園名。そのバスケコートは、ストリートバスケ揺籃の地とされる。ここから多くのNBAプレーヤーも輩出された。

(ストリートバスケは公園など屋外で行われる主に3対3のバスケットボール競技。動きの華麗さを競う側面が強く、公園ごとにルールが違うなど自由な形式で、米国の貧しい若者たちの間に独自文化を形成した。ダンクシュート(スラムダンク)やクロスオーバー(左右に大きく振るドリブル)などの新テクニックを発展させ、公式のバスケットボール競技にも大きな影響を与えたとされる。)

ラッカーパークはごく普通の街の公園だ。近所の子どもや若者が遊びに来る。野球場があって子どもの遊び場があって、その一角にバスケコートがある。スコアボードや観客席がしつらえてあるが、1面だけのごく普通のコート。ネットがちゃんとついているだけ他の公園コートより立派だが。私が行ったときには片方のゴールで子どもが遊び、他の片方で近所かららしい青少年たちが3対3をやっていた。そんなにうまくない。

 

ホルコウム・ラッカー・バスケットボール・プレーグランド。
ホルコウム・ラッカー公園のホルコウム・ラッカー・バスケコート。
ラッカー・バスケコート。
近所の若者が3対3をしていた。観客席には子どもを遊ばせるお母さんたちがすわっていた。
ラッカー公園
ごく普通の街の公園。その一角にある小さいコートだ。独立記念日の休日だったが、暑いせいか人出が少なかった。
ハーレム川
すぐそばがハーレム川。マッコウムズ・ダム橋がかかっている(19世紀にダムがあったが、水運の妨げになるため撤去された)。同橋から北(上流)方向の眺め。左手がマンハッタン(ハーレム)、右手がブロンクス。ラッカー公園は左側。つまり、ハーレム川の河原につくられたような公園だ。河岸段丘の高台(クーガン断崖)が迫っている。   ハーレム川はマンハッタンを米本土から切り離し、マンハッタンを島にしている。この辺の川は潮の影響が強く、川か海峡か区別がつきにくい。ハーレム川はハドソン川から枝分かれしてイーストリバーに合流するが、ハドソン川はかなり上流まで潮の影響があり、イーストリバーは明らかに海峡で、ニューヨーク湾とロングアイランド海峡とを接続するのみ。ハーレム川も潮の影響が強く、この日も川が「上流」に向かって流れていた。
ラッカー公園
橋の上から見たラッカー公園。
ヤンキースタジアム
マッコウムズ・ダム橋を渡るとブロンクス区に入る。そこに立派な野球場ヤンキースタジアムがある。ヤンキースのホーム球場だ。
マッコウムズ・ダム公園
ヤンキースタジアムと道路(161番ストリート)を隔てた向かい側にマッコウムズ・ダム公園。立派な陸上競技場がある。
マッコウム・ダム・バスケコート
陸上競技場のわきにバスケコートが2面あった。ブロンクスでは最も人気のあるコートというが。
マッコウム・ダム・バスケコート
バスケコートは場所を取らない。このコートも、立派なヤンキースタジアムや陸上競技場(兼サッカー・フットボール競技場)の片隅に目立たず存在するのみ(左手)。
ムラリー公園のバスケコート
ヤンキースタジアムの裏側(北側)にあるムラリー公園のバスケコート。2面。
ムラリー公園には、ニューヨークで最も古いスケートボード競技場(スケートパーク)がある(1988年建造)。曲乗り自転車、スクーターボードなど様々な他の「車輪系」スポーツも。

 

シュガーヒル地域
再びマンハッタン側に戻りバスに乗る。ハーレム川の崖の上は「シュガー・ヒル」地区。富める黒人層が住んだ「スイートな」(甘い)地域だったゆえの命名。市の歴史的町並み地域の指定を受けている。
ハーレムの繁華街。125番ストリート。
シュガー・ヒル地域から乗る2番の市バスはなかなか面白いルートを通る。ハーレム川をかすめ、ハーレム地域のど真ん中を縦断。ジャズの名所「アポロ・セアター」などがあるハーレム一番の繁華街、125番ストリート(上記写真)を通り、セントラルパーク沿いに通称「ミュージアム通り」を南下する。ルーブルや大英博物館と肩を並べるメトロポリタン美術館前も通る。5番街の目抜き通りをさらに南下すると、左手にトランプタワーやセントパトリック教会、左手にニューヨーク公共図書館本館、エンパイアーステートビルがある。マジソンスクエア公園付近で鋭角三角形のフラティロン・ビルをかすめ、最後にはグリニッジビレッジの中心となるワシントンスクエア公園に至る。前回の書き込みで示したようにこの周辺に有名ジャズクラブ「ブルーノート」や、ストリートバスケの聖地「West 4th Street」コートがある。地下鉄だと何も見えない。たまにはゆっくりと市バスに乗ってみることをお勧めする。
ブライアントパーク。
途中、ニューヨーク公共図書館前で下り、その裏手のブライアント・パークを覗いたが、ごく普通の市民の憩いの時間だった。(つまり、何のイベントもしていなかった。独立記念日なのに。)
バーベキュー・パーティ
独立記念日の行事は夜の花火大会に集約されているようで、昼間は何もやっていない、ということがわかった。ただ、庶民にとってはバーベキューをする日ということになっているらしく、あちこちの公園でバーベキュー・パーティが見られた(ブロンクスのヤンキースタジアム近くの小公園で。)

独立記念日感想

しかし、独立記念日の主要行事がほぼ花火大会だけ、というのは、人様のこととは言え、どうなんでしょう。あ、ニューヨークにはホットドッグの早食い大会という有名なイベントもありましたね(ブルックリンの行楽地コニーアイランドで行われるNathan’s Hot Dog Eating Contest)。パレードさえ、スタテン島の一部以外なかったようで。ま、ええか。多くの人は土日をはさんで休日をとり、どっかに行楽に行ってしまった。そもそも、一般庶民は「独立記念日」などと言うより、この祭日を「ジュライ・フォース」(July 4th)としか言っていない気がする。「7月4日」だけでは、何の日かわからないでしょう。

歴史をひも解くと、そもそも、大陸会議(後の連邦議会)が独立を決議したのは1776年7月2日だったらしい。7月4日は、その決議の正式説明文書「独立宣言」の最終版が採択された日だった。独立決議に主導的役割を果たした建国の父ジョン・アダムス(第2代大統領)は、最後まで7月2日が独立記念日だとの立場をとっていた(英語版Wikipediaなどによる)。また、英国派の影響が強かったニューヨーク州はこのとき、2日の決議に参加せず、7月9日にようやく独立承認の決定を下している。さらに、「独立宣言」が正式に署名されたのは8月2日だ

花火大会 サンセット公園
夏時間のため、暗くなる午後9時頃から市内各所で花火大会が始まる。一番大きいのが、イーストリバー沿いで行われるMacy’s 4th of July Firework Show。30分程度のうちに約7万5000個の花火が打ち上げられ、世界最大規模だという(出ました、ニューヨークの「何事も世界一」メンタリティー)。何十万という人出でごった返するので、行くのはあきらめた。家の近くのサンセット公園から見ることにした。しかしここも相当の人出。写真の通り、花火は高層ビル街方向に小さく見えるだけなのだが。
イーストリバー方向だけでなく、近くではブルックリン南部のハミルトン基地、コニーアイランドなど様々なところで花火が打ち上げられる。いずれも見えないが、音だけはそこら中にとどろき、お祭り気分は高まる。
中国系フォークダンス
この喧騒の中にあって、中国系フォークダンス・サークルはいつも通り踊りを続けているのに、ただただ感心、感動した。

以上、独立記念日の一日は過ぎた。