映画カサブランカ
米国映画「カサブランカ」(1942年製作)。今もって高評価の「往年の名作」だ。アメリカ映画協会(AFI)が1998年と2007年に発表した「アメリカ映画ベスト100」(つまり、これまでのすべての 米国映画のベスト100)で、2位と3位につけた。
1941年12月、親ナチの仏ヴィシー政権下にあった仏領モロッコのカサブランカが舞台。主人公、アメリカ人のリック(ハンフリー・ボガード)が経営するナイトクラブに、かつての恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)が夫を伴って偶然やってくる。で始まるロマンス+アクション映画。カサブランカという都市は知らなくても映画「カサブランカ」を知っている人は多いだろう。トレンチコートを着たハンフリー・ボガードが夜霧の中、離陸しようとする飛行機の前で、「君は夫と行くんだ」とイングリッド・バーグマンを説得する、あの格好いいクライマックス・シーンをどこかで見たことがあるだろう。
あんな映画が太平洋戦争中の1942年につくられ、米国民が喜んで見ていた。当時の日本はどうだ? 欲しがりません勝つまでは…鬼畜米英を…。戦争敗けるわけだわ。前にもアメリカの図書館で太平洋戦争中の米国新聞を閲覧して驚いたことがある。ちゃんとコカ・コーラの広告が載り、現在の商業紙とあまり変わらない紙面があった。敗けるわけだ、と思ったのは2回目だった。
そしてあの映画は戦争動員のプロパガンダ映画だったともいう。え、あの恋愛映画のどこが? しかし、確かに主人公リックは、かつてスペインのレジスタンス運動に参加した経歴があり、カサブランカでのん気なナイトクラブ兼違法とばく場を経営していたが、最後はイルザと別れ、対独戦に向かうのを示唆するかのように、「盟友」(!)ルノー警察署長とともに、闇の中に消える。取って付けたような結末で、好きだった女性に「私にはやることがある」などと言うのは、野暮だし違和感があったが、その文脈では確かに対独戦へのプロパガンダと言えなくもない。軍艦マーチもないし、勇ましい話は出てこない。男と女の愛と切ない別れ。多くの観客が心を締め付けられたであろう、あのような「プロパガンダ映画」をつくられては、やはり敗けるわけだ。やっと戦争の敗因がわかった。
実物のカサブランカ
そのモロッコ・カサブランカ(人口340万)に着いた。あの映画は現地ロケではなく、すべてハリウッドでつくられたものであるのはわかっていた(そもそも、戦時中に米ハリウッドが、親ナチ政権下の仏領植民地で映画ロケなどできるわけがない)。しかし、せっかく旅の途上だ。訪れない手はない。
カサブランカ空港は近代的でヨーロッパの空港に近かった。ここがボガードら2人が決定的に別れた空港か、などとはむろん思わない。現地ロケでないし、独立後、30キロ離れた郊外にオープンした国際空港だ。
インフォメーション(観光案内所)で市内地図を求めた。ない、という。市内の観光局事務所に行けばもらえる、と何もないブースに座っている女性が言う。ワルシャワを思い出した。旅行者が最も必要とするところにはなくて、公務員のはべる役所まで来れば渡してあげよう、ということだ。
両替所で5000円程度をユーロから現地通貨に換えたら、「あんたは何日居るんだ、それだけでは足りない。ここはクレジットカードからでも現地通貨に替えられる」と窓口の女性が迫る。商売熱心なのか、空港両替所でもっと替えろと言われたのは初めてだ。現金をたくさんもちたくない。街のATMで少しずつ引き出しながら使う、と説明した。
あんたは中国から来たのか、と聞く。「日本から」と答えるととたんにその女性の態度が変わった。満面の笑みを浮かべて「コンニーチワ」と言った。少し前に並んでいた窓口では私のところで係がどこかに行ってしまっていた。ヨーロッパや周辺の観光地、どこでも中国人の観光客が多く、アジア系だと中国人と思われる。そして彼らへの軽蔑を感じることがある。日本の一昔前の「農協さん」のツアーで来ていかにもお上りさんという風情は、確かに恰好よくはないが、そんなに見くびらなくてもいいと思う。
1時間に1本の列車に乗り、市内まで出た。アメリカによくあるような頑丈な2階建て列車で、窓は汚れているが景色がよく見える。田園地帯が続いた。チュニジアより湿気が強いらしく、植物も旺盛に育っている。真冬なのに一面の花畑などもある。伝統住宅は恐ろしく貧しいが、新しく建てられたタウンハウスや集合住宅はきれいだ。貧しいのか裕福なのかわからない。
駅に荷物預かり所がない
終点の中央駅(カサ・ポート駅)は新しくモダンな建物で、お店がたくさん入っていた。「インフォメ―ショーン」の表示はあるが、その矢印に従って行っても、案内所はない。ワルシャワ中央駅では、市内地図こそなかったが、案内所だけはあった。コインロッカーか荷物預け所を探していたが、それもなさそうだ。乗客の列の整理をしている駅員に聞いたら「そういうものはない」、との確証。荷物預かり所のない鉄道駅、というのがあるのか。
入国した最初の短い時間だけでも、その国の特徴がある程度までわかる。市場経済は大いに盛んなようだが、それを下支えする公共のインフラが不足しているように感じた。
幸い中央駅の中に無料のWifiが飛んでいた。ネットで調べ、中央駅の近くにバスターミナル(CTM。シェラトンホテルの裏)があり、そこに荷物預かり所があることを突き止めた。
バクシーシ(賄賂)
駅の周りは再開発され、ごちゃごちゃした安宿街とは無縁なように思われたが、バスターミナル周辺に来るとそういう風情になったので安心した。荷物預かり所のお兄ちゃんは、愛想よく「OK、OK、預かってやるよ」と言って、切符も切らなければおカネも取ろうとしない。英語を話さないので、正確な意図はわからないが、後で取りに来たときも「OK、OK」と言って、おカネを取ろうとしない。
と思っていると、手を出して「バクシーシ」(喜捨、賄賂)を要求する。こっちが戸惑っていると私の財布から勝手にコインを2枚取った。清廉潔白そうなお兄さんだった。まだ現地通貨の感覚がわからない時で、いくら取られたのかはわからない。しかし、コインだけだったので大した額ではなかった。
安宿の夜
1軒目に訪ねた宿は1泊1400円だが、満室。2軒目は1200円でこれに決めた。街路に面した窓があり、トイレ・シャワーは別だが水道が中にある。ベッドにシーツも一応ついていた。ヒーターはないが、カサブランカは比較的暖かく、耐えられないほど寒くはならなかった。
早めに寝たが、外からはずっと騒音が聞こえていた。次から次と男たちのケンカで罵り合いが続いていた。ダンスのような音楽が、12時を過ぎても止まないのがきつかい。何と午前4時まで続いた。ほぼ私が起き出す時間だ。苦しい寝床でやっと理解した。あの映画はやはりカサブランカでなければならなかったのだ。製作者はカサブランカを体験した者に違いない。そう言えば、映画には、怪しげな男、一癖も二癖もあるような男ばかりが出てきていた。主人公リックでさえ、かなり癖のある男だ。
カサブランカに来て映画のそういう別の側面が見えてきたのは収穫だった。当時の状況下で、外国人があの街でナイトクラブや違法とばく場を経営するという設定自体に無理があるが、しかし、本当にそれをやっていたとしたら、彼は相当のやり手だ。映画でもわかるが、警察など地元当局にも食い込んでいた。その警察署長ルノーも愛すべき男で、自ら違法とばくを楽しみ、その取り締まり捜査をするかたわら平然と自分のとばく利益を「サンキュー」と言ってウェイターから受け取る。その他、ナチ支配下からの亡命者に違法入手した渡航証を売りさばく者など諸々。同じく店にやってくるドイツ軍将校の方がまともに見える。そうした海千山千の男たちが、混とんのカサブランカを背景に暗躍する。男と女の愛も変転する。そして、奇妙にもそういう輩たちが対独戦に向かう。
浅い睡眠から起き、もうろうとする頭で、そう、だから「カサブランカ」だったのだと反芻すると、ダンス音楽の余韻がまだ残る中、近所のモスク・スピーカーから大音響の祈り呼びかけが鳴り響きだした。