シリコンバレーは谷ではない

米IT産業集積地シリコンバレー(サンフランシスコ郊外)は、「シリコンの谷」と訳せる。このため特に昔は、山間の谷川沿いに半導体工場などがたくさん建っている、などとイメージする人も多かった。実際そんな風に描く挿絵などもよく見た。

しかし、行ってみればわかるが、ここは広大な平原だ。確かに言われてみれば遠くに山地帯が見えるので、「バレー」と言えなくもないが、日本の感覚でいう「谷」とは明らかに違う。

地図で比べると、関東平野よりやや小さい平野、大阪平野と同程度の広がりはある。右手に筑波山、左手に秩父の山々が見えるから、ここ(関東平野)はバレーだ、というということなのだ。

同縮尺のシリコンバレー周辺と大阪平野周辺。Nathan Hughes Hamilton, “Map of Silicon Valley“, Flickr, CC BY 2.0; Geofeatures map of Kansai Japan ja.svg, Wikipedia Commons, CC0 1.0

実際、シリコンバレー地域は、サンフランシスコ都市圏(ベイエリア=湾岸地域と言われる)では例外的に平野が広がったところで、それだからここの都市スプロール化が進行し、広大な住宅地域、郊外型企業の立地域となった。平野の中心にあるサンノゼ市はロサンゼルスと同じようなだだっぴろい街で、今では、サンフランシスコ市(昔からの小さい市域を守る)より人口が多くなった。サンフランシスコ88万に対し、サンノゼの人口は104万人で、ベイエリア最大。だから、サンフランシスコ大都市圏の正式名称もサンノゼ―サンフランシスコ―オークランド合同統計地域(CSA)となっている。

関東平野5~6個でも「バレー」

ついでに言うと、関東平野5~6個でも、アメリカではバレーだ。カリフォルニア中央部に肥沃な農業地帯「セントラルバレー」(中央谷)があるが、これは雄に関東平野5~6個分の内陸型平原。世界に冠たるカリフォルニア農業を支える野菜・果物・穀物産出地帯だ。

アメリカ大陸は大きいから地図上ではこの平原も4000メートル級褶曲山脈シエラネバダと海岸山地に囲まれた小盆地にしか見えない。しかし実際には、この「谷」に行っても、4000メートル級の山々はほとんど見えない。特別に空気が澄んでいる朝方、はるか地平線彼方に小さな山の凹凸が見える程度だ。

アメリカの「平野」とは

英語にも平野(Plain)という言葉はある。実際、シリコンバレーの向こうを張って、ヒューストン、ダラス、オースティンなどテキサス州諸都市周辺を「シリコン・プレーン」と呼んでいる。世界には大地と天しかないのでは、と思うようなまっ平な平原地域だ。中西部を南北に貫くグレートプレーン(Great Plains)、もしくはそれを含めた米大陸中央平原(Intereior Plains)の南端に位置する。この「プレーン」は日本の国土面積の5~6倍はある。アメリカでは、それくらいで初めて「平野」と言うのか、と感心していた。

どうやって「谷」に見せるか

しかし、シリコンバレーの報告をするからには、やはり「谷」のように見える写真を収めなければ「絵にならない」。そこで報告者たちは、いろいろ工夫を凝らす。財力のある新聞社などだったら飛行機で上空から撮った写真を使うだろう。まわりの山地がよく見え、「谷」の輪郭線がわかる。カネのないフリーライターはどうするか。最も簡単な手は、遠くに山の見える写真を引き伸ばし、山の部分を中心にトリミングすることだ。望遠レンズで撮ったような部分的拡大写真ができる。山の高まりが強調され、その前に「谷の街」が横たわっているように見える。

シリコンバレーはこのようにだだっ広い平野の街だ。この場所(サンノゼ市西部)では幸い遠くに山も見える。ベイエリアの最高峰ハミルトン山(1284メートル)で、筑波山(877メートル)より高いのだが。
上の写真を拡大し、中央部分だけを切り取れば構図的に山が大きく見え、「谷」の雰囲気が出る。画面が荒くなるが、より高性能のカメラを使えばいいだろう。

英語の「バレー」と日本語の「谷」

英語の「Valley」と日本語の「谷」のニュアンスの違いも誤解に一役かう。英語のバレーには「流域」の意味もあり、やや広い地形のニュアンスがある。例えば利根川流域はthe Tone Valleyだし、ミシシッピ川流域はthe Mississippi Valleyだ。加えて英語には「谷」に相当する言葉がCanyon、Ravine、Gulch、Gorgeなど他にもいろいろある。Valleyが最も一般的な言葉だが、それ以外は、いずれもどちらかというと狭い谷、まさに日本の「谷」のイメージに近い。そのためおのずとバレーが広い方のイメージをカバーする傾向がある。

かつて(1990年代頃)、サンフランシスコのマーケット通り南側一帯(SOMA地区)が「マルチメディア・ガルチ」(Gulch、狭谷)と呼ばれていたことがある。シリコンバレーの向こうを張るが、より小さい地域だったのでガルチとされた。しかし、ここもあまり谷には見えず、せいぜい「低地」だろう。ここは現在では他のいろんなIT企業が立地するようになった。「マルチメディア」ではくくり切れなくなり、この用語もあまり使われなくなったようだ。

日本語ではこうした河川沿いのくぼ地を表す言葉には「谷」と「渓谷」くらいしかない(「狭谷」「谷原」は造語に近いし、「谷間」「山峡」「谷底」はポピュラーだが、派生語として別の言葉と言えるだろう)。「谷」も「渓谷」も山間部にある狭い谷のイメージだ。山がちの入り組んだ地形の日本で、谷がそうしたイメージに落ち着くのは当然だった。

シリコンバレー方面に延びるBARTフリーモント線

久しぶりにシリコンバレーに行ってみた。昔サンフランシスコに住んでいた時は、シリコンバレーに行くには半島を南下するカルトレインを使っていた。しかし、イーストベイからだと、フリーモント方面行きの高速地下鉄BART(湾岸高速鉄道)で行くのがいい。BARTはサンフランシスコなど都市中心部では地下鉄だが、郊外に行くと地上に出る。イーストベイ南部の豊かな住宅地域をすべるように進むBARTに乗りながら、45年ぶりだな、と思った。

イーストベイでもオークランド以北のBART(リッチモンド行き)は、バークレーに住んでいたこともあり、頻繁に乗っていた。しかし、オークランドの南は、用がなかったのでほとんど来ていない。記憶のある限り、サンフランシスコに初めて来た1975年の冬、見学のためフリーモント線の終点まで乗った時以来だ。瀟洒な住宅地域を高速で走る当時の真新しいBARTに、なかなかのものだな、という印象を持った。あれから45年。感慨深かいものがある。

BARTはイーストベイの海岸平野を南下してフリーモント方面に向かう。周囲は瀟洒な住宅地域。車窓から。

今、BARTはウォームスプリングズ(南フリーモント)駅まで伸び、さらに北サンノゼ駅までの延長工事が最終段階に来ており、今年12月に開通予定(2期工事では2030年までにさらにサンノゼ中心部、サンタクララ市にまで延長する計画)。日本なら、各自治体が競い合って鉄道誘致を進めるところだが、こちらの郊外都市は、車ももってないような貧乏人が来る、犯罪が増えると、鉄道建設に待ったをかける。シリコンバレー地域のサンタクララ郡、サンマテオ郡も、BARTを建設・運営する広域行政体「湾岸高速鉄道地区」(これの略称がBART)への加入を拒んだ。しかし、高速道路の渋滞がどうにもならなくなり、2000年のサンタクララ郡住民投票が、サンノゼ市、サンタクララ市へのBART延長を含む交通インフラ整備、資金源として売上税0.5パーセント引き上げを決めた。

シリコンバレーを自転車で

ウォームスプリングズ駅からは、持ち運んできた自転車にまたがり、西南部のクパチーノ市まで行ってみることにする。フリーモント市からミルピータス市を経由し、サンノゼ市を横切って、アップル本社のあるクパーチノを目指すのだ。平らな街だし、いつものイーストベイ山越えより楽なサイクリングだと思っていた。しかし、意外に遠い。サンノゼ中心部やその日本町などを見学しているうちにたちまち時間がたち、4時間かかってしまった。「バレー」の広大な平原を見くびる誤りを私も犯してしまった。

BARTウォームスプリングズ駅から南方向を望む。北サンノゼに至る線路はすでにできている。道路の自転車レーン(緑色)も整備されている。
交差点の自転車進路も細かく指定され防御されている。こんなものは初めて見た。サンノゼ市東部。
フリーモント周辺に中国系が多いのは意外だった。ショッピングモールなどにも漢字看板のお店が多い。健康のため散歩をする習慣があるからか、歩道を歩く人もかなりが中国系の高齢者だった。シリコンバレーにインド系や中国系が多いのはよく知られるが、その東のはずれにアジア系集住地区があるとは知らなかった。この地域ではアジア系が人口の半分を超えており、2010年の国勢調査統計でフリーモント50.3%、南隣のミルピータス61.8%、北隣のユニオンシティ50.9%だった。(バレーの西でも、アップル社があるクパチーノ市のアジア系人口が63.3%と、多数派となっている。)
サンノゼ市の街並み。

音楽ホールやスポーツ施設が入る市民会館(サンノゼ・シビック)付近。

市民の憩いの場、ディスカバリー・メドウからはサンノゼ市のスカイラインが見渡せる。
サンノゼ・コンベンション・センター。シリコンバレーのIT関係イベントの多くもここで開かれる。
サンノゼの日本町。中心部の北側にあり、20世紀初頭から徐々に発展してきた。
サンノゼの日本町。サンフランシスコの日本町と比べると、再開発が進んでおらず、昔からのおっとりした雰囲気が残っている。人々の生活が感じられる街で、ここに住んでもいい、などと思った(高くて無理だろうが)。
サンノゼ仏教会別院(妙覚寺別院)。夏の盆踊りもここで。
広大なバレーを高速道路が縦横に走る。
ライトレール路線も1989年以来、徐々に拡大してきた。現在、3路線62駅総延長68キロ。ロッキード・マーティン駅で。

クパティーノ市にあるアップル本社。スターウォーズの宇宙船のような丸く巨大な建物が有名だ。しかし、それは上空から見ないとわからない。周囲からは芝生と樹林の向こうに建物の一部がわずかに見えるのみ。この辺からが一番よく見えるだろう。

アップル社のビジターセンター。中に本社ビル一帯「アップル・パーク」のジオラマ、アップル・グッズのお店、カフェテリアなどがある。本社ビルには入れないが、こちらはだれでも入れる。
本社周囲の「アップル・パーク」だけでなく、この近隣を歩くと至る所にアップル社ビルがある。地域全体がアップルの村になっているような感じだ。そうしたアップル社関連…ではなかいようだが、有名な昼1時間1ドルのガンバ・カラオケもこの周辺にあった。私はいったいどちらを目指して行ったのか。諸氏の懸命なご判断にまかせる。