本とは何か -ネットに本が埋もれる

電子書籍の作り方を解説した米国のサイトで、一番簡単なe-bookは、ネット上にワープロ文書を置いて公開することだ、という説明を見た。おいおい、違うだろう、そんなものは本と言わないだろう、と思ったが、待てよ、もしかしたそうかも知れない、などと頭が混乱した。

一般にオンライン・ストーレッジ(クラウド・ストーレッジ)と言われるサービスがある。バックアップのためなどでネット上のディスクにファイルを保存できるサイトだ。DropboxやGoogleドライブなど、使っている人は多いだろう。普通はパスワードで自分のためだけにファイル保存するが、パスワードを付けず、皆が見られる公開ファイルにすることもできる。ワープロでちょっと長めの文章(ユネスコでは49ページ以上を本だと規定しているらしい)を書いてアップしておけば、それが本、e-bookになるという。当面は無料配布本になるが、確かにWordでリンク型の目次や、絵入りの表紙もつくれるから、それが「本」だ、と言えば充分、電子本かも知れない。

本が印刷書籍だけだった時代から、電子書籍の時代になって、どうも本の正体はあいまいなったようだ。昔は「本」と言えば、重量があり、手のうえにポンと乗る実体物だった。自著なら、ああついに出来たなという達成感を感じられるブツ。読者から見ると、単独の書籍構造の中に一つのまとまった思想・主張が凝縮されているように感じる(幻覚する)かも知れないブツだ。

確かに「本にまとめる」という言葉がある通り、本は知の独立した媒体であり、何かが結晶した貴重な品物であった。(「ブログにまとめる」とはあまり言わないな。)

電子書籍もこの「本」を踏襲している。あくまで単体として独立した情報媒体。決してブログやウェブページのように広大なネット空間の中に浮き沈むあいまいな存在ではない。印刷物の本と同様、定価を付け、アマゾンその他ネット上の本屋で個別商品として売られる。購入すれば、「手に取る」ことはできないにしても、表紙があり目次があり、ページを開いて読み進める動作ができ、何より、そのブツの全体を示す本の題名も付けられている。『本とは何か』『本が売れないこれだけの理由』『本の歴史』などなど。本と同じように「読書」できる小型リーダーも出され、スマホでも読めるようになった。

しかし、これは本の電子化初期の単なる過渡期なのかも知れない。電子媒体なら別にこれまでの「本」にこだわる必要はない。例えばこのブログサイト全体が「本」だと言いくるめても間違いではない。電子なら、ネット上のリンクで自由に飛べるウェブページの方が読みやすい。ウェブサイト、ブログ、フェイスブック、ライン。電子情報を読みやすくする仕組みは工夫次第でいくらでもつくれる。かつて石、粘土、木皮、甲骨、木簡、竹簡、羊皮などからパピルス、紙の巻物、冊子へと技術革新が進んだように。

極端なところ、インターネット全体がひとつの巨大な本と考えてもいい。複数の人(かなりの多数だが)との共著だ。今のところ無料だが、グーグルさんなどが一括料金を取ってネット情報へのアクセスを保証する。読者は自由にいろんなサイトを読みまくり、ウェブページ著者にはそのアクセス数に応じて著作料が支払われる。

すでに、アマゾン様は、このような本の海を構築している。アマゾン・アンリミテッドは、会員制図書館のようなもので、一定の月額会費を払うと、その図書館にある電子本蔵書が読み放題になる。一般には雑誌の定期購読と同じ言葉「サブスクリプション」方式と言われる。期間決めで購読権を得、中にあるものを勝手に読みまくる。

私もアマゾン様のお世話になって電子本を出しているのだが、最近は個々の本が売れるよりこのサブスクリプション方式からの売上の方がずっと多い。読者が同方式で本を読むと、そのページ数に応じて著者に分け前が入る仕組みだ。印税ではなくてKENP (Kindle Edition Normalized Pages)と呼ばれる。毎月、これをもらいながら不思議な気持ちになる。本は売れてないんだよ。でも読まれたことへの著作料は入る。

日本語本だけで約20万冊の電子書籍群が広大な雑誌空間になったようなものだ。そこで、電子本は個々の記事のように読まれ、読まれた量に応じて著作料が銀行に振り込まれる。本は消えたのではないか。私の本は巨大な何かの単なる部分になり、その貢献に応じて分け前を頂く。何冊読まれたかでなく、ページ数にまで分解されて払われるところがにくいというか象徴的だ。

有料にはなっていないが、「Googleブックス」にも同じトレンドを感じる。グーグルは、「世界中に存在する全書籍129,864,880冊」(2010年8月現在)をオンライン化する巨大プロジェクトに取り組んだ(その意気やよし)。しかし、著作権侵害の訴えを起こされ、プロジェクトは途中で頓挫。が、グーグルはすでに2500万冊を電子化しているという(The Atlantic, 4/20/17)。世界中のどんな図書館の蔵書数より多い数だ。それを部分的に用いて、書籍中身を検索するサービスを提供している。「Googleブックス」からでもよいが、普通のグーグル検索からでも書籍内検索が行われる。決して本の全体は出ない。前後ある程度のページが表示される。それ以外、あるいは全体が読みたければその本を購入して下さい、と書籍購入の方向に導かれる。だから、出版業界としてもメリットがあるので成り立っているようだ。

だが、さすがにグーグル様、お見通しだ。我々著者は必ずしも全編にわたって貴重な情報を盛り込んで本を出すわけではない。重要箇所はその中の一部だったりする。読者はそこを検索でヒットさせて、あとは捨てればいい。そういう本が十中八、九だとわかっていて、グーグルさんはあのようなシステムを稼働させている。と考えるのはむろん売れない著作者の被害妄想だ。

いずれにしても、インターネットという巨大な知の集積の中で、書籍がその中に埋もれる日は確実に近づいている。存在するのは「ザ・知」とも言うべき巨大なネット空間。その中で個々の「本」は埋没し、かつて人々を魅了したあの魔術性を喪失する。