名古屋論

(初出)『地球号の危機』2017年7月

名古屋城。

「最も魅力に欠ける都市」

2016年8月、名古屋に激震が走った。同市が国内主要8都市民を対象に行った「都市の魅力度」調査で、名古屋市が断トツの最下位だったことが明らかになった(例えば『朝日新聞デジタル』2016年8月30日参照)。「最も魅力的に感じる都市」に名古屋を選んだのは全体の3%で最下位。首位の東京23区(22.4%)の7分の1だった。「最も魅力に欠ける都市」を選ぶ調査でも、名古屋は30・1%と最悪。次点の大阪(17・2%)からも大差をつけられた。

さらに、これに追い打ちをかけるように、同10月、名古屋市民に対し「この結果をどう思うか」を調査したところ、「違うと思う」と異論を唱えたのはたった8.7%のみで、「残念だが仕方がない」が60.4%、さらには「当然と思う」と答えた者さえ21.1%居た。よその人ではない。当の名古屋市民がこう答えたのだ。この結果に、河村市長のみならず名古屋を愛する人々が奈落の底に突き落とされたのは言うまでもない。

「名古屋なんて、だいすき」

2017年になって、名古屋市は魅力度向上をはかるためのキャッチコピーを募集したが、そこで選ばれた言葉が「名古屋なんて、だいすき」。依然として市民の屈折した感情は根強い。

昔、「なのにあなたは京都に行くの」という歌があった(チェリッシュ、1971年)。題名からしてそのロマンチックな内容が想像できるというものだ。これを「なのにあなたは名古屋に行くの」とやれるだろうか。え、ビジネス出張か、単身赴任問題のことね、などと言われるのがオチだろう。

本稿で私は、いや、名古屋は素晴らしいぞ、との反論を展開するのだが、最初に断っておきたい。私は現在、名古屋に家があるが、名古屋生まれでなく関東出身。18才まで栃木県那須地方に育ち、その後、東京に16年、米サンフランシスコに13年、その他外国に5年暮らし、名古屋には今年4月まで13年住んだだけだ。客観的に名古屋論を語れる立場に居ると思う。名古屋の方からは、お前に名古屋を語る資格はない、と言われるかも知れないが。

適正規模の街

私は仕事の関係で2001年に、当時住んでいたサンフランシスコから名古屋に移った。過密都市・東京に住むのはいやだったので名古屋でほっとした。できればもう少し小さい「札仙広福」がいいと思っていたが、まあ、名古屋でもいいだろう、と。(中規模で住環境のすぐれた都市として一般に札幌、仙台、広島、福岡があげられている。)

しかし、名古屋行きは東京・大阪の友人たちから総スカンを食った。なぜ名古屋なのだ、と。「名古屋が意外に緑が多く、ゆったりしていて気に入った」「サンフランシスコに比べてもいい」などと書いたから、ますますカンに触ったらしい。

さらに、カンに触る話をしよう。サンフランシスコに居た頃、東京に帰ってくると、駅などの人の流れで、男性が女性の後姿にチラチラと目を走らせる視線が気になった。背広姿のサラリーマンが何といやらし目線を。我ら日本人殿方はこんなものなのか、と絶望した。アメリカではこんな視線はあまり見なかった。

しかし、日本でも名古屋に来ると、こういう視線をほとんど見ないのだ。うーむ、何と名古屋の男性は品行方正なのか。

しかし、徐々に分かってきた。これは都市密度が関係している。アメリカの都市や名古屋は比較的ゆったりしているので、そんな細かい人の視線まで目に入らない。しかし、過密都市東京(や大阪)では、駅でもどこでも人が密に接しているので、細かいところまで見えてしまう。名古屋男もやはりいやらしい目線は走らせているだろうが、距離が保たれるのであまり目につかない。

また、名古屋人は美女、イケメンが多いと思ったこともあった。一人ひとりが自立した人格をもって立派に見える。しかし、これも都市密度の関係だった。東京の過密な風景の中では、例えばJR電車の駅舎の中を流れる人々は「砂のような大衆」で、自立した人格に見えない。しかし、名古屋は地下鉄なども新しく都市もゆったりし、そこを行く人々も個々の人格として自立して見える。

「グローバルスタンダード」から言っても名古屋は標準的な密度だろう。東京・大阪はアジア的な過密さがある。サンフランシスコは米国の都市としては高密度の方だが、ここから来ると名古屋がちょうどよかった。

だが、東京・大阪の方から、「名古屋は中途半端だ」という意見を聞いてびっくりしたことがある。徹底した都会でなく、かといって田舎でもない、中途半端でけしからん、という。「適正規模」だと思っていたが、なるほど見方を変えるとそうなるのか、と感心した。

名古屋バッシング

名古屋をこき下ろす伝統は、タモリさんから始まったと言われる。1980年代に「名古屋は田舎なのに都会ぶる」「名古屋駅に降りるとミャーミャーと猫声が聞こえる」「名古屋人はエビフリャー(エビフライ)を高級食だと思っている」「調味料は味噌しか知らない」などとさんざんこき下ろした。いや、タモリさんだけではない。昔から名古屋は、「日本一の田舎」「他所からの人に冷たい」「外に出ず一生名古屋に暮らす人が多い」「若者も他所の大学に行きたがらない」「冠婚葬祭が派手」「娘が3人いれば派手な結婚式で身上(しんしょう)潰す」など、さんざん揶揄されてきた。なぜなのか。

サンフランシスコのお国自慢

お国自慢の遊びはどこの国にもある。例えばサンフランシスコにはこんなジョークがあった。「サンフランシスコ(SF)にもニューヨーク(NY)にも高層ビル街があるが、SFの高層ビル街の方が決定的に優れた点がある。それは何か」。答は「NYの高層ビルは登ってもNYの街が見えるだけだが、SFの高層ビルを登るとSFの街が見えること。」

これの一体どこがジョークか、SF人しかわからない。SFの街がNYに比して圧倒的に素晴らしいのだから、これでわかんない方がおかしい、という壮絶なジョークなのだ。

SF人はNYをこのようにけなし、そして返す刀でサンノゼ市など近郊のシリコンバレー地域もよくけなす。サンノゼには高層ビル街どころかまともな映画館もない、レストランもない、富はあっても文化がない、誇れるものが何もない、面白いイベントは皆SFで催され、そのたびにサンノゼの人はSFに来る、などと。

しかし、この「他市けなし」には秘密がある。SF都市圏でSFに次ぐ主要都市部はシリコンバレーのサンノゼではなく、湾を挟んだ港湾都市オークランドだ。サンノゼをけなすなら、その前に当然オークランドをけなしそうだが、これは絶対ない。

オークランドは、今でこそ新興IT企業が立地し始めたが、歴史的に貧しい黒人地域が広がる街だった。シリコンバレーのような経済的成功は、少なくとも私が居た1990年代まではなかった。だからここをけなしたら遊びにはならない。差別として指弾される。SF人は、ニューヨークもシリコンバレーも実は一目置いているのだ。対等か、もしかしたら先を行かれているかも知れない。だから大っぴらにけなしてわいわい騒ぐ。

さあ、これで「名古屋たたき」の構造が少し見えないか。名古屋は埼玉、千葉などと共に安心しておちょくれる街なのだ。東海道メガロポリスの中心に位置し、日本の三大都市圏の一角を占める街。世界トップクラスの大企業トヨタをかかえ、経済的にも好調。ミャーミャー猫語があるとはいえ、イントネーションを始め東京弁とさほど異なるわけでもない。だから安心しておちょくれる。同じことが埼玉県にも言える。「ダサイタマ」などとばかにされるが、そのさらに北側の我が郷土、栃木県は、もっとダサいかも知れない。しかし、「ダサイタマ」と同列で栃木県がバカにされることは(少なくとも表向きには)ない。

なぜ名古屋は「魅力ない」か

確かに名古屋に魅力的都市のイメージはないかも知れない。私も住む前はそんな感じでいた。なぜなのか。一つには、車窓からの風景があると思う。東海道線から見える名古屋の街は、町工場や倉庫が多く、必ずしも情緒ある風景とは言えない。しかも、名古屋は通り過ぎるだけの人が多いので、この車窓風景が名古屋のイメージとして定着しがちだ。この町工場(ブラザーの大工場もありますね)や倉庫も最新鋭の技術、物流システムが稼働し、名古屋経済を支える最先端地域には違いないが、少なくとも景観的には魅力的ではない。例えば京都だったら、沿線から五重塔が見え、鴨川の緑や比叡の山々がながめ渡せる。

名古屋で鉄道は街の外、当時の田畑の中に敷かれたらしい。煙を吐く化け物がばく進するのだ、とてもお城や、繁華街近くには通せない。元江戸城(宮城)の真正面にススにまみれるどでかい駅舎をつくった東京などとは街づくりの基本が異なる。

現在では名古屋の東海道線沿線も開発が進み、名古屋駅周辺は高層ビルが林立する。しかし、元来名古屋の中心は東海道線から離れた栄周辺で、緑に包まれた100メートル大通りがあり、お城や城址公園があり、その東側にはさらに、東山公園、平和公園などの緑地帯が続き、住宅街が広がる。

東洋経済新報社が全国813都市(790市と東京23区)を対象に毎年調査している「住みよさランキング」で、名古屋東隣の長久手市が2位、みよし市が15位、日進市が23位となった(2016年)。いずれも名古屋住宅地域の延長とも言える街だ。ちなみに首位は千葉県印西市だった。大都市はいずれも低評価だが、それでも人口50万以上の都市の中で名古屋は、宇都宮市、千葉市に次いで3位だった。

希望ヶ丘3丁目

あなたの街「希望が丘3丁目」(「自由が丘1丁目」でもよいが)に世界遺産はあるか。おそらく、ごく普通の街で、全国的に誇れる観光資源は必ずしもないだろう。しかし、スーパーもあるし児童公園もあるし、ちょっと歩けば駅もあって、そこには飲み屋も茶店もカラオケも、もしかしたらボウリング場や百円ショップだってあるかも知れない。別に有名ではないが、それなりに住みやすく、いい街だと思っている。それでいいよね。そしてそういう街なのだ、名古屋は。大きな「希望が丘3丁目」なのだ。

名古屋市八事の興正寺境内。1686年建立の尾張徳川家の祈願寺。筆者はこの五重塔が気に入り、最初この近くに住んだ。名古屋東部には、このような寺や公園など緑地が多い。
名古屋市東部、興正寺からも遠くない天白区の天白川。日進市の名古屋商科大学付近に発し伊勢湾にそそぐ小河川で、川沿いは良好な散歩・ジョッギングコース。塔が見えるのが天白区役所。この辺だとワンルームマンション最安月3万円程度から。居住をお考えになってはいかがだろう。

一旦緩急あらば

名古屋に住み始めたばかりの頃、名古屋があまりにバカにされるので、「いや、名古屋はいいところだ」とムキになって反論した時期があった。しかし、名古屋の人たち自身は、バッシングされても意外に平然としている。「確かにそうかも知りませんね」とニコニコ笑っている。

名古屋一帯はかつて信長、秀吉、家康を生み、戦国の世を制覇した地域だ。また一旦緩急あらば日本の頂点に勝ち上がる力をもっているさ、などと名古屋人は思っているのではないか、と最初は思った。現に今、トヨタが出て世界を支配しているし。だが、それも考えすぎで、そんな風にはまるで考えてはいないようだった。懸命に口泡を飛ばして名古屋を擁護するのは、私のような外から来た名古屋人、あるいは外に出た名古屋人だけのようだ。他の地域との緊密な接触があるところで生まれる熱情を名古屋の中に居る人々はあまりもたない。

良くも悪くも名古屋は完結している。濃尾平野という肥沃な平野をもち、中部の巨大山塊から流れる多くの大河川をもち、製造業出荷額は過去38年間連続で日本一、農業生産も全国7位と、産業にバランスが取れている。太平洋に面した港湾も貨物取扱量で2002年以降連続日本一。この地域だけで世界のGDPの1%を産出する。ここだけでゆったり暮らしていけるのだから、遠巻きが何を言っても、とりたてて反応する気もない、ということだろう。

「日本人だよ」

外国から帰って気づくのは、ぼろくそに言われる名古屋の特徴は、実は皆日本人の特徴そのものということだ。例えば冠婚葬祭が派手というのはまさに日本で、他の先進諸国と比べて、日本の結婚式費用は最高レベル葬儀費用に至っては諸外国の10倍との調査もある。生涯名古屋から出たがらない、というのもまさに日本人で、中韓初めアジア諸国がどんどん国外に留学生を出すのに、日本からの留学生は減る一方だ(OECD調査では日本人留学生は2004年の8万3000人から2014年の5万3000人に減少)。内部で満ち足りていて、危険な外国に比べて日本はいい国だ、いい国だ、優れている、とみんな言っている(ネット上だけかな?)。自画像を名古屋に投影しているのか。あるいはちょっと下品だが、「何が何を笑う」ということなのか。

米国に30年近く住み最近大阪の大学に赴任した友人がいる。彼と酒の席で名古屋論、大阪論を議論したことがある。大阪は名古屋以上に、日本の中で強い個性を持った地域だ。どれだけ独特の大阪論が出るか楽しみにしていたが、意外にも「大阪人は日本人だよ」という答。東京や名古屋、大阪で人が違うなどと議論するのはばかげている、アメリカから見れば皆おんなじで、日本人だ。暇人だけがそんなことを議論する、というのが彼の意見であった。

うれしい、私も退職してようやく暇になってきたようだ。