コルドバのメスキータ

イスラム都市コルドバの繁栄

イスラムの歴史で、最初の世襲王朝であるウマイヤ朝(首都ダマスカス、661年 -~750年)はアッバース朝によって滅ぼされるが、唯一残った王族の末裔アブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に渡り、756年、ウマイヤ朝を再興する。この「後ウマイヤ朝」(「西カリフ帝国」、「アンダルスのウマイヤ朝」とも言われる)の首都となったのがアンダルシア・グアダルキビール川河岸のコルドバであった。後ウマイヤ朝は1031年まで続き、当時まだ遅れていたヨーロッパの中で先進文明として栄えた。コルドバは人口50万を越えたと推定され、ヨーロッパ最大の都市となった。

メスキータ:スペインに残る最大規模のモスク建築

このコルドバの中心モスクとして建てられ、10世紀末には2万5000人の信者を収容できるまでになっていたモスクがメスキータであった。1031年にキリスト教徒のカスティーリャ王国に滅ぼされてからはキリスト教の大聖堂として改造された(聖マリア大聖堂)。スペインに残る最大規模のモスク建築であり、世界遺産に登録されている。

西暦1000年頃のコルドバの想像図(コルドバ市観光局ビジターセンター展示から)。後ウマイヤ朝の首都だったコルドバは人口50万で、ヨーロッパ最大の都市だった。
ローマ橋から見たコルドバの市街。ローマ橋は、紀元前1世紀に古代ローマによって築かれ、ローマからカディスまでのアウグスタ街道が通っていた。イスラム時代、8世紀の再建でほぼ現在の姿に。橋のすぐ右手にメスキータ(聖マリア大聖堂)が建っている。
スペインに残る最大のモスク建築メスキータ。オレンジの木が茂る中庭(左)とミナレット(アミナール、右)。
メスキータの内部。無数の円柱が立ち、赤と白の二重アーチが繰り返される特徴的な建築。
いつまでも見ていたい光景だったが、寒くなってきて適当に切り上げた。暗い空間と大理石の床は温度を低めに保つらしく、外は歩くと暑いくらいだったの中は冷たい。
キリスト教徒がイスラム教徒を追放してから、メスキータ内部にキリスト教の聖堂がつくられた。
ただ祈る場だったモスクの中心に、重厚な建築が追加された。
二重アーチのメスキータの基本構造が多く残されたのは幸いだった。
メスキータ周辺の旧市街も世界遺産に指定されている。
どういう因果か、付近を散歩しながら隣のサンラファエル橋まで来ると、この自転車ロードレースの軍団が猛スピードで駆け抜けていった。