ハロウィーンはR指定か

チャンバラが怖い

子どもたちがまだ小さかった頃、田舎のラーメン屋さんでいっしょにラーメンを食べていた。店にはテレビがついていたが、子どもが「怖いからテレビ消して」と言い出した。え、どんな番組をやっているのか、と見たら、普通のチャンバラ映画だった。大人たちが喜んでみている。別に残酷ものでなく、普通のどたばた時代劇だ。

え、これチャンバラだよ、と言いつつも、彼らの気持ちはわかった。人が刃物で斬られるのが怖いということなのだ。しょうがない、と思いつつ、周りの大人たちに事情を説明してテレビを消してもらった。大人たちも苦笑いしていた。

チャンバラ時代劇は日本の国民文化。でも確かに、人を斬るなんてことは考えようによっては怖いことだ。今年5月の川崎市登戸の児童殺傷事件などでもわかるように、現実にそんなことが起こったらとんでもなく恐ろしい。しかし、私たちは平気でチャンバラ番組を楽しんでいる。空気のようにありふれた映像になった。

いや、よく考えれば、私も小さいころ初めてチャンバラ映画を見たとき(テレビはなかった)、眠狂四郎だか何だか忘れたが、人がばったばったと切られ、ウワーとのけぞって倒れるのに、子ども心に衝撃を受けた。家に帰ってからも脳裏に焼き付き、しばらく気持ちが動転していた。

しかし、もちろん慣れる。何度もそういうのを見るうち、いつの間にか自分たちも棒を振り回しチャンバラごっこをするようになる。それが日本の国民文化、子ども文化なのだ。…ということなのだが、実はやはり子どもは怖い思いをくぐって来ているのだな、と子育ての中で改めて認識した。

ハロウィーンの飾り付け

で、きょう(10月31日)はハロウィーンだった。アメリカの郊外、もしくは地方の町に住むようになって、ハロウィーンの飾り付けが念入りなのに感心する。サンフランシスコやニューヨークの街中では、これほどまでには飾り付けない。怖い顔で笑う電灯入りのカボチャ顔、というのはどこにでもあるが、その他、恐ろしいほど長身のゾンビ、椅子に座るガイコツ、魔法使いや魔女、お化け。これでもかと競うように飾り付ける(今回は写真はやめよう)。郊外では前庭も広いから思い切り飾れるということだろう。派手に飾るところと何も飾らない家があるが、飾るのは子どもが居る家か。

ハロウィーン装飾品を売っている店に行くと、まあ、いろんなものがある。骸骨やゾンビのお面などのほか、切り落とされ血の付いた足、などというのまであって、やりすぎではないか、と思う。

ハロウィーンはR指定か

アメリカでは子どもに刺激を与えないように、映画表現などが厳格に規制さている。日本もそうだが、作品ごとにPG(親によるガイダンス)、R(制限)などのレイティングが付けられている。漫画も、血を見せてはいけないなどいろいろ制限・自主規制があって、残酷なものがある日本の漫画も、子どもの目には触れさせないようにすることがある。宮崎アニメでも、「もののけ姫」で首がはねられる描写があったが、あれはアウトだろう(PG-13での公開になった)。原爆被害を受けた少年の物語「はだしのゲン」は、政治的な意見とは別に、残酷な表現で大人向けになる傾向もある。これらからすればハロウィーンはR指定とされるべきではないのか。アメリカの子供たちも、一度は怖い思いをしながら慣れるという過程を経て、ハロウィーンはアメリカの「国民文化」になったのだろう。

いや、ハロウィーンがけしからんとか止めろとか言うわけではない。やり過ぎはいやだが、1年に一度バカ騒ぎをしたいという気持ちはわかる。日本でも悪ふざけの文化があるし、そもそも「悪ふざけ」(prank)という言葉が日本語にも英語にも(おそらく他言語にも)あるというのが不思議だ。かなり変わった行動だが、そういう行為を人間はする。人間の社会を観察するAIが居たとして、この現象を理解できるか。何のためにやるのかわからず、「悪ふざけ」の語の意味も理解できないだろう。

何を言いたいのかわからなくなってきた。要するに、ハロウィーンの街を自転車で走っていると、いろんな思いが走馬灯のように去来する、ということだ。子どもたちは、大人が思っている以上に強い精神的衝撃を乗り越えてこの祭りに慣れてきているのかも知れない。しかし、伝統文化には、ハロウィーン、チャンバラ、獅子舞、ナマハゲ、いろんなものに衝撃の要素がある。その衝撃の乗り越え過程自体が文化の重要な一部だったのかも知れない。また、アメリカ人には、自らのもしかしたらR指定的な伝統文化に思いを致し、漫画その他異なる文化に理解を持ってくれたら、とも思う。

いや、確かに日本の漫画表現の残酷さだって、私たちは衝撃を経て慣れてきたものだ。昭和の漫画少年にとって、最初は白戸三平の漫画だった。首が飛んだり血が流れたりするのを漫画で初めて見て怖かった。しかし、いつの間にかそれが普通になった。慣れて鈍感になっただけかも知れない狭い世界の因習をそのまま国外に持ちだしたらやはり壁にぶち当たるだろう。

夜の人出に感動した

夕方になり、子どもたちの家まわりが始まった。奇抜な服装をしたり、女の子は妖精のような衣装をまとったりして、家々を訪ね「Trick or Treat」(何かくれないと悪いことしちゃうぞ)と言って、お菓子をもらう。必ず親といっしょだ。どんな犯罪に巻き込まれるかわからない。うすら寒い社会になったものだ。玄関に行く子どもを親が後ろから見守る。

暗くなってからも親子連れが住宅街を練り歩く。素晴らしい。コンコードの街も普段からこれくらいの人出があればいい。昼間でも歩く人があまり居ない。夜の暗がりの中、しかも多くの子どもたちがわいわい騒ぎながら歩き回る。音楽を流す家もある。さすがに伝統祭りでは、車に乗って家をまわるわけにはいかないだろう。ドライブイン式の祭りなんてない。歩きながらの近所づきあいが復活する貴重な祭り日。