ヨーロッパ文明の源流
ヨーロッパ各地に巨石文化遺跡がある。イギリス南部のストーンヘンジ、フランス・ブルターニュ地方のカルナック列石などが有名だ。しかし、マルタの巨石遺跡群がヨーロッパでは最も古い。ゴゾ島の巨石神殿遺跡ジュガンティーヤは紀元前4000年頃にまでたどれる。
ヨーロッパ文明の基礎は巨石文明だ。キリスト教もアテネの民主主義もローマ帝国も、さらには太古のケルト文明も、最近この地域にやってきた新参者に過ぎない。それ以前の数千年、もしかしたら、それよりさらに古く氷河期終結(約1万1000年前)以降の長い期間、この地域を覆っていたのは、巨石文化をつくった人々の文明だったかも知れない。
いったい、どういう文明だったのか。石の建造物が残るのみで、その生活と社会について多くを語ってくれない。
世界遺産「マルタの巨石神殿群」
マルタには約30の巨石神殿遺跡が確認されている。このうち上記ジュガンティーヤ遺跡(ゴゾ島)の他、タルシーン、ハジャー・イム、イムナイドラ、タ・ハージュラ、ソコルバ遺跡(以上マルタ島)を含め計6遺跡が「マルタの巨石神殿群」として世界遺産に登録されている。また、これとは別にハイポジム神殿(マルタ島)のハル・サフリエニの地下墳墓も世界遺産に登録された。
ゴゾ島のジュガンティーヤ遺跡についてはすでに紹介した。ここではマルタ島のタルシーン、ハジャー・イム、イムナイドラ遺跡に行った時の様子を報告する。
タルシーン神殿遺跡
ハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿
マルタ島の西側海岸近辺に巨石文化遺跡が多数立地している。バレッタなどマルタ都市地域は東部海岸にあるが、その反対側の人口の少ない一帯だ。
なぜ「巨石」だったのか
巨石文化遺跡は、ヨーロッパだけでなく、世界中に見られる。中東にはさらに古い遺跡があるというし、イースター島の「モアイ」は神秘的だ。日本にも小型ながら多様な巨石文化があったとされる。
多くの巨石遺跡を回りながら、なぜ巨石だったのか、確かに不思議だった。「宇宙人がつくった」とか「石を空中に浮かべて運ぶ未知の術を使っていた」など、怪しいが夢のある空想もされている。
しかし、よく考えると単純なことだ。コンクリート技術も使えず、木材を加工する金属器もなかった時代、ごく普通に構造物は石でつくる以外なかったのではないか。立派な建造物を構築するため、できるだけ大きな石を集め積み上げた。トロッコの原理で丸太や丸い石も利用したろうが、とにかく人を集めて力まかせでつくったのだろう。
世界に広がる巨石文化。謎でなく、ごくありふれた古代人の建築手法だったかも知れない。だから、世界中に「巨石文化」があってもおかしくない。
西部海岸部の荒々しい光景
マルタ島の東部(北東部)は海岸線が複雑に入り組み、良港ともなれば都市も発達した。しかし、西部(南西部)は単調だが切り立った荒々しい海岸線が続く。そこに古代人たちは神殿をつくった。
青の洞門
ハジャーム・イム神殿の約2キロ南には、奇岩「青の洞門」があり、観光名所になっている。岬の岩礁が波と風でアーチ状にえぐられている。ゴゾ島にも似たようなアーチ状の岩礁「アズール・ウィンドウ」があったが、2017年3月に嵐で崩壊、今では跡形もなくなった。この「青の洞門」もいずれは自然の営みで崩壊するのだろう。