テトゥアン旧市街はまさに迷路

宿から出て、同じ道を帰ろうとしても帰れない、というのは相当自信をなくさせる。脳のどこか崩れたか。自分は方向感覚はいい方だと思っている。でなければあちこち旅などやっていない。その自信を粉々に砕いてくれるのがテトゥアンの迷宮、メディナ(旧市街)だ。

グーグル・マップは地図構築を放棄

初日。迎えなど要らない、地図を見て一人で行ける、と宿には連絡しておいた。だが、旧市街に入ったとたん、皆目わからなくなった。グーグル・マップのスクリーン・ショットをスマホにコピーしてきたのだが、道の突き当りにあるべき宿がない。行き止まりのはずなのに、細い道に分かれ迷路のように先に続いていた。無理もないが、グーグル・マップはテトウアン旧市街の地図構築を放棄していたのだ。そこは何もない空白。

ややしばらく進んで観念し、お店で住所・宿名を見せて聞いた。よほど近いところでないと地元民もわからないようだ。結局電話をかけてくれて、迎えのお兄さんに来てもらった。やはり迎えに来てもらわなければだめだったでしょう、と言われた。彼について宿まで行った。路地をあちこち曲がったので方向感覚が完全に狂った。

宿は素晴らしいところだったが(次の記事)、今度は宿からゲート(旧市街には7つの入口がある)に戻ろうとしても戻れない。それでもゲートは人の波に付いて行けば何とか行ける。しかし、宿に帰るには人の波はない。宿からもらった順路図を見ても皆目わからない。ついには迷子になり、人に聞きながらあちこち振り回されながらやっと帰れた。宿がbooking.comに出ている宿名でなく「ダリア・ホテル」として地元の人に知られていることがようやくわかった。

迷路のような道

ヨーロッパやマグレブ(北西アフリカ)で多くの旧市街を歩き、そのコツをつかんだと思っていた。最初に縦横の主要ルートを何回も通り基本的な土地勘をつかむ。その後、細かい路地に進出する。そうすれば迷っても、主要路に帰り方向感覚を取り戻すことができる。しかし、ここはそういう目安になる主要路が存在しないようだ。いきなり細かい迷路に突入する。モロッコ最大の迷宮は内陸の古都フェスの旧市街らしいが、テトゥアンは目印となる主要路が存在しない分、もっと迷いやすいと聞いた。

前に行くためにまず後に行く

道を覚えるのをあきらめ、磁石を見ながら方向だけを頼りに目的地を目指すようになった。しかし、それも危うい。ある方向に行くのに、実際にはまず横、時には反対方向に進まないと行けない、という迷路図にはよくある仕掛けがそこら中にある。人の波に付いて行くというのはある程度効果がある。人通りがない道を行くと行き止まりになることが多い。

敵を混乱させる防衛上の作戦

なぜこのような迷路ができたのか。一般に、計画もなく無秩序に家屋が建てられたからだ、と言われる。しかし、侵略者に攻め込まれた際、道に迷わせ混乱させる防衛上の考慮があったとも言われる。

地図をゲット

そのうち、本屋さんで市街地図を手に入れた。旧市街の細かい道も正確に出ている優秀な地図だった。これである程度能力が回復した。驚いたことに、私の宿は王宮のすぐ裏手にあった。かなり遠くまで行ったところにあると思っていたのに。

この地図を見ながらまずは宿の周りを何度もまわり近場の方向感覚を付ける。それから徐々に遠くに進出。こうやって少しずつこの街を攻略していった。

テトゥアンの旧市街。レコンキスタで現スペイン地域南部から追われてきたイスラム教徒らが、城壁の中に密集した街をつくり、アンダアルシア風の家を建てた。
外周は城壁で囲まれている。
旧市街の中は迷路のようだ。
迷路の中に人々の生活がある。水を出しっぱなしにした水道がある。
人通りの少ない路地は行き止まりになってしまうことが多い。  
にぎやかな通りもある。
漫画にある「ねずみ男」のような服装のマグレブ民族衣装ジェラバを着ている人も。
混沌の中に、モスクが至る所に建つ。16~17世紀などの建立が多い。
この辺は16世紀に「都市開発」されたという界隈で、少し広々としている。光線も入る。
テトゥアンの旧市街は手工業者が多いことが特徴で、ユネスコ創造都市ネットワーク(クラフト&フォークアート)にも認定された。業種ごとにまとまっている。ここは革製品工業の地域
すぐ近くに皮をなめす作業場もある。
この辺は木工業者の地域。その他、織物、陶器など、様々な職種地域がある。
昔から陶器の製造が活発だったようだ。考古学博物館で。
一般の旧市街地と隔絶されてユダヤ人の集住地区メラーもある。不思議なことに王宮のすぐ近くで、しかも写真で見るように、まっ直ぐな路地が、碁盤の目状に通っている。計画的につくられたものか。テトゥアンは伝統的にユダヤ人が多かったが、戦後はイスラエルやヨーロッパ諸国に移住する人が多く、今はほとんど残っていないという。