スペイン大航海時代の拠点、セビリア

セビリアと聞いて「理髪師がたくさん居るのか」と思った、ということはないにしても、ロッシーニの歌劇『セビリアの理髪師』以外で、あまり思い浮かぶことがなかった。

しかし、セビリアは、スペインの大航海時代の拠点となった街だった。現在、南北アメリカにスペイン語を話す諸国が多数あり、カリフォルニアなど米国西南諸州も元メキシコ領でスペイン文化の影響が濃厚だ。これらの巨大な文化圏をつくる元となったのがセビリアの街だ。

セビリア(人口70万)はスペイン南部、アンダルシア地方の最大都市。グアダルキビール川がアンダルシア平原をつくり、その水系上流にはアルハンブラ宮殿のグラナダや、後ウマイヤ朝の首都だったコルドバもある。グアダルキビール川は、スペインでは珍しく、外洋船が河口から80キロのセビリアまで遡航できる。当時の技術では、直接海に面した外港より、海から遡航できる河岸港の方が適していた。スペインの新大陸の探検・植民活動の中心になったのはこのセビリアだった。

現在のセビリアの街。近景は旧市街。(後述ヒラルダの塔から)
セビリアのグアダルキビール川河岸。ここから新大陸に多くの船が出航した。右手の12角形の建物は、そうした船舶の検問、そして防衛を担った「黄金の塔」(1220年築)。現在は海洋博物館になっている。
米大陸を「発見」したクリストファー・コロンブス(1451年頃~1506年)の墓。下記セビリア大聖堂の中にある。柩をかついでいるのは当時のスペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバラ、アラゴンの4国王、という設定。コロンブスの遺骸は、没した地のバリャドリッド(スペイン)、セビリア(同)、サントドミンゴ(現ドミニカ共和国)、ハバナ(キューバ)などを転々とした後、1899年、最終的にここに安置された。
インディアス古文書館。新大陸やフィリピンなどこれまでのスペインの植民地関連史料を集めた古文書館。建物は商品取引所として1583年に建設が始まったものだが、1784年に古文書間への転用がはじまった。
イスラム時代のモスクの地に建てられたセビリア大聖堂。1401年から125年かけて完成した。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界3位の規模(内部の奥行116メートル、幅76メートル)で、「スペインの黄金時代」を象徴する建物。上記の通り、コロンブスの墓もここに入る。
世界第3位の大聖堂の内部。
絢爛たる壁の装飾。
大聖堂に付随して立つヒラルダの塔(左)。12世紀に建てられたモスクのミナレット(塔)をキリスト教の鐘楼に改造・転用したもの。最上部の風見塔を含めて高さ104メートル。

 

イスラム時代に建てられた城塞兼王宮の「アルカサル」。1248年にキリスト教徒がセビリアを奪還した後も、ペドロ1世(在位:1350~1366年)などがイスラム様式で整備した。ゴシックやルネサンスなどの様式も混じるが、グラナダのアルハンブラ宮殿に似たイスラム建築的要素が多分に残る。このアルカサル、そして上記大聖堂、ヒラルダの塔、インディアス古文書館は互いに隣接しており、全体として世界遺産に登録されている。
内側から見たアルカサス。
乙女の中庭。水のあるパティオと円柱に支えられた周囲の壁。アルハンブラ宮殿と似ている。
最も豪華に装飾された部屋「大使の間」。外交の場に使われた。アルハンブラ宮殿にも同名の部屋がある。当時まだ存続していたイスラム教徒のグラナダ王国から多くの職人が招かれ建設に携わったという。
イスラム建築らしい細密な模様。
アルカサルの庭園部分。
デジタルスクリーンで、大航海時代のデモンストレーションをやっていた。「かつて未知の世界に挑戦していった航海者たち。その挑戦は今も続く」として宇宙探査などの映像が示される。影響を受けやすい私などは簡単に感動させられてしまった。確かに大航海時代には新大陸先住民虐殺など負の側面も多いが、未知の世界に乗り出していった尊い人類の企図でもあった。それが新しい時代を切り開いていったことも胸に刻んでおきたい。   
ずっと後年の建築になるが、セビリアのもう一つの名所、スペイン広場。1929年の万博会場施設の一つとして造られた。映画「アラビアのロレンス」のロケで、英軍逗留のカイロのホテルとして使われている。
セビリアの街の様子。トラムカーが走る。