先祖がだれと寝たかわからない -交雑する人類の歴史、古代DNA研究が怒涛の進撃

きわどい見出しで申し訳ないが、かの格調高い(かつ権威ある)英文科学誌『サイエンス』がそういう意味の題名で記事を出している。正確には次のような題名の記事だ。

「人類の祖先がベッドを共にした正体不明の人々 -ホモ・エレクトスなど『スーパー古人類』が昔の人類と交雑していたかもしれない」(”Strange bedfellows for human ancestors – Homo erectus and other ‘super-archaics’ may have interbred with ancient humans,” by Ann Gibbons, Science, February 21, 2020)

急速に進展する古代DNA研究が明らかにする人類の交雑と進化の歴史を紹介する記事だ。「人類進化の物語は太古の逢引きに満ち満ちている」とはじまり、こう続ける。「化石からの遺伝子は、多くの現生人類の祖先が、ネアンデルタール人や、アジアに住んでいたミステリアスな絶滅人類種デニソワ人と交配していたことを示す。今さらに、多くの論文が、この3種の人類の祖先が、それよりさらに古い絶滅した正体不明の『ゴースト』系人類と少なくとも2度にわたり交雑していたことも示している。」(p.838)

先端的研究にも限界があるとして、「この新しいゲノム研究でも不明な部分は多く、特に、私たちの祖先がベッドを共にしたのが正確にはだれであって、出会いがいつ頃どこで生じたのかはよくわかっていない」とも断っている。そして最近の諸研究を紹介する。以下、最近の古代DNA研究成果の紹介をこのあたりから始めてみよう。

(目次)

  1. 最近の古代DNA研究成果
  2. ネアンデルタール人は私たちの中に生きる
  3. 東アジアの人類史
ネアンデルタール人の復元モデル。ドイツのメットマンにあるネアンデルタール人博物館の展示。ネアンデルタール人は、約40万年前~4年前にヨーロッパ地域などに生存していた旧人で、現生人類(ホモ・サピエンス)と別種かその亜種かで議論がある。過去にホモ・サピエンス(現生人類)と交雑があり、アフリカ人を除く現代人のDNAの約2%は彼らに由来する。このネアンデルタール人をはじめ過去には複数の人類が居たが、すべて絶滅し、現在は我々ホモ・サピエンスが残るだけだとされる。Photo by Stefan Scheer, Neanderthal Museum, Mettmann, Germany, CC BY 2.5, adopted from Wikipedia Commons.

1、最近の古代DNA研究成果

75万年前、「ネアンデルソワ人」と「スーパー古人類」の交雑

今年2月に米ユタ大学の人類学者アラン・ロジャーズらが、約75万年前に、ネアンデルタール人やデニソワ人の祖先が、少なくとも2系統の「スーパー古人類」(superarchaics)と交雑したという論文を発表した(Alan R. Rogers, Nathan S. Harris and Alan A. Achenbach, “Neanderthal-Denisovan Ancestors Interbred with a Distantly Related Hominin,” Science Advances, February 20, 2020: Vol. 6, no. 8)。我々現生人類(ホモ・サピエンス)は約5万年前に、ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑し、例えばアフリカ以外に住む現生人類には約2%のネアンデルタール人のDNAが含まれていることはすでによく知られている(マックス・プランク進化人類学研究所のリチャード・グリーンらが2010年5月のサイエンス誌論文で1-4%含まれていると報告。2014年に1.5~2.1%と精密化した)。今回の研究結果は、その10倍以上も前の時代に、別の種間交雑があったことを示すものだ。まだホモ・サピエンスが現れておらず、ネアンデルタール人とデニソワ人が分化してもいない時代、後2者の共通祖先(ロジャーズらはこれを「ネアンデルソワ人」と呼ぶ)が、正体不明のゴースト人類と交雑していたことが、DNA解析から判明したという。

約15万年前のネアンデルタール人DNA、約4万年前のデニソワ人のDNAは抽出されているが、70万年も前の彼らの共通祖先のDNAなどは残っていない。そのお相手のDNAもわからないし化石人骨もない。それでも入手できるホモ・サピエンス含め後代3人類のDNA情報を統計的に分析して、遠い先祖の密会を明らかにしてしまった。

上記記事でいう「スーパー古人類」はあいまいな言い方だ。日本で馴染みの用語で言えば「原人」に相当するだろう。「猿人」「原人」「旧人」「新人」の4分法はもはや正確でなく国際的には使われないが、便利なので重宝する。「猿人」は約700万年前にアフリカに出現した原始的な人類と、約400万年前に現れたピテカントロプス属などが代表。「原人」は新しく現れた初期ホモ属のことで、約200万年前からのホモ・エレクトスが有名だ。彼らが人類史上初めてアフリカを出てジャワ原人、北京原人など地域的集団もつくった。「旧人」は約40万年前に出現するお馴染みネアンデルタール人やデニソワ人など現生人類にかなり近い人々。「新人」は約30万年前にアフリカで出現し5万年前にユーラシア大陸にも進出する我々ホモ・サピエンスだ。人類の分類は、研究が進むほど難しくなり、学者によっても異なり混乱している(詳しくは”Human Taxonomy, ” Wikipedia参照)。旧人あたりをとりあえず古人類(archaic humans, archaics)としておくのをよく見るし、それ以前を、この論文のように「スーパー古人類」(super-archaic humans, superarchaics)と呼ぶこともある。

お相手はホモ・エレクトスか

現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て本格的にユーラシアに展開するのは約5万年前だが、それ以前にも別の人類が何度か「出アフリカ」を敢行している。最初に行なったのは約185万年前の原人、おそらくホモ・エレクトスだった。それ以後も断続的な出アフリカがあり、上記論文著者のロジャーズらは、約75万年前に、ネアンデルタール人やデニソワ人の先祖となる人々(「ネアンデルソア人」)がアフリカを出たとの説を取る。彼らがユーラシア大陸に足を踏み入れたとき、そこは「無人の大陸だったわけでなく、185万年前から別の人類が住んでいた」。そこでネアンデルソワ人とスーパー古人類の交雑が起こったとする。

5万年前のネアンデルタール人と現生人類の交雑では、両種が分化してから「わずか」70万年しかたっていない。しかし、この75万年前のネアンデルソワ人とスーパー古人類との交雑は、両者が別種に分化してから約120万年たっている。かなり異なる種間の交雑だったということだ。その後、単独種になったデニソワ人がこのスーパー古人類と再び交雑しているが、それは、系統発生上さらに長い分離期間がたっていた。かなり離れた異種間でも交雑が起こったことが示されたわけだ。ロジャーズらの結論は下記の通り。

「スーパー古人類はおそらく、ユーラシアに到達した初期の人類から出たものと思われる。上述したように、古人類の活力ある大規模な集団から見て、少なくとも二つのサブグループがあったようだ。そのうちの一つがネアンデルソワ人と、もう一つがデニソワ人と交雑した。約70万年前、ネアンデルソワ人がアフリカからユーラシアに拡大し、人口規模のボトルネック(狭隘化)に耐え、当時の先住ユーラシア人と交雑しながらこれに入れ替わり、東と西のサブグループ(デニソワ人とネアンデルタール人)に分かれていった。これと同じ過程が、約5万年前にまた繰り返された。現生人類がアフリカを出てユーラシアに拡大し、ネアンデルタール人とデニソワ人に入れ替わったのである。」

図 現生人類の拡散と交雑

過去10万年のホモ・サピエンスの拡散と交雑を示した図。Matthew Williams; João Teixeira, “A genetic perspective on human origins,  January 31, 2020より。CC BY-NC-ND。あくまでもこの著者らの見解による図示である。Nが現生人類とネアンデルタール人の交雑が起こったところ。Dがデニソア人との交雑が起こったところ。紫(西ユーラシア)がネアンデルタール人の展開した領域。オレンジ(東ユーラシア)がデニソア人の領域。現生人類は青(アフリカ)で進化し約6万-5万年前にユーラシアに進出していったとする。

12万年前から、アフリカ人がゴースト人類と交雑

冒頭のサイエンス誌記事は、他にも現生人類と旧人類との交雑があったとする事例を最近の研究成果からいくつか紹介している。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の集団遺伝学者スリラム・サンカララマンらは、西アフリカ人が過去12万4000年前の間に未知の旧人類(ゴースト人類)と交雑したとの研究結果を今年2月に発表した(Science Advances, February 12, 2020)。ネアンデルタール人やデニソワ人の痕跡ではなく、より以前のホモ・エレクトスかホモ・ハイデルベルゲンシス系統の人類ではないかという。最も大規模なゲノム収集事業である「1000ゲノム・プロジェクト」のゲノム情報から西アフリカ地域のヨルバ人、メンデ人など405人のものを中心に解析した。このゴースト人類の痕跡は全ゲノムの2-19%に及ぶという。

2-19%という値は、現生人類の中のネアンデルタール人などのDNA痕跡よりかなり高い。そして、その大規模交雑の影響はアフリカ外の現生人類にも見られることから、交雑が現生人類の出アフリカ以前に起こった可能性があるとしている。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の集団遺伝学者ジェフ・ウォールらも、「ゲノムアジア 100K コンソーシアム」の1667人分のゲノム解析で、サハラ以南のアフリカ人(特にコイサン系、ピグミー系の人々)に旧人類との大規模な交雑があったとの見解を発表した(American Journal of Human Genetics, December 5, 2019)。それがいつ頃、どういう集団とであったかについては語っていないが、アフリカ外でのネアンデルタール人などとの交雑より大規模だったという。同様の交雑の可能性が指摘されていたアンダマン諸島、及び小型旧人(ホモ・フローレンシス)の化石人骨が発見されているフローレンス島の現生人類では旧人類との交雑の跡が認められなかった。

我々現生人類はアフリカを出てからネアンデルタール人、デニソワ人などと交雑したのだが、アフリカを出る以前も謎の古い人類たちといろいろ交雑した可能性があるとの研究が出てきたということだろう。今後さらに続々出て来る可能性がある。私たちの中には一体何者が居るのか?

現アフリカ人にもネアンデルタール人の痕跡を確認

米プリンストン大学の進化生物学者ジョシュア・エイキーらは2020年1月、現生アフリカ人のゲノムに平均して0.3%のネアンデルタール人のDNAが含まれるとの研究結果を発表した(Cell, January 12, 2020)。これまでは、アフリカ人の間にはネアンデルタール人の痕跡はないとされてきたが(あってもわずか)、明らかな痕跡が確認された。両者の間に直接の交雑があったわけでなく、ユーラシア大陸に出てネアンデルタール人と交雑した現生人類のうち、主にヨーロッパ地域の人々が2万年ほど前からアフリカに逆移動してきて交雑し、ネアンデルタール人由来のDNAもアフリカ人の中に移ったとする。

ゲノムの中のネアンデルタール人のDNA配列は現生アフリカ人で17Mb(メガベース)、ヨーロッパ人で51Mb、東アジア人と南アジア人で55Mbだった。これまでネアンデルタール人の人骨が多く出土するヨーロッパ地域の現生人類より、東アジアの現生人類の方がネアンデルタール人由来DNAが20%も多いという結果が出ていて謎とされてきた。しかし、それはこれまでのコンピュータモデルの欠陥によるもので、アフリカ人にネアンデルタール人の痕跡がないとの間違った仮定上で、アフリカ人のゲノムとの差分を比較していたからだった。実際は、アフリカ人とヨーロッパ人の間で共通のネアンデルタール人DNA配列が7.2%あった(これをネアンデルタール人起源と認識できなかった)。アフリカ人とアジア人との間でのネアンデルタール人DNAの共通性は2%のみだった。エイキーラらは、改良型のコンピュータモデル、IBDmixを独自に開発して、この新しい発見を可能にした。

種間の交雑は頻繁に起こっていた

相手がだれだかわからないの冒頭記事を書いたギブソンは、これら多様な研究が、中身の細部は異なるものの「別系統が生まれて長期間たった後でも、かなり異なる他の人類と混交できることを示した」とまとめる。マンモスや洞窟のクマなど他の生物種でも同じパターンを見ることができるし、そうした「分化を経た交雑」が、腫瘍の抑制やホルモンの調整など価値ある遺伝子を急速に獲得させる機能を果たしてきたとする。そして結語はこうだ。「今日、ホモ・サピエンスは、他集団と交雑して一連の多様性を素早く獲得する可能性がなくなってしまった。おそらく史上初めて、地球上唯一の人類になってしまった。絶滅した我々のいとこたちのことを残念に思うのには、そういう理由もあると、スエーデン・ウプサラ大学の集団遺伝学者カリナ・シュレブッシュが言う。『遺伝子的多様性のない種がこれほど大量かつ周密に広がる状況は非常に危険だ』と指摘している。」

世界史から人類史へ

「コロナ禍」でアメリカに帰れなくなり、名古屋の自宅で勉強でもする以外なくなった。そのけがの功名。「人類学」に目覚めた。人類史と感染症の歴史を調べていたのだが(例えばジャレッド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』)、やがて更科功『絶滅の人類史 -なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)に大いに啓発された。感染症の本ではないが、人類の祖先たちが「弱かった」からこそ、森から草原に追い出され、アフリカからも追い出されて世界中に広がっていったという視点から人類史を鳥瞰してくれる。なかなか文章も達筆で面白く、門外漢もよくわかる。

私たちは「世界史」についてはある程度知っている。ギリシャの民主主義やローマの大帝国、始皇帝の秦から始まる中華帝国と周辺諸民族の興亡、ルネサンスや宗教改革を経て、フランス革命やアメリカ独立革命が起こり、さらに第一次、第二次大戦といった悲惨な流れを経て現代に至る。あるいは、中央アジア匈奴の帝国や、ササン朝ペルシャやウマイヤ朝のインドといったエキゾチックな王朝の盛衰、まあ、そんなに詳しくはないが、ある程度はいろいろ知っている。だが、人類史をどれほど知っているか。700万年前に直立二足歩行を始めた「猿人」サヘラントロプス・チャデニシスからはじまり、石器の使用を始めた「ルーシー」のアウストラロピテクスの時代、200万年程前から十数万年前まで最も繁栄したと言われるホモ・エレクトスなど「原人」の時代、そして私たちと交雑までしたという「旧人」ネアンデルタール人やデニソワ人が活躍する時代を経て、「新人」ホモ・サピエンスの独占体制へ。

諸民族の興亡も重要だが、諸人類の興亡も重要だ。世界史の中に多くの人々の尊い人生があったが、何十万年、何百万年の人類史にはさらに多くの人々の物語が詰まっているだろう。私たちの学校には「世界史」の授業はあっても「人類史」の授業はなかった。しばらくは人類史の勉強でもしてみよう、ということになった。

古代DNA革命

すると、人類史分野では今、「古代DNA革命」という途方もない嵐が吹き荒れていることを知った。日本語にも翻訳されているDavid Reich, Who We Are and How We Got Here: Ancient DNA and the New Science of the Human Past, 2018(邦訳『交雑する人類―古代DNAが解き明かす新サピエンス史』日向やよい訳、2018年、NHK出版)が優れた入門書だろう。人間の全ゲノムが簡単に解読されるようになり、さらに化石人骨の中のゲノムまで分析できるようになって、これまで想像もできなかったような過去解明の手段が現れた。化石の形状比較などに頼らず、60億ある膨大なDNA塩基対から統計学的なコンピュータモデルを通じて過去をあぶり出す。定説を次々にぶち破り新しい発見を私たちに示してくれる。現物化石が見つかっていない「ゴースト人類」までAIの力で「発見」してしまう。

ユーラシアが人類進化の主舞台に

上述『絶滅の人類史』の著者、更科功氏も、この古代DNA研究の名著を書評している。「出アフリカ」の定説(アフリカ単一起源説)まで一部覆すような仮説まで出ているところに古代DNA革命の破壊力の一端を見出しているところはさすがだ。人類はアフリカで類人猿から進化し、200万年近く前のホモ・エレクトスの時代にアフリカを出てユーラシアに拡散、その後も何度か新しい人類が揺籃の地・アフリカを出て、最終的には現生人類(ホモ・サピエンス)が約6万年前の「出アフリカ」で、ヨーロッパから東アジア、さらには南北アメリカ大陸にまで拡散した。しかし、『交雑する人類』の著者デービッド・ライヒは、古代DNA研究の成果から、この歴史を大筋で認めながらも、ホモ・エレクトスの時代から現生人類の出アフリカの200万年近い期間は、ユーラシアでも各種人類が進化を遂げ、むしろ、その一部がアフリカに戻ってホモ・サピエンスに進化していくのではないか、という仮説を出している。ホモ・エレクトスにはジャワ原人や北京原人、その他多様な原人が含まれる。「アフリカ単一起源説」を一部否認して、「多地域進化説」を一部復権するなかなか刺激的な議論だ。それを膨大なハードデータをバックに提起する点がすごい。『交雑する人類』の論点は多岐にわたり、出アフリカ再検討はそのほんの一部(3章の後半)に過ぎないのだが、確かにその力を十分に感じさせてくれる。

古代DNA研究の革新力は相当なもので、ライヒ自身も、『交雑する人類』を書く中で、次々に新しい研究が生まれて内容に変えざるをざるをえず苦労したようだ。次のように書いている。

「本書で私は、この並外れた過去への窓から明瞭な視界を読者に与えたいと思う。一般読者と専門家双方のため古代DNA革命についての本を提供する。目標はまとまった全貌を提供することだが、この分野はあまりにも速く進んでいる。本書が読者の手に届くまでに、解説した新研究のいくつかは乗り越えられ、あるいは反証さえされているだろう。本書を書き始めてから3年間、多くの新発見が現れ、ほとんどが後から出てきた得た研究結果について書くことになってしまった。読者は、ここで私が行う議論が、決して現状科学の確定要約などではなく、全ゲノム研究の破壊的な力を示す諸事例として受けとって欲しい。」(David Reich, Who We Are and How We Got Here: Ancient DNA and the New Science of the Human Past, Introduction.訳は引用者。すぐれた邦訳『交雑する人類』があるのだが、現在コロナ禍で図書館が休みで入手できない。代わってアメリカの電子図書館から原著テキストが借りられたのでそちらを利用させて頂くことになった。余談だが、感染症危機の時には電子図書館というのは非常に役立つものだ。)

ここ数カ月の研究成果

冒頭2月のサイエンスまとめ記事以降も、もちろん続々と古代DNA研究の成果が出ている。3月20日には、英ケンブリッジ大学が「今日までで最も包括的な人類の遺伝子的多様性の分析を可能にする研究」について報道発表を行った。同大学をはじめ、ウェルカム・サンガー研究所、フランシス・クリック研究所などの研究者が同日のサイエンス誌にその成果論文を発表した。これまで大規模なゲノム解析プロジェクトは、対象が都市部住民に限られ、件数も少なかったが、この事業では中部・南部アフリカ、南北先住アメリカ、オセアニアを含め世界54の地理的・言語的・文化的に多様な人間集団からの929ゲノムの配列決定を行った。最新の高品質シーケンシング技術をこのような大規模で多様な対象に適用するのは初めてとのこと。論文では、世界の人間集団間の遺伝子的連関を分析すると同時に、作成した巨大な遺伝子情報データベースを今後一般開放し、さらなる研究に使われていく方向を示した。

80年前の化石人骨タンパク質を解析

4月1日のネイチャー誌には、80万年前の人骨化石のたんぱく質分析に成功したとの発表があった。1994年にスペインのアタプエルカの洞窟で発見された80万年前のホモ・アンテセッソールが系統樹のどこに位置するか長らく不明だったが、デンマーク・コペンハーゲン大学の進化遺伝学者フリド・ウェルカーらが臼歯のエナメル質内にあったタンパク質を解析し、現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人に至る最終共通祖先であることを突き止めた。DNA解析と並んで最近注目されているパレオプロテオミクス(Paleoproteomics、質量分析法を使った古生物タンパク質の網羅的・大規模解析)の手法を使っての研究成果だ。

古代DNA解析は万能ではない。DNAは10万年以上前のものが残ることはまれだ。熱帯などの気候条件ではさらに劣化が早い。これまで解析されたDNAで最も古いのは43万年前のスペイン出土のネアンデルタール人化石で、この辺が限界と見られる。それ以前の生物化石の解析には別の手法が必要になり、最近注目されているのが質量分析法(mass spectrometry)などによるタンパク質解析だ(詳しくはこのネイチャー誌の記事)。個々の生物特有のタンパク質全体セット(プロテオーム)を解析する方法を、「ゲノミクス」に掛け合わせてプロテオミクスと呼ぶ。(2019年5月発表の論文が、海抜3200メートルのチベット高原の洞窟で発見された人骨をデニソワ人と特定したが、そこで使われたのもこのプロテオミクスだった。)

古代DNA解析では、現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人辺りが分析の中心になる。それ以前の人骨化石ではプロテオミクスの手法が期待され、今回、80万年前のホモ・アンテセッソールの解析で成果を出したということだ。

「大ニュース目白押し」の週

4月2日のCNNワイアーが「今週は、古人類にとって大ニュース目白押しの週(banner week)だ」となかなか騒々しい。大ニュースとした一つが上記80万年前の遺伝子解析だったが、他は、主に化石人骨分析による発見だ。人骨派もがんばっている。DNA情報の統計学的解析だけでは不十分で、それを実際の化石研究と擦りあわなければならないし、ゲノムが残りにくい時代の進化系統分析では、依然として実際にブツに当たることが重要だ。

まず、豪ラ・トローブ大学の古人類学者アンディ・ヘリーズらのグループが、4月3日のサイエンス誌論文で、南アフリカで発見されたホモ・エレクトスなどの化石人骨を約200万年前のものと特定した。現生人類とネアンデルタール人など旧人の交雑がどうの、の話は数万年前レベルのものが多いが、いっきょに200万年前にさかのぼるのは爽快だ。新人、旧人のレベルを超え、原人のしかもその初期の話になる。それ以前の猿人段階の人類もまだ生存していた。

南アフリカ・ヨハンネスブルグ北方のドリモレン洞窟でこれまでに発見されていたホモ・エレクトスとパラントロプス・ロブスタスの頭骨について、地層内の地磁気逆転の分析などにより204万~195万年前のもの、と特定した。同じ洞窟内ではないものの、すでにこの地域では同時期に、猿人に属するアウストラロピテクス・アフリカヌス、アウストラロピテクス・セディバなどが生存していたことが確認されている。3属4種の多様な人類が同時期に共存していたことになる。

この時期は乾燥化など気候変動が進んだ時代で、より原始的なアウストラロピテクス属は、ホモ・エレクトスやパラントロプス・ロブスタスとの競争に敗れてやがて滅んでいったと推定している。原人を代表するホモ・エレクトスはこれまでジョージアのドマニシで180万年前のものが発見されていた(ドマニシ原人)が、それより約20万年古い起源がアフリカで確認されたことになる。

最も繁栄した人類ホモ・エレクトス

ホモ・エレクトスは200万年前から、10万8000年前まで生存していた。現生人間に近い直立歩行を行い、脳容量も近かった。石器使用を始めた人類でもあり、人類史上初めてアフリカを出てユーラシアに広がった。各地で地域的集団をつくり、ジャワ原人、北京原人などもこれに含まれる。出土数も多く、200万近くに渡り人類史上最も繁栄した種だ。我々ホモ・サピエンスは30万年前に出現したが、あと1000年も存続すればいい方だろう。今回の発見についてニューヨーク大学の古人類学者スーザン・アントンは次のようにコメントしている。

「現代の人類も、この最も直接の先祖の可能性があるホモ・エレクトスからいくつか学ぶことができる。アフリカからアジアまで拡散し、気候、地質、環境の変化に耐えながら、他の近縁古人類種や多様な動物たちと共存しながら、150万年以上も存続した。」(Susan C. Antón, “All Who Wander are not Lost,” Science, April 3, 2020)。

なお、人骨ではないが、石器で212万年前のものが中国・西安南東50キロの上陳(Shengchen)から出土している。2018年7月のネイチャー誌論文でこれが明らかにされた。当然、ユーラシア最古になる。一体どんな人類が作製したのか。ホモ・エレクトスがすでにこの時代に出現しアジアに到達していたのか。猿人オーストラロピテクス属の人類だったと推定する人もいる。なお、世界最古の石器はケニアで330万年前の原始的なものが発見されている(2015年のネイチャー誌論文)。「ルーシー」の化石で有名な猿人アウストラロピテクス・アファレンシスがつくったと推定される。

ホモ・ナレディの年代判明

4月1日のオンライン学術誌PLOS ONEに載った論文では、同じく南アフリカのライジングスター洞窟から2013年に発見された奇妙な化石人類ホモ・ナレディの詳細な分析がなされている。脳容量が現代人の3分の1しかないなど原始的な猿人の形状を残しながら下肢は現代人に近い。当初は250万年以上前の猿人ではないかとさえ言われたが、旧人、原人と同時代、33万5000年~23万6000年前の化石人類と判定された。しかし、ホモ属の時代にアウストラロピテクス並みの脳容量しかない人類が居たことは衝撃で、人類史の進化や分類に深刻な再考を迫る。

ホモ・ナレディの化石は、断片的だが15体分という多数が発掘されている。その中で特に推定年齢8-11歳の少年の人骨が分析された。成長期の古人類の化石が得られることは珍しく、古人類の成長プロセスについて詳細なデータが得られた。ホモ・ナレディの寿命は短く、早く成長し早く亡くなるので、少年も現代人で言えば15歳程度に相当したという。

前期CNNワイアーの記事は、もう一つの重大ニュースとして、米国科学アカデミー紀要に載った直立2足歩行の進化についての論文を紹介している。例えばパレントロプス・ロブスタスと思われる200万年前の化石人類は、腰の関節が外見上明らかに直立2足歩行対応なのにもかかわらず、大腿骨端などの形状から、枝に垂れ下がる動作にも適応していることがわかった。直立2足歩行がはじまってすでに500万年たっている。人類進化の相当部分で樹上生活の重要性を軽視できないとしている。

アイスランド人2万7000人規模、ネアンデルタール人とのゲノム比較

4月22日には、ゲノム研究先進国になっているアイスランドからの新たな発表。アイスランド国民のほぼ10%に当たる27,566人の全ゲノムを解析し、ネアンデルタール人などの痕跡を調べた。現生人類の中にネアンデルタール人由来DNAを調べる研究では、これまで10倍にあたる最大規模のものだという。その結果、現生人類の2%にネアンデルタール人の遺伝子が含まれるとの既存の知見を確認した。ただし、その受け継いでいるDNAは各人ばらばらで、ジグソーパズルのように拡散したそれら断片を集めると、ネアンデルタール人のゲノムの38~48.2%を再構成できた。それをこれまでに解析されネアンデルタール人のゲノムと比較すると、アルタイ出土のネアンデルタール人よりも、クロアチアのビンディヤ洞窟出土のネアンデルタール人に近かった。

また、ヨーロッパでは痕跡がないとされていたデニソア人のDNAも確認された。旧人類ゲノム断片の84.5%がネアンデルタール人、3.3%がデニソワ人、12.2%が不明だった。ネアンデルタール人、デニソワ人がそれぞれ個別に現生人類と交雑した可能性もあるが、最初にネアンデルタール人とデニソワ人が交雑し、その後にネアンデルタール人が現生人類と交雑してデニソワ人のDNAも間接的に入ったという可能性もある。

これまでのこの種の研究では、高品質のゲノム配列が得られている旧人類3体(ネアンデルタール人2人、デニソワ人1人)のゲノムを現代人のゲノムと比較する手法に過度に依存していた。今回は、ここに1000ゲノム・プロジェクトから得られているサハラ以南アフリカ人286人のゲノム情報も加えて分析する手法をとった。前出「アフリカ人にもネアンデルタール人の痕跡」のような反論もあるのだが、サハラ以南のアフリカ人にはネアンデルタール人のDNA痕跡はないと仮定しているようだ。

この研究ではまた、ネアンデルタール人の女性は当時のホモ・サピエンスに比べて、より高い年齢で子どもを産んでいることがわかった。男性の場合はより若い年齢で父となっていた。

2、ネアンデルタール人は私たちの中に生きる

「混成民族化」の中の日系人

日本に留学に来たアメリカ人と話しているとき、彼が、実は自分は1/4日本人だ、と言った。ちょっと意外だった。彼はまったく普通の白人(ヨーロッパ系アメリカ人)だと思って付き合っていたし、外見もそう見える。しかし確かに言われてみれば、ちょっと体形がきゃしゃだし、アジア人的な表情の柔和さがある。が、あくまで言われてみれば、だ。言われなければまったくわからない。

アメリカの日系人は、中国系、韓国系、フィリピン系などと異なり、最近の移民が少ない。この趨勢が続くと、他人種間結婚が増えて、日系人は次第にアメリカ社会の中に消えていくだろうと指摘する向きもある。2000年国勢調査で、米国内日系人は130万人だったが、そのうち他民族・人種と先祖を共有していた人が50万人程度居た。すでに1979年のロサンゼルスでの婚姻調査で、他民族・人種と結婚した日系人は全体の60.6%に達していた。複数の民族出自をもつアジア系人は、ハワイ語の「半分」を意味する「ハパ」(hapa)を自称・他称するが、例えばこうした人々のアイデンティティを追求するプロジェクトHapa Japan Projectが立ち上げられたりしている。

しかし、埋没し消えるのではない。多くの人種・民族が共生する「複合民族化」から、混血を通じた「混成民族化」の進むアメリカで、その正当な一部として受け継がれていくとも言えるのではないか。ネアンデルタール人のことを学んでいて、この日系人のことが脳裏をよぎった。

5代前(明治初期)にネアンデルタール人の先祖

ネアンデルタール人は絶滅したと言われるが、実際は現生人類ゲノムの中に約2%生存し続けている。少数人類は多数人類の社会の中では、混交(混血)で徐々に目立たなくなっていく。その形質は子どもの世代で1/2、孫の世代で1/4になる。3世代後に1/8、4世代後に1/16、5世代後に1/32(3.125%)になる。つまり150年(30年x5)たてばその痕跡は3%ほどになるということだ。私たちの中のネアンデルタール人の要素に近い。明治の初めに、あなたにネアンデルタール人の5代前の先祖(曾祖父の祖父)が居たと考えよう。そのレベルだ、私たちの中のネアンデルタール人は。意外と身近だ。

ネアンデルタール人は何万年も前の人だが、すでに(アフリカ以外の)全人類が約2%のネアンデルタール人の要素を持っているため、後は何世代結婚を繰り返えそうがネアンデルタール人の要素パーセンテージは減らない。なぜこんな成員全体に彼らのゲノムが入ったかたというと、現生人類がアフリカからユーラシア大陸に出て来る際、中東付近でネアンデルタール人との混交が起こったためだ。その時は200人程度の小さい集団であったかも知れないが、そこでの混交で現生人類小集団内にネアンデルタール人のゲノムが行き渡り、そしてその小集団が全ユーラシアに散らばっていった。散らばってから混交すると特定地域で痕跡が大きくなるなどするが、散らばる前の集団で混交していれば「広くあまねく」になる。

私たちは「少しネアンデルタール人」

ネアンデルタール人は絶滅したのではない。私たちの中に生きている。外見は確かに大枠ホモ・サピエンスに見えるが、実は少しだけネアンネルタール人だ。何も遠い過去をたどって彼らを思わなくてよい。あなたの中にネアンデルタール人が居ると思い、その気になって周りを見てみよう。1日に20分ほど(つまり起きてる時間の2%)でいい。おお、ホモ・サピエンス諸君もがんばっているじゃないか、と彼らの社会を見渡し観察させてもらうのだ。

現代世界に1億5000万人のネアンデルタール人

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと混交するという戦略を選んで子孫繁栄をはかった。現世界人口77憶人の2%、1億5200万人規模で繁栄している、と考えれば、ネアンデルタール人も地球上の種としては相当の成功を収めた部類に入る。絶滅などとんでもない。犬猫にはかなわないが、例えば馬だって世界中で5000万頭程度だ。ゴリラは36万頭、チンパンジーは30万頭にまで追い詰められている。成体レベルではともかく、少なくとも、生物の存在を遺伝子の維持と拡大を主体に見る「利己的遺伝子」の立場からすれば、彼らは相当の成功者だ。

逆に、私たちはなぜ「絶滅した」とか「生存競争に勝った」と考えるのだろう。融合して私たちの中に存在しているとなぜ考えないのか。人が混じるのを嫌うのか。なぜ、あくまでどちらかに固定して、残ったか消えたかと考えるのか。

私たちはアフリカ系

あるいは、例えばこれは現生人類枠内での話だが、私たち日本人というのはどういうヒトなのか。たとえ最近の先祖が外国人と結婚していなくても、私たちは縄文人と弥生人の混血だ(縄文人が2割、弥生人が8割程度とされる)。縄文人はどこから来たのか。シベリアの方から渡ってきたのか南方から来たか。弥生人は稲作技術を伴って朝鮮半島や揚子江流域から来たかも知れない。では、私たちは元をただせば南方系か。朝鮮系か中国の華南系だったか。いやいや、そのさらに元をただせば、ホモ・サピエンスはアフリカで出現したのだから、私たちは結局皆アフリカ系だ、ということになる。

そこからさらに進んで、ネアンデルタール系もデニソア系もゴースト人類系も入っている、と進むわけだが、そこまで行くのはやめておこう。

川が合流していく系統図

ウェブ上で見つけた下記の進化系統図がすばらしい。普通、系統図というのは、太い幹が徐々に枝分かれし、その中で例えばネアンデルタール人などが絶滅し、ホモ・サピエンスが残る、という風に描かれる。樹木のモデルだ。しかし、ここに掲げた図では、ネアンデルタール人はデニソワ人など共に、ホモ・サピエンスと融合して現代につながるように描かれている。河川の模式図と言えるだろう。小さい支流が徐々に合流して大河になり、現代という「海」に注ぐ。

ヒト(Homo)属の系統発生模式図

ヒト(Homo)属の系統発生模式図。縦軸数字の単位は100万年前。種が分化していくだけでなく、複数種がホモ・サピエンス(現生人類)に流れ込むように描かれている。古代DNA研究が進めば、さらに多くの種間交雑が確認され、枝の間が結合されていくかもしれない。By Conquistador & Dbachmann, based on Stringer, C. (2012). “What makes a modern human”. Nature 485 (7396): 33–35, from Wikipedia Commons, CC BY-SA 4.0

いや、基本は樹木だと言ってもいい。その中に部分的に川が入っていると言った方が正確だろう。ダーウィンが当時の強大な「創世記」世界観に対抗し、過去の単純生物から徐々に現在の多様な生物が生まれた、と主張した尊い歴史に思いを馳せれば、樹木モデルの決定的重要性を強調して強調しすぎることはない。だが、樹木モデルの一部分に、合流する河川があることも確認しなければならない。次々出る古代DNA研究の成果から見れば、人類(一般に生物)の種間交雑はさらに広範に起こっていた可能性がある。そしてそれによって異なる種の長所を取り込んだり、新しい種を生み出したりしてきた。進化が起こるには、まずは何らかの変異が生まれる必要がある。その中から環境により適応した性質が自然選択されていく。DNA上の突然変異、エピジェネティック上の変異、あるいはウイルスのDNA侵入による変異などとともに、種間交雑も重要な進化因子だった。

古代DNA研究の名著『交雑する人類』の著者デービッド・ライヒも次のように言っているのが心強い。

「生命の多様性に直面して進化生物学者は、樹木のメタファーに引き寄せられる。チャールズ・ダーウィンは、この分野を創始するにあたり『』と言っている(『種の起源』、1859年)。今ある生物の諸集団は、アフリカを共通の根として、そこから枝を広げるように過去の集団から生まれる。系統樹メタファーが正しいとすれば、今日のあらゆる生物集団は、過去の一時期の単一集団に起源をもつことになる。木で明らかなことは、生物集団がひとたび分岐すれば、再度交じり合うということはないことだ。枝は融合しない。/ゲノム革命から得られる膨大な新データは、人類集団間の関係を概括する上で木のメタファーがいかに間違っているかを示してきた。」(David Reich, Who We Are and How We Got Here: Ancient DNA and the New Science of the Human Past, Chapter  4.

交雑できたネアンデルタール人は我々と同じ種か

ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が混血していたということは、ネアンデルタール人を別の種(ホモ・ネアンデルタレンシス)とすることに疑問を生じさせる。種とは、交雑して繁殖力をもった子どもをつくれる生物集団のことを言う。ならば、ネアンデルタール人は別種ではなく、ホモ・サピエンスの亜種ではないか、ということになる(その場合は「ホモ・サピエンス・ネアンデルタレンシス」と命名することになる)。種という概念自体がいろいろと揺さぶられることになる。

自然界は連続性に満ちている。均質な種の集団でも環境の変化に応じて様々な適応が行われ、変異が大きくなり、やがて別の種に分化する。その途上には無限の連続があるはずで、ここからここまでが同一の種だ、と確定するのは難しい。同じ種だと思っていたものが交配不能で別種になったり、別種とされていたものが交雑していることを確認して同種になったりする。分類などは、人間が便利なのでやっているだけで、自然界は必ずしもそれに従ってくれない。自然状態で植物種の25%、動物種の10%で種間交雑が起こっているとの研究もある

ロバと馬の交雑種ラバや、ヒョウとライオンの交雑種レオポンのように、混血の子どもが生まれるものの、その子に繁殖能力がない、という中間形もある。トラとライオンの交雑種ライガーの場合、ライガーが雌であればある程度繁殖能力がある、などさらに微妙な中間形があるようだ。直接の交雑ができなくても、仲立ちする中間種を通じて間接的に遺伝子のやり取りが起こる場合もある。品種改良の際、例えば種Aと種Cはかなり異なり交雑できないが、その中間にBという種があり、AとBなら交雑できる。そしてそのABの交雑種ならCと交雑できて遺伝子交換が起こる、などという状況だ。これによってAの優れた形質が、通常なら交雑できないCにも(戻し交雑を繰り返して)移入していくことができる。

ネアンデルタール人の場合は、私たち現生人類の祖先と直接の交雑があったわけだが、それ以前のホモ・エレクトス、あるいは正体不明の各種「ゴースト人類」たちのDNAは、こうした間接的な形で私たちに入ってきているケースも多いだろう。今回紹介した研究諸成果にもそれを示唆するものがあった。

現生人類とネアンデルタール人の男女はどう出会ったか

現生人類とネアンデルタール人が交雑していたとして、彼らはどのように出会ったのだろうか。異なる人類集団が交じり合って暮らしていたのか、それとも森の中でたまたま会った二人の逢瀬だったのか。下記のNHKスペシャル動画は、一つの見解を示してくれている。

NHKスペシャル【人類誕生CG】動画

ネアンデルタール人の少女。アフリカを出て中東まで進んだホモ・サピエンスがネアンデルタール人と遭遇。迷い込んできた少女をホモ・サピエンス部族内に迎え入れる。。

ここに出てくるネアンデルタール人の少女は現代の白人をモデルにしている。我々ホモ・サピエンス集団側は黒人がモデルだ。正当だろう。我々はアフリカから来てユーラシアに拡大する手前、中東でネアンデルタール人と遭遇した。ネアンデルタール人はそれまでの人類と違い、薄い色の肌と赤毛を持っていたとされる。高緯度のヨーロッパで数十万年暮らすうち、日光を効率よく取り込み十分なビタミンDを生成できるよう肌からメラニン色素を減らす進化が進んだ。現生人類は、ネアンデルタール人との交雑により、免疫機能などとともにこの薄い肌の色を獲得した。現ヨーロッパ人ばかりでなく、東アジアの人々も。(ただし、薄い肌・紙の色は、ネアンデルタール人遺伝子のせいでなく、 1万1000年–1万9000年前頃、ホモ・サピエンスが独自の変異で獲得したものだとする研究もある。)

そして、このNHKスペシャル動画は、はぐれてしまったネアンデルタール人少女をホモ・サピエンスの部族が保護し、やがて彼らの一人と結ばれて家族として暮らす、という流れを示唆している。たしかにそういう経緯だったのかも知れない。しかし、違っていたかも知れない。何しろ4万年以上も前のことだ。DNA分析はできても、当時の人間の行動まではわからない。

ネアンデルタール人にはホモ・サピエンスのDNAは移らなかった

だが、一つ参考になりそうな事実がある。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交雑で、遺伝子の交換は必ずしも双方向的ではなかった。我々のゲノムには現在でも2%のネアンデルタール人の痕跡が残るが、5万年前以降、ホモ・サピエンスと共存していた頃のネアンデルタール人化石を調べてもホモ・サピエンスのDNAはなかったとの研究結果が出ている(3万9000年前から4万7000年前の5個体のネアンデルタール人ゲノムを調べた2018年3月のネイチャー誌論文

上記NHKスペシャル動画の見解はこの事実に沿っている。少女がホモ・サピエンスの部族内で育てられ、結婚して生まれた子どもが部族内で生きていけば、ホモ・サピエンスの遺伝子プールの中にネアンデルタール人DNAが残っていく。ネアンデルタール人側には影響がない。少女でなくてもいいわけで、ネアンデルタール人の青年が何らかの事情でホモ・サピエンスの部族に暖かく迎えられ、そこで暮らすようになれば同じようなことが起こる。ハリウッド映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)では、白人青年がアメリカ先住民女性と恋に落ち、部族にそれなりに迎え入れられる話だ。この場合、白人青年がやがて部族を離れるにしても、その子どもが部族の中で大切に育てられれば、先住民遺伝子プールの中に白人の要素も入っていくことになる。

ただ、心配なのは、その後にさらに文明を身につけたホモ・サピエンスがよく行なったように、別の人類と戦争して男を皆殺しにし、女だけをぶんどってくる、というようなことをした可能性はないか。それでも同様の結果が起こるが、こんなことはなかったと思いたい。

逆のケースで、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスの若者を暖かく迎え入れて結婚させ子どもを育てる(あるいはぶんどってきたホモ・サピエンスの女と家族をつくる)というシナリオはない。そうなると、徐々にホモ・サピエンスの遺伝子がネアンデルタール人の中に入るはずで、調査結果と合わない。

洞窟の中の「多人類社会」

あるいは、現代の多民族社会と同じように、異なる人類種がともに暮らす「多人類社会」ができていたとすればどうだろう。ありそうもないシナリオと思われるかも知れないが、意外とそうでもない。イスラエル・マノット地方では約5万5000年前の同時期、かなり近くの洞窟に現生人類とネアンデルタール人が隣り合って住んでいた証拠が見つかっている(残念ながらDNAは抽出できず交雑確認はできない)。

また、ルーマニアのオアセ洞窟で発見された約4万年前の現生人類のゲノムに5-9%のネアンデルタール人DNAが含まれ、4-6代前(最も近くて曾祖父母の代)に交雑があったことがわかった。古代人ゲノムの解析例が少ない中でこのような例が見つかることは、交雑が頻繁に起こっていた可能性を示すと同時に、混交しやすい棲息条件があったことも示唆する。

現生人類ではないが、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑では、何と母がネアンデルタール人で父がデニソワ人という交雑直後世代が確認されている(シベリアのデニソワ洞窟、9万年前の化石)。デニソワ人のゲノムは、2019年にチベットの洞窟で確認されるまですべてシベリアのデニソワ洞窟のものであり、現在でも全世界で十数個体を確認するのみだ。その中にこのような直近の交雑事例があることは驚くべきことだ。

古人類の化石はほとんどが洞窟で発見されている。温度が一定で化石、DNAが保存されやすいという要因もあるが、そこが古代人たちにとって最良の住居だったことも関係しているだろう(隠れ家になり、風雨が防げ、温度が一定)。何十万年にもわたり異なる人類が住んできた洞窟の事例もある。洞窟の多い地域、あるいは広い洞窟なら同一洞窟内の別の場所に、異なる人類がねぐらを構えていたなどの状況があったのではないか。物々交換の場(つまり市場)などの機能を含めてそこが異人類間の交流の場になり、そこで「ロミオとジュリエット」物語が生まれ、と考えるのは夢想か。

ただ、ここでも、交流があったとしても、異なる人類を集団に迎え入れたのはホモ・サピエンスの方だけだったとしないと、彼らの中だけに異人類DNAが残る結果と矛盾が生じる。

森の中の偶然の逢瀬は

双方の人類の若者がたまたま森で会って一時の恋が生まれる、というシナリオはあり得る。しかし、この場合は、男がネアンデルタール人、女がホモ・サピエンスという組み合わせに限られる。10か月後に生まれてくる子どもをホモ・サピエンス部族側が育てるという形にならないと、彼らの側だけに相手の遺伝子が残る結果にはならない。

単純な説明は

また、ネアンデルタール人側にホモ・サピエンスのDNAが残らなかったことについて、そもそも、交雑があったのは現生人類がユーラシアに拡大する途上の中東だったから、という単純な説明もあり得る。ホモ・サピエンスはその後世界に拡大したから、そのとき身につけたネアンデルタール人DNAもそのまま世界に拡大した。しかし、先住のネアンデルタール人はすでに西ユーラシア全体に拡散していた。中東で交雑があったとしても、そこだけ狭い集団の遺伝子に留まり、ほどなく消えた、と。

それもあり得るが、ただ、古代人たちも意外に移動するものだ。上記ネアンデルタール人・デニソア人交雑第一世代の事例では、ネアンデルタール人の母が、DNA分析上は、クロアチアのビンディヤ洞窟出土のネアンデルタール人と近い人だったことが確認されている。一般に「人類の移動」「ユーラシア大陸への拡散」などというと、部族全員が荷物抱えて長い道のり歩き…という光景をイメージしがちだが、1年間1キロ移動するだけで1万年に1万キロ、つまり赤道から北極まで移動できる。人類史の時間は歴史時代とは桁が違うことに注意しなければならない。「息子よ、お前たちはあっちの裏山で狩りをせよ」程度の世代間移動で、長い年月の間には大変な移動・拡散をしてしまう。「移動する」などつゆほど思わなくても、いつのまにか極東の列島でもどこにで暮らしているということだ。5万年前に出アフリカをした現生人類は5000年程度でオーストラリアまでたどり着いたらしい。約1万5000年前にベーリング海峡(もしくは地峡)を超えた新大陸先住民は、1000年程度で南アメリカ南端まで達したという。

現生人類の中にネアンデルタール人由来Y染色体が残っていない理由

また、現生人類にはネアンデルタール人のY染色体DNAが残っていないという事実もある(Y染色体は性を決定する染色体で、父から息子に受け継がれる)。考えようによっては不気味なことで、交雑は必ず男はホモ・サピエンス、女はネアンデルタール人の間でだけ行われた、ということになる。しかし、これは2016年4月発表の研究論文で生物学的な決着がついたようだ。ネアンデルタール人の男とホモ・サピエンスの女との交雑では、男の子が産まれにくかった(ネアンデルタール人のY染色体が受け継がれにくかった)ということがわかった。ネアンデルタール人のY染色体には、異なる種(亜種)の母に流産を誘発させる変異があったという。家畜の交配などでもオスの子が生まれにくくなる現象があるとのこと。このため、ネアンデルタール人のY染色体は徐々に淘汰され、ホモ・サピエンス起源のY染色体だけが残った。

つまり、生物学的な要因でネアンデルタール人のY染色体が消えただけで、当時の交雑で男女のどちらかに偏りがあったことを示すものではない、ということだ。

3、東アジアの人類史

人類が東アジアで進化した可能性

前述もした通り、デービッド・ライヒは『交雑する人類』の中で、人類の進化の中心舞台が一時期ユーラシアにあったという仮説を出した。これは東部ユーラシア世界に住む我々としても興味をそそられるテーマである。

化石人骨の記録から、約200万年前まで直立歩行猿人の進化がアフリカで起こっていたことは明らかで、また約30万年前の現生人類の出現でもアフリカが中心的役割を果たし、5万年前からユーラシアへの拡大が始まったことも分かっている。ライヒはそう断った上で、次のように言う。

「しかし、その200万年前と30万年前の間はどうなのか。この期間の多くで、アフリカ出土の人骨は、ユーラシア出土のものと比べて明確に現生人類に近いわけではない。ここ数十年で見解の大幅な転換が生じている。人類進化が200万年前と30万年前以後アフリカを中心にしていたから、私たちの祖先は一貫してそこに居たのだ、という考え方が揺さぶられている。ユーラシアは、豊かで多様性をもった超大陸だ。現生人類に至る系統が、重要な時期においてここに留まりその後アフリカに戻ったと考えられない基本的理由はない。」(David Reich, Who We Are and How We Got Here: Ancient DNA and the New Science of the Human Past, 2018, Chapter 3

そして、「アフリカを出て拡散したホモ・エレクトスを起源としている現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人の祖先集団が、実はユーラシアに生きていた」「その後ユーラシアからアフリカへの逆移動があり、後に現生人類に進化する集団の主要創設者を提供していく」という仮説を提示する。

200万年前の前と5万年前の後はともかく、200万年前から30万年前までの主に原人の時代は、人類進化の主舞台はむしろユーラシアだった、というのが彼らの仮説だ。栄えある地位を約170万年分下さるということでユーラシア人としてはうれしい。特に東アジアは、この時代、ホモ・エレクトスの地域的亜種と見られるジャワ原人、北京原人、デニソワ人、フローレンス人、ルソン人など多様な人類が暮らしていた証拠があり、人類進化の揺りかごとして大いに期待できる。現生人類ゲノムからいろいろ未知の人類(「ゴースト人類」)の痕跡が見いだされるようになって、これら東アジアの諸人類も滅んだのではなくて、私たちの中に引き継がれた可能性が高くなった。

化石の採集も古代DNAの解析もユーラシア西部(ヨーロッパ)の方が活発なので、学問的な証拠しては今のところヨーロッパ方面を中心にストーリーが語られることが多い。ライヒも、彼らの仮説を提起する際にスペインで出土した「100万年前の」ホモ・アンテッソールの事例を出している。

アンテセッソールからサピエンスまで

ホモ・サピエンス出現に至る過程はおおよそ次のようにまとめられるだろう。まず、スペイン北部アタプエルカのグラン・ドリナ遺跡から出たホモ・アンテセッソールだ。アンテセッソール(前代者)という命名からもわかる通り、体形・顔の形などかなり旧人・新人につながる特徴をもち、120万年前から80万年前にかけて西ヨーロッパに暮らしていた。おそらくそこから進化したのが、ホモ・ハイデルベルゲンシス。最初に独ハイデルベルグ近郊で発見されたが、その後東アフリカ、南アフリカでも発見されている。47万 – 66万年前に生き、人類がネアンデルタール人と現生人類に分化する直前の頃の古人類だ。

その次が、エチオピアのアファール低地で見つかった16万年前のホモ・サピエンス・イダルトゥ。現生人類の直接の先祖とされ、ホモ・サピエンスの亜種の地位を与えられた。しかし、同じくエチオピアのオモ遺跡から出ていたホモ・サピエンスの人骨化石が、2004年になって、それ以前となる19万5000年前のものと判定された。モロッコで発見されていたホモ・サピエンスの頭骨や石器も、2017年6月のネイチャー誌論文で、30万年前のものであるとされた。ホモ・サピエンスの起源が大きくさかのぼっただけでなく、そんな昔にモロッコというヨーロッパ近傍にホモ・サピエンスが暮らしていたことになる。現生人類が主にアフリカ(特に東アフリカ)で進化してきたという説が若干苦しくなった。

実はすでに、2015年10月のネイチャー誌論文が、中国・湖南省で出土した歯が12万~8万年前のホモ・サピエンスのものと判定していた。にわかには信じられないほどの衝撃だが、2018年1月のサイエンス誌論文は、イスラエルのミスリア洞窟出土人骨が、18万5000年前の現生人類のものと発表。2019年6月には、ギリシャのアピディマ洞窟出土の人骨が何と21万年前のホモ・サピエンスだったとの研究も出ている。いずれも議論の渦中にあるが、本当なら、5万年前の「出アフリカ」定説を粉々にしてしまいかねない。

アジアでの多様なホモ・エレクトス系人類の存在から、アフリカ外での古いホモ・サピエンス確認の趨勢に至るこれら一連の流れを見ると、少なくとも、ユーラシアで進化した人類の一部がアフリカに戻ってホモ・サピエンスに進化したとしても大きな矛盾は出ないように見える。実際、本稿で紹介したように、ホモ・サピエンス誕生後の話だが、5万年前アフリカを出た現生人類の一部がアフリカに戻った(そして、ネアンデルタール人のDNAを間接的に現アフリカ人の間に伝えた)とう研究結果も出ている。

東アジアの現生人類

豪アデレード大学の集団遺伝学者ジャオ・C・テイシェイラらが今年1月のバイオケミスト誌で、東アジアを中心に、最近の古代DNA研究の成果を全体的にまとめてくれている。彼らの視点は「我々の遺伝子的祖先が20万年以上前のアフリカにあることは確かであるにしても、ユーラシアの古い人類からも現生人類に残る無視できない多域的貢献が存在している」というもの。

まず、5万-6万年前にアフリカを出た現生人類は、出てすぐの中東地域で、そこに住んでいたネアンデルタール人と交雑した。この結果アフリカ外の現生人類には約2%のネアンデルタール人起源DNAが残ることになった。次いで約5万年前に現生人類がアジアからオーストラリアに拡散する過程で、まず南アジアに居たゴースト人類(後述するEH1)と交雑し、さらに東南アジア、東アジアでデニソワ人と交雑した。現生人類のうちパプア、オーストラリア先住民に4%、東アジア、南北アメリカ先住の人々にも若干のデニソワ人DNAが残る。ネアンデルタール人とデニソワ人も約9万年前にシベリアで交雑していた。デニソワ人はアジアに居た別のゴースト人類とも交雑した。

昨年2月の論文では、アジア地域についてさらに詳論し、パプアやオーストラリア先住民の場合3-6%のデニソア人の遺伝子が残るが、現代フィリピンの狩猟採集民にもその約半分のデニソア人の痕跡が残るとする。現代東アジア、南アジアの多くの人類集団にも1%以下のデニソア人由来DNAが残る。

東南アジアには、ネアンデルタール人、デニソワ人と並列する少なくとも2種のゴースト人類が居た。テイシェイラらは、これをEH1(extinct hominid 1)、EH2と呼ぶ。EH1 、EH2、ネアンデルタール人、デニソワ人は共通の先祖から出発し、60万年ほど前に4分化した。EH1は5万数千年前に、アフリカから来た現生人類と交雑。交雑地点はインド東北部だったとする。現生人類はその後東アジア、東南アジア、南アジア、オーストラリアにも拡散していくので、そうした地域の現代人に2.6-3.4%のEH1のDNAが残る。

EH2は、現生人類から見て系統的に「ネアンデルタール人やデニソワ人並みに」離れたゴースト人類なのだが、不思議なことに現在人類の中ではフローレス島住民のゲノムにしか見出せない(これが太古のフローレス人の痕跡である可能性も。フローレンス人のDNAは抽出されていない)。約5万年前にここにやってきた現生人類がEH2と交雑した。

現生人類の交雑模式図。kaは「1000年前」を意味する。現生人類はネアンデルタール人、デニソワ人以外に、アジアの2ゴースト人類からの交雑も受けている。João C Teixeira​​ & Alan Cooper, “A ‘Denisovan’ Genetic History of Recent Human Evolution,” PeerJ Preprint, February 10, 2019, CC BY 4.0

デニソワ人は3種の別の人類

一方で、デニソワ人自体も実はそれぞれ3種の別の人類だった可能性を示唆する研究も出ている。シンガポール・南洋理工大学のガイ・ジェイコブズやニュージーランド・マセイ大学のムレイ・コックスらは、東南アジア諸島部とニューギニアに住む14集団161人のゲノムの統計的解析を行い、デニソワ人が、(筆者の理解で概略的に言えば)最初に見つかったアルタイ系の他、東南アジア島しょ部系、ニューギニア系の3種に分かれることを明らかにした。

熱帯の高温多湿な環境ではDNAが数千年以上残ることはまずない。したがって現生人類ゲノムをコンピュータモデルで統計的に解析して過去をあぶり出す方法が取られた。それによると、東南アジア島しょ部系は約36万年前、ニューギニア系は約28万年前にアルタイ系デニソワ人から分岐し、それ以降3種は数十万年に渡り互いに隔離されいた。現生人類が別種として存在してきた期間にほぼ等しく、別種と呼べることを示唆している。主要著者の一人ムレイ・コックスはディスカバリー誌の取材に次のように述べている

「我々はネアンデルタール人やデニソワ人をそれぞれの名前で呼んでいるが、もしそうするなら、こうした他の集団も別の名前で呼ばなくてはならない。」

デニソア人の化石は少ない。2008年にシベリア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で初めて指の骨、臼歯などの断片が見つかった。DNA分析だけで新種(または亜種)であることが示された最初の事例だ。昨年5月にはチベット高原出土の人骨がデニソワ人と特定された。その2か所以外からは化石が出ていない。しかし、メラネシアを初め、東アジア、オーストラリアなど広い地域の現生人類にその遺伝子が残っている。今回、そのメラネシア地域の現代人DNAを解析することから、過去のデニソワ人の姿がまた少し解明されたということだ。デニソア人はまだ発見されたばかり。この地域の人類史を大きく変えていく様々な研究が今後も続くだろう。

進展著しい古代DNA学

このところの古代DNA研究の進展は目覚ましいものがあり、素人が新しい研究を追うのは荷が重すぎる。専門家も混乱しているのに、素人がいろいろ情報を集めても消化しきれない。ある程度、過渡期の混乱が晴れてから、判明した結果だけ「これが人類史だよ」と教えて頂けばいいのかも知れない。しかし、そんな時が来るのか。

2019年10月、伝統ある英国遺伝学会が開いた会議「人類進化 -化石から古代・現代ゲノムまで」で、基調講演に立ったケンブリッジ大学の古人類学者ロバート・フォレイは次のように言っている。「確実なのは、この会議の1日目の終わりに、私の言ったことの20%は間違いになっている、ということだ。…2日目の最後には50%程度間違いになる。そしてこの会議の最後に、最初に私の語ったうちの少しは正しいままで残って欲しい、と願うばかりだ。」