岡林信康「自由への長い旅」

カミさんに連れられて岡林信康のコンサートに行った(7月10日、刈谷市)。チケットを予約したら最前列だったというので、客入りが心配だった。が、満席になったようで当日券なしの表示が出ていた。

最前列から後方を見ると、見事に我らが団塊の世代ばかりで、しかもなぜかカップルが多かった。かつての若者たちも、子どもがすでに大人になり、孫も迎えるようになった。ゆっくりと若き日をしのぶ、といったところか。しかし、このままじゃ、この世代とともに岡林も消えてしまうぞ。

軽妙なトークとともに岡林のライブは進み、何と「自由への長い旅」なしで、コンサートが終わってしまった。私が一番気に入っている歌なのだが。「それで自由になったのかい」を歌わなかったのは理解できるとしても、「自由への長い旅」を歌わなかったのはなぜなのだ。

そう抗議の気持ちが胸元に出るうち、岡林はアンコールで再登場してきた。そうか、ここで歌うのか、と思っていると、景気のいいエンヤトットの歌がはじまった。フィナーレにふさわしく会場が大いに盛り上がり、何だやっぱりこれで終わりか、と愕然としていると、その後で「自由への長い旅」を歌い出した。静かに情感を込めて歌い、コンサートはそれで終った。

そうか、こういうことだったのか。彼はやはりあの曲を大切にしていた、とうれしかった。

岡林は当時、「フォークの神様」とか闘争のシンボルとか言われて、私は敬遠していた。しかし、今回のライブで、彼がいろいろ音楽的に苦悩し、模索を続けていたことを知った。闘争のシンボルになっていたことに一番苦しんでいたのは彼ではなかった。一時期姿をくらましたし、田舎にこもったし、ロックや演歌、民謡、エンヤトットにまで進んで違う自分を探した。その苦悩と模索を知って遅ればせながら私の中に彼への共感が芽生えた。

孫に向けたおじいちゃんの気持ちを歌ったという最近の曲「さよならひとつ」もよかった。死にいく友人に向けた「君に捧げるラブ・ソング」ももちろんいい。あの時代がなかったら、彼はこういう人への繊細な感情を表現する歌をうたい続けていただろう。いや、彼は繊細だからこそあの時代にストレートに反応したのかも知れない。

敬遠していたが、「自由への長い旅」はいい曲だと思っていた。特に次の下りがいい。

「この道がどこを通るのか知らない。知っているのはたどり着くところがあることだけ。そこがどこになるのか、そこに何があるのかわからないまま、一人で別れを告げて旅立つ。」

今の私の心境によく合う。70近くなって、なぜ外国に向かい続けるのか。自分でもよくわからない。その先に何があるかわからない。でも、向かい続けてしまう。

この歌は、彼が「フォークの神様」を拒否して違う自分を探す旅に出かけた頃に書かれた曲だ。「いつのまにか私が私でないような」「私がもう一度私になるために」「信じたいために疑い続ける」といった下りにその辺の心情が読み取れる。逃げたとも裏切ったとも言われたらしい。だからかも知れないが、当時彼はこの歌をやや投げやりな調子で歌っていたように思う。しかし、今回彼はこの曲を前向きの積極的な歌として丁寧にうたった。よかった。

曲に音楽性がある。彼は情感を込めて歌っていたが、これは淡白に軽く歌ってもいい曲だ。そのメロディーとリズム、曲の「素」が、遠くに届く深淵さを生み出す。

先に何があるかわからないが別の自分を求めて旅に出る。しかし、まったく何もわからないわけではなく、「たどりつくところがある」ことは知っているというのがこの詩の素晴らしいところだ。何かに引き寄せられ向かっていることを内面のどこかでは感じている。人は皆、それぞれ持って生まれた何かを短い一生で実現させるため、そこに引き寄せられている。宇宙が個々人に命じた使命を忠実に追い、それに駆られていくことが「自由」だ。

「それがどこになるのか…わからないまま…旅立つ」「自由への長い旅を今日も」

岡林さん、ちょっとカッコよすぎるでしょう。

いや、若いうちはそれでいいかも知れないが、今の我々は、長くはないかも知れない旅を、あせりまくってじたばた進んでいるのだ。

「完売御礼」、当日券なし、の札が付いた岡林信康のコンサート(会場入口)