ニューヨークも晩秋11月

日本の皆様、11月になってきましたが、お元気ですか。ニューヨークは寒さの訪れが早いですが、日本も冷え込んできたでしょうね。

ただ、きょう11月1日はなぜか暖かく、シャツだけで歩いて汗ばむほどでした。公園にはバスケやサッカーをする若者たちが繰り出し、街にはまだハロウィーンの名残りで変な格好をした人たちを多く見ました。

でも天気は曇。11月らしく裏寂しい空です。その曇天の空と木々の覆いと、珍しく上を見上げて汗腺を開き、だらっと歩いてきました。紅葉がそろそろ終わり、散り始めているところです。

今回は身近な生活の話題ですが、サンフランシスコに引っ越した息子夫婦が、猫しか住んでいない友人の家に仮り住まい始めたそうです。近く改修の予定はあるそうですが、家族はハワイに長期旅行中だったり、結婚か何かで家を出たり、お父さんは亡くなっていたり、友人本人も妻のところに住んでいて、飼っていた猫にエサをやるだけに来るとのこと。びっくりしました。最近はニューヨークよりも家賃が高いと言われるあのサンフランシスコで、猫だけしか住んでいない家があるとは。

だから民泊紹介Airbnb、マイカー活用Uber、中古品販売Craigslist、ヤフオクなどがはやるのだな、と理解。無駄になっている資源がまわりにたくさんあります。それをネットを使って有効活用する。

息子夫婦の引っ越しを手伝っているとき、面白い出来事ががありました。私が南米旅行のお土産にあげたというマチュピチュ柄の小銭入れが出てきたのです。私は記憶がありませんでした。へえ、そんなもの贈ったっけ。それまで彼らは次々に貴重と思われる品々を捨てていたのですが、さすがにそれは私の目の前で捨てるわけにいかず、持って行ってくれたようです。

贈った方は忘れているけど、もらった方は覚えていて捨てるに捨てられない。これはよくない。贈り物経済の弱点です。だから私は普段から、お土産は買わない主義を通していたのですが。

彼らの引っ越しでも、今やっている私の引っ越しでも、捨てるものがたくさん出てきます。もったいないけど、そんなのを運んだり郵送したりしたらもっと高くつく。捨てざるを得ません。引っ越しで、人は人生の最後を小規模に予備体験します。これまで生きるために物が必要で、次々に買い込んでいたのに、今度は捨てる。うまく中古で売れればいいですが、だいたい残る。意を決して大量のものを断固として処分。そんなもんです、人生は。

実際、人が亡くなった時の遺品整理も何度か経験しましたが、本当にいろいろ出てきます。本人にとっては決して捨てられない貴重なものだった数々の品を捨てる。罪悪感を感じます。人の人生、皆こだわりというものがあり、いろんなものを抱え込み終末まで持ち込むものです。物にはその人が存在してだけ価値があったものというのが確実にあります。

それで、私は、生きているうちにできるだけこういう品を自分で処分するよう心がけています。子どもの頃の日記だとか、捨てるのは本当に身を切られますが、この役を残った人たちに回すのはもっと残酷です。いっきょに捨てましょう。

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何を言っているのだ、私は? 重苦しい空を見ながら歩くうち思考回路がそっちに行ったか。

ま、そんな11月1日のブルックリン・サンセット公園だったのですが、この時期の心象風景をよく表している曲にカーペンターズのクレッセント・ヌーンがありますね。下記にその動画リンクを貼りつけておきます。

まだ厳寒の冬は来ていない。しかし、豊穣な秋というにはちょっと遅い。天空の三日月に向かって季節が落ち行くような、厳しい凛とした季節。11月にはそんな独特の情緒があります。(Crescent Moon じゃなくて Noonなのが象徴的すぎるんですが)

アメリカ人にもこういう感覚を持った人たちが居るんですね。季節を細やかに感じる感性は日本人だけじゃないですぞ。他の曲群とは一味違ったカーペンターズの名作だと思います。この曲が日本のカラオケに入ってないが大いに不満。DAMさん、ジョイサウンドさん、よろしくお願いします。