自転車乗りの日々 -車中心の街構造の中で

赤信号で自転車を停めると、横断歩道を渡り始めたおじさんが「君は良いライダーだ。わかるよ」と言った。

赤信号で停まるのは当然だろう、と思うかも知れないが、こちらの自転車乗りは必ずしもそうではない。車が来なければ赤信号でも進むし、歩道と車道を縦横無尽に行き来するし、一方通行路を逆進する自転車もたまに見る。

自転車レーンがないので車道を走るのが危険、対岸に行こうとしても信号まで遠いなど、いろいろ事情はあるにしても、赤信号を突っ切るのはさすがに悪いだろう。

そう思って黄色になったとき急停車したのだが、おじさんはそれに痛く感動したらしい。どこから来たのかこのアジア系のライダーは模範的な自転車乗りをしてくれる。 ― アジア系の少ないコンコードの街で、そんな風に思ってくれたのかも知れない。

いや、私も急いでいた時なので、住宅街の道路(車道だ)をスピード出して走っていた。しかし、さすがに赤信号では停まった。ほめられてうれしくないことはないが、照れくさい。その後、スピードを緩め、安全運転をしたのは言うまでもない。

(私は交通規則を守り、安全運転をしています。スピード違反だけが気がかりですが、自転車だと、急坂下りでも時速30キロ程度が限界。違反になることはないと思います。車と違い、自転車で時速30キロ出すと怖いくらいで、おのずとブレーキをかけます。)

アメリカに放置自転車問題はない

日本では駅前などに大量の放置自転車が置かれ、大きな問題になっている。アメリカでは、放置自転車は…、ない。あったら盗まれる。なくなる。鍵をかけていても自転車ごと持っていかれる。電柱などに厳重に括り付けておいても、一晩置きっぱなしにしたら、車輪、荷台、ハンドルその他パーツがごっそり取られる危険がある。

カギをかけ頑丈にラックでくくりつけておいても、2~3日ほっておくとこうなる。車輪、ペダル、ハンドルその他部品が取られ、メインフレームしか残っていない。サドルは無価値と判断されたか。

だから駅前などには、金属製の檻におおわれた駐輪施設がある(有料。月決めなどで借りる)。これの扉を閉め鍵をかけておけばさすがに盗まれることはない。

サンフランシスコ圏の地下鉄・近郊鉄道であるBART(湾岸高速鉄道)の場合は、駅構内に駐輪スペースが設けられている(無料)。数十の自転車ラックが設けられ、駅で地下鉄に乗り換える人はそこに自転車を括り付ける。列車内に自転車を持ち込めるので、職場まで自分の自転車で行く人ももちろん居る。

利用に便宜をはかる自転車に優しい施策、と言いたいが、あくまでこれは自転車利用がそれほど多くない現状を前提にした仕組みだ。日本で、駅構内に無料の自転車置き場をつくったらたちまち満車、どころかあふれかえるだろう。そもそも駅構内にそんなスペースはない。また、人だけで満員ぎゅう詰めのあの通勤電車に自転車を持ち込むという発想自体が起こらないだろう。

駅前にある「個室」型の自転車置き場。かぎがかけられる。これな自転車が盗まれることはまずない。BARTのウォームスプリング駅前で。
湾岸高速鉄道(BART)にも新車両が導入されはじめた。2ドアから3ドアになり、座席なども軽装に。自転車固定器具も設置され、車輪を差し込むだけで立てて置ける。1か所で3台置ける。

ベトナムに似ている

アメリカの街はベトナムの街と似たところがある、と自転車で走りながら思う。互いに過酷な戦争を戦った国。一方は豊かな先進国で他方は貧しい途上国。自由な市場社会と、少なくとも国是では共産主義を標榜する社会主義国だ。街の外見もまったく違う。それでも、似ている点が一つだけある。「行き止まり」が多い。

ハノイの街を歩いていると、住宅に囲まれた袋小路に入ってしまい、もと来た道を引き返さなければならなくなることが多い。アメリカの街、特にコンコードのような典型的な地方都市は、自転車で乗り回していると、やはり道路が住宅街の真ん中で行き止まりになり、来た道を引き返さなければならなくなることがある。あっちの方向に行くのだから、とその方向に行く道路を進むと、まっすぐ行けず、ぐるっと大回りさせられて、元来た入り口に戻らされることもある。これが高じると、入るのさえ難しい「壁に囲まれた街」(Gated Community)になる。

北方の大国からの侵略が繰り返されたベトナムの街は、敵軍を混乱させるため街路が複雑になっている。方向感覚は狂うし、至る所に行き止まりがつくられている。アメリカには侵略軍が来なかったはずだが、何を恐れてこんな都市構造になったのか。

自動車のための都市構造

なぜこんな街になってしまったのか、と自転車で回りながらつくずく思う。普通、街というのは、家々の間を人々が歩き、通りでよく隣人や知り合いに会って挨拶したり言葉を交わしたり、という空間だった。ところがここで人はほとんど歩いていない。片側3車線の大通りを車は大量に走っているものの、歩道にほとんど人影がない。この間、夜11時に駅から家まで(バスがなくなったので)50分歩いたが、店のまわりにたむろする人は何人か見たが、歩道を歩く人にただの一人も出会わなかった。

例えばあっちに行くのに、なぜ私はこっち(横方向)に行くのか。ときに反対方向に進むこともある。車交通の激しい道路を避けたい。高速道路が交差する地域を避けなければならない。あるいは行き止まりを回避し、できるだけ自転車レーン、できれば自転車専用道のあるところを通りたい。するとたいていの場合、まっすぐには進めない。右や左に大きく迂回しジグザグの道順をとることになる。直線距離の2倍程度になるのが普通だ。しかしそれでも、難所続きの直線的ルートより早く行けることが多い。何よりも自転車走行の快適さが違う。気持ちよいからこそ我々は自転車に乗るのだ。

自転車道はリクリエーション中心

誤解ないように言っておけば、アメリカには自転車道路が比較的整備されている。ここコンコードの平原地区(ディアブロ・バレー)もそうだ。川や用水堀、公園や原野に沿って、走りやすいアスファルトの路面が続いている。スポーツとして快適な走りができる。山岳地帯にも山火事に備えて「消火道」(Fire Road)が整備され、そこがマウンテン・バイキングをする若者たちの格好のコースになる。

しかし、私が求めるものは、日常生活で使える自転車道だ。街の中心部にいろいろ用足しに行ける道、商店街にショッピングに行ける道、公園や図書館に行ける道。中心部に向かうルートがあまりなく、あらぬ方向に拡散する健全なるリクリエーション・ルートがたくさんある。自然豊かな環境を悠々と走るのはもちろん気持ちいいが、自転車交通派が本当に求めるのはそこではない。

買い物は車で

郊外・地方都市の商店街は、巨大なショッピングモールだ。車で行くほかない。高速道路が交差する界隈に立地する。モール周囲には広大な駐車場がひろがっている。自転車ならまだよいが、歩行者だとモール建物までたどり着くのが一苦労だ。車で行って大量買いして車に積んで帰ってくる。そのためにはまったく便利なのがモールだ。まちがっても日本の商店街やスーパーのように、主婦や主夫が、手提げ袋を両手に抱え、あるいは自転車の買い物カゴにものを満載して帰宅、といった風景を想像してはいけない。モール周辺は幹線道路や高速道路の出入口(インターチェンジ、ランプ)ばかりで、歩行者や自転車は近づきにくい。

街を分断する高速道路

高速道路は、歩行者・自転車交通の障害になり、街を分断している。横断陸橋やトンネルがほとんどない。私の住むコンコード・プレザントヒル地区の主要高速道路(州際高速680号線)を横切るのは、マーケット通りがメドウ通りに変わる付近の小さなトンネルだけだ。貴重なので、私はよくここを通る。しかし、必ずしも便利な場所ではないこともあり、通る人は少ない。トンネル内にはゴミが散らかり、悪臭もする。自転車が通るのは見るが、歩行者は一度も見たことがない。横断トンネルをつくってもこうなるだけ、と悪い見本になるだけなのを危惧する。

いや、正確を期そう。車の立場から見れば街は分断されていない。高速道路や幹線道路を通じて人々は自由に往来し、ショッピングセンターでもどこにでも自由に行ける。人や自転車にとって障害となる高速道路も、幹線道路なら自由に交差ししている。人や自転車がそれを利用しようとしても高速道路への出入り口ばかりで近づきがたい、ということだ。

「中心部まで6時間」、通えるか

アメリカに、車社会とたたかう覚悟で来ている。自転車があればたたかえる、と踏んでいた。実際、比較的狭いサンフランシスコ市内なら、自転車でどこへでも行ける。待たされることの多い市バスより早いかも知れない。5区を有するニューヨークでも、それなりにたたかえた。しかし、ITブームで家賃が高騰するサンフランシスコに貧乏人は住めなくなり、どんどん郊外に追い出されている。私も50キロ離れた郊外都市コンコードに安い住居を提供して頂きかろうじてホームレス化を免れることができた。

コンコードからサンフランシスコ中心部まで、山を越え、湾を越え、自転車で5~6時間かかる距離だ。しかも、湾をまたぐベイブリッジがそもそも自転車走行不可。途中のヤルバブエナ島(トレジャーアイルランド)までしか行けない。物理的に自転車でサンフランシスコに通うのは不可能なのだ。

湾をぐるっと迂回すれば、2日かけて行けることは行ける。湾北にかかるサンラファエル・リッチモンド橋を自転車走行可とする計画が進んでいるので、それが実現すれば1日程度で行けるようにもなる(自転車走行可能な金門橋も経由してサンフランシスコ市内に入る)。

でも、それで「通える」か。自動車社会恐るべし。ちょっとやそっとの対抗策では、この広大なアメリカ車社会を克服することはできない。

イーストベイには自転車で行こう(往復6時間)

だが、あきらめたくはない。少なくともイーストベイ(オークランドやバークレーなどの湾東地区)の北側には自転車で行きたい。毎週土曜日のエルサリート(バークレーの北)でのテニス会に自転車で行くことにした。早朝に家を出て3時間かけてエルサリートに着き、10時から1時までテニスで走り回り、また3時間かけてコンコードに戻ってくる。きつい。トライアスロンと言っていいだろう。しかし、これをポリシーとして堅持することにした。車社会とたたかう私の決意表明だ。

なあに、毎週土曜日に「トライアスロン」がある、と考えれば普段から体を鍛えねばならず、私のコンコード生活は必要以上に健康、強壮なものとなる。

アルハンブラ渓谷ロードを行く

往復6時間はきついが、何度も行き来するうち、ここが優れたサイクリングコースであることに気づいてきた。コンコードからプレザントヒルに入り、ブライオネス山地の北側の渓谷を登っていく。アルハンブラ渓流という美しい名前の川が流れる渓谷(夏は水がほとんどない)に沿って「アルハンブラ渓谷ロード」が続いている。北と南に高速道路が通っている関係で、ここには車はあまり入ってこない。純然たる田舎道だ。

広大な牧場地帯が開ける地点で峠を越え、下りになる。カストロ牧場道路に分岐してまた一山超え、サンパブロ・ダム道路に出れば、湾岸の街リッチモンドは近い。この道路は平日通勤時には車が速度を上げて走り嫌いな道なのだが、幸い土曜は比較的すいている。最近自転車レーンの線も引かれたのでスピードが出せる。リッチモンドから高速道路沿いのアマドール通りも土曜は比較的すいている。ラストスパートをかけながら、テニス場のあるトレール公園に着く。

帰りも同じ道を引き返してくるのだが、往きは気分のよかった峠越え後の下り坂が、帰りは登りになってきつい。テニスで3時間暴れまわった後だ。足ががくがくになり、降りて自転車をよろよろと押す。しかし、そこを過ぎれば下りになり、プレザントヒルに入ってからも下り上りしない持続的下降ルートを開拓したので、比較的楽にコンコードにたどり着ける。

3時間、自転車を飛ばして行ってもテニスの準備運動にはならない。足はあったまるが、上体はずっと同じ姿勢を続けている。返ってかたまってしまい。テニスボールがあらぬ方向に飛ぶ。改めて柔軟体操が必要になる。

丘の登りは暑いと大変だが、楽しみにもしている。同じ姿勢で同じ運動を続けているので、自転車を押して歩くことが別の運動になるのだ。特定個所にストレスのたまった筋肉がほぐれる。尻も痛くなってきているので歩くのが救いになる。

景色は雄大なところが多い。しかし、牧場など私有地が道のそばまで迫っている。至る所に「立ち入り禁止」の看板。Tresspassing(立ち入り)という聞きなれない言葉をいやでも覚えてしまう。ゆっくり休みたい、弁当を食べたい、小用を足したいと思っても道路沿いの場所しかない。谷沿いの道はすぐ急な崖になっていて、降りていけない。

サンフランシスコ湾岸とコンコードの間にこのイーストベイの山々が立ちはだかる。しかし、そのため、都市圏内でありながら雄大な自然が満喫できる。Carriage Hills付近で。
周囲に牧場地が多い。どこも道路のすぐそばまで私有地になっているので、自然の中でゆっくり休むことが意外にできない。
プレザントヒルから山岳部に入ると、まずブリオネス広域公園の入り口がある。地方が管理する自然公園。なだらかな丘に野生の動植物が多い。
同公園の北側を通るアルハンブラ渓谷ロード。この辺はまだ民家がある。鹿が出るとの標識も。実際、私も谷に沿って2頭の鹿を見たことがある。
湾岸に出るとようやくサンフランシスコの高層ビル街が見えてくる。
湾岸には州際80号の高速道路。これぞ車社会の象徴。うぬ、負けるものかと鞭打って自転車を飛ばす。
帰りはこの辺が一番きつい。アルハンブラ渓谷ロードの峠に立つ一本杉。(杉ではないかもしれないが)
プレザントヒルの街に入り、遠くにディアブロ山が見えてくると、コンコードは近い。

パンク対策

自転車店に自転車を持ち込み、パンクだと言うと、合わせた客が「Welcome to th club」(クラブにようこそ)と言った。同じ境遇の者たちの集まりに、君もついに入ったのだな、というようなことだ。面白いことを言う。そんなにこの辺の自転車乗りではパンクが多いのか。

息子からもらったマウンテンバイクはかなり頑丈で、タイヤもしっかりしている。なのに頻繁にパンクする。幸い山の中でなく、街に近いところでのパンクばかりだったので、家や自転車店まで押してくることができた。

アメリカの道路は広くてあまり目立たないが、よく見ると路肩にガラス破片が散らばっている。事故の処理が不十分なのか、と最初思ったが、ビンのかけらが混じっていることがあるので、ドライバーが空ビンを投げ捨てるらしいことがわかった。まったく、だれががこんな不作法をするのか、顔を見たい。

最初、このガラス片に注意を傾けていたが、パンクの原因はこれではないようだった。自転車屋でパンクの原因を効くと、「トゲ(thorn)。」の一言が返って来る。ある時、路肩でトゲのある実がタイヤに複数刺さり、その後徐々に空気が抜けていったのを経験して、確信するに至った。

アメリカ西部の乾燥地帯にはトゲのある植物が多く、これを踏んでパンクが頻発するのだという。特にGoatheadと呼ばれる植物の実が難敵らしい(別名Tribulus、和名シツリシ。ハマビシの一種)。トゲと言っても栗の実に付いているイガのようなものではない。どちらかと言うと忍者がばらまく鉄ビシのようなものに似て、固い。と言っても金属ではないので、タイヤに踏まれれば普通はつぶれり。しかし、たくさん踏むうちには、いい角度でタイヤに刺さるものがある。マウンテンバイクのタイヤは厚いのでそれだけでは直ちにいパンクするわけではないが、多く刺さるうちに中にはチューブまで到達し、小さな穴をあけるものもあるのだ。

鋭い棘をもったGoathead(ツツリシ)の実。

これの対策に苦労するようになった。なるべく路肩には入らない(しかし、車道内では車に接触する危険もあるので難しいときも)。トゲのある実は踏まないようハンドルをさばく。危険な所を通った後は、トゲが刺さってないかタイヤをチェックする。刺さったままにしていると、徐々にトゲがゴムの内部に押し込まれ、チューブに到達する危険が高まる。サイクリング小道具にピンセットを加えるようになった。細いトゲが食い込み、指では引き抜けないときがあるからだ。

荒っぽい路肩に入らざるを得ないような田舎道は避けるようになった。夜の走行もなるべく避ける。地方都市の夜道は暗いので危険ということもあるが、路上のトゲの実を見落としタイヤで踏んでしまうことがあるからだ。

幸い、このトゲによるパンクは、一挙に空気が抜けるようなものでなく、次第に空気が抜ける。30分おきくらいに空気を入れていけば継続走行が可能だ。家に着いてから自転車店に持っていくか、自分で修理する。

アメリカのパンク修理は1回に付き30ドルほどかかる。何回も繰り返すと相当の出費だ。やむを得ず自分で修理するノウハウを学習した。穴を見つけ接着剤でゴムを貼り付けるのは敷居が高い。チューブごと交換してしまうことにした。チューブは1本5~6ドルで、修理代30ドルよりはるかに安い。

自転車を逆さに立てて、タイヤを外し中のチューブを交換する。そんな作業をしていると、自分が相当の自転車野郎になってきたように感じて誇らしい。タイヤやチューブの型式、適切なチューブ内空気圧などの知識も詳しくなった。

遠出をするときは、常に交換用チューブや工具を持参するようになった。これらがないとき、しかも山の中でパンクしてしまったらどうするか。そういう時には応急措置として草や枯葉をタイヤに詰めて街まで帰ってくればいい、という草の自転車野郎ガイドブックを読んで関心した。そういうやり方でもとりあえず走行できるようになるという。幸いそういう状況に陥ったことはまだないが、最悪の事態にも対処できる安心を得た。

勇気を持って車の掟に従う

アメリカの街での自転車の立場は車に近い。基本的に自転車は車道を走ることが求められる。自転車レーンも車道につくられる。車道ならば路面も平らで車輪走行に適している。

日本では多くの場合自転車レーンが歩道につくられるのと対照的だ。このため日本では、自転車レーンがあっても歩行者との競合が続く。またしばしば自転車レーンの路面は、歩行者レーンと同じかそれ以上に凹凸があって、車輪走行には適しない場合も多い。

アメリカの大きめの車と肩を並べて走るのは抵抗がある。しかし、勇気を出してその中に入っていくと、意外と走りやすいことがわかってきた。左折(車左通行の日本で言えば右折)する際に、思い切って車の左折レーン(日本:右折レーン)に入っていく。するとスムーズに左折(右折)できるようになった。最初は歩行者と同じに歩道に乗り上げて歩行者信号に合わせて2段構えで左折(右折)していたが、ずっと簡単になった。直進する際も車の直進レーンに入っていく。アメリカでは赤信号でも車は右折(左折)できるので、道路の右端(左端)に停まっていると危険だ。車に「伍して」車道中ほどの直進レーンに入った方が安全だ。

信号のない交差点で、左側(右側)から来る車と同時に一時停止した場合、右側(左側)の車に優先権がある。最初は車にびくついて発進しないでいたが、自分が車だと思って堂々と発進した方が、交通法規上スムーズにいく。相手もお前の先だと言ってなかなか発進せず、微妙な間合い取りになってきて危険だ。

アメリカでの自転車走行に慣れるうち、徐々に気が大きくなってきた。車におどおどしていては返って危険だ。時には、「ぶつけられるもんならぶつけてみろ」の心意気で、たくさんの車が停まる広い交差点をスピードを上げて直進または左折(右折)する。

自転車レーンのない車道で、すぐ脇を車に追い越され、ひやりとする場面もあるが、動じない。びくつてよろよろすると返って危険だ。視線をまっすぐ前に向けたまま、体勢を変えないで進む。

その他、よく通るルートなどは、どこをどう通れば一番安全か、決めておくことも大切だ。交通が多い複雑な交差点を避け、自転車レーンのある道、車の少ない道を、遠回りになってよいから選択する(その方が結局早く目的地に着ける)。ショッピングセンターでは、正面から入るより、脇の芝生を自転車担いで越え、駐車場の一番端あたりを迂回しながらメイン・ビルディングに向かう方が楽で安全、などいろいろ工夫する。そうした努力の積み重ねで車社会内での自転車走行もある程度は楽になっていく。

高層ビル街を走る

サンフランシスコ日本町でのコーラスの練習にも参加するようになった。前述の通りサンフランシスコまで自転車だけでは行けないが、BART(湾岸高速鉄道)に自転車を載せ「BART+自転車」方式で行くことはできる。

晩の練習に行くためにはサンフランシスコに着くのが夕方通勤時になる。日本町に近いシビックセンター駅まで乗ると混んで自転車が下ろせなくなるので、市に入った最初の駅エンバカデロで降りる。そこから市のメイン通り、マーケット通りを自転車で走る。周囲は金融街の高層ビルが建つ。通勤に自転車を使うご同輩、転車野郎たちが帰宅の波を形成している。目抜き通りなのに自転車レーンの表示があり(車との共用)、車はそんに多くない。走りにくいので車たちも避けるのだろう。

この勇敢な自転車野郎たちに祝福を。車にまったく負けていない。停車せざるを得なくなった車を追い越す。車の前を集団で走り、追い越させない。巨大なバスも来るが、そのまわりを巨体に群がるアリのように取り囲んで無力化し、前進する。赤信号を突っ切ってはいけないぞ。歩行者には事のほか優しくしよう。

オートクラシー(車支配社会)に対する自転車交通の攻勢が示される時間だ。風を切って高層ビル街を走り抜けていると、ガソリンの力で車を駆動させるマイカー族がひどく貧弱に見える。歩道を行く多数の群衆も、なんだかこの巨大管理社会に従順に生かされているように見える。

私たちは自由だ。自分の足で、自分の力でペダルを漕ぎ、前に進む。空いている空間を見つけ自由にハンドルを切り、ピッチをあげる。交通規則は守り、スピード制限も守り、事故には十分注意しよう。しかし、自転車は人々を自由にし、オートクラシーに抑圧された人々の精神を強く自由なものに変える。

マーケット通りを行く自転車の群れ。夕方の通勤時間。はるか前方にツインピークスの丘。