既報通り、カターニアからマルタまで安い週1船便(23ユーロの)がキャンセルされた。しかたない、シチリア南端ポッツァーロまで行って、そこからの船に乗る他ない。これは毎日ある。しかし、マルタに近いのに、何と62ユーロだ。
ポッツァーロまで鉄道で9ユーロで行ける。日4便の始発(8時50分発)に乗るため、8日(土)、早めに宿を出た。が、駅の窓口で「休日はポッツァーロまでの便はない」とのご宣託。途中のシラクサまでならあるが、それも10時半とのこと。週末減便ならともかく、4便がゼロになるというのはやりすぎではないか。シラクサからバスはあるのか、と聞くが、「わからない」との返事。とにかくそこまで行く他ないだろう。
後で知ったが、この8日は単に土曜だっただけでなく、「無原罪の御宿りの日(インマコラータ)」という祝日だったようだ。聖母マリアがその母に受胎された日ということだ。それでこの土日が列車大幅削減になったらしい。日本なら祝日は臨時便が増えるのが普通だが。
(しかし、なるほど、カトリックでは「受胎日」が大切なのだ。中絶を禁じるのも当然となるだろう。)
旅の手はず、最善はつくす
10時半の出発までにやるべきことはやった。カターニアから直接ポッツァーロに行くバスはあるか調べに行った。予約サイトではなかったが、ネット予約以外のところで、実際には便が存在することもある。しかし、バス切符売り場は閉まっていた。そうです、休日ですよね。ポッツァーロからの船に乗る場合はフェリー会社がカターニアから港までバスを出すという情報もあったので、港の船会社にも行く。これも閉まっていた。確認できない。確実に来るのか確認できないバスを頼りにするわけにはいかない。
港からエトナ山がよく見えていい写真が撮れたのが望外の副産物だった。
鉄道でシラクサ、タクシーでポッツァーロ
鉄道はローカル線でもある程度スピードを出した。シラクサまでの料金は5ユーロ90セントとリーズナブル。平原にエトナ山の雄姿がよく見えたが、列車の窓があまりに汚れていていい写真は撮れない。
シラクサで降り、バスを探す。駅員、バス案内所、バスを待つ人、バックパッカー、運転手、手あたり次第聞くが、「わからない」か「きょうと明日はポッツァーロ行きはない」かの返事。「70ユーロのところ60ユーロにするぞ」と言い寄ってくるタクシー運転手をかわしながら右往左往したが、最後には、やはりそれにする他ないかと観念して、街中でも使わないタクシーの軍門に下る。
しかし、シラクサ・ポッツァーロ60ユーロ(7000円)は良心的だ。1時間かけて高速道路を約100キロ走った。日本なら数万円する。運転手も長距離のお客が取れて喜んでいたが、最初抵抗した私も、降りる時には内心喜んでいた。
ポッツァーロの街を徘徊
ポッツァーロ港の入口に午後1時半に降ろされた。船が出るのは8時半。天気はよいが、風が吹きすさぶ人っ子一人居ない岸壁だ。2~3キロ離れたポッツァーロの街に行くほかない。
街も人影がほとんどない。店も閉まって、繁華街もシャッター街だ。街の中心広場にベンチがあったので、そこに座り、これ記事(の下原稿)を書いた。パソコンのバッテリーが切れませんように。
一日4本の列車がゼロになってよく暴動が起こらないものだ、と思った。確かに田舎ではあるが、隣国への連絡船が出る港街だ。かといって、住民がタクシーに殺到するというわけでもなく、タクシー運転手が客の勧誘に必死になっていた。不思議だった。
貧乏人は飛行機に乗れ
バルカン半島側モンテネグロのポドゴリツァからローマ経由マルタ行き1万5000円の格安航空便があった。あれに乗った方が安上がりだったろう。バスと船と鉄道とさらにタクシーまで使い、交通費だけでその3倍近くかかった。これまで何度も経験済みだが、飛行機に乗ってしまった方が安い。貧乏人は飛行機に乗れ。陸海路を、景観という3Dパノラマを体感して進むのは最高の贅沢、極上のエンターテインメント。高い料金を払って行くのは当然なのだ。