ピードモント、東オークランド、アラメダ サイクリング

コロシアム球場のあるイースト・オークランド

大谷の試合を見にコロシアム球場に行くことにもなったので、前から行こうと思っていた周辺地域をサイクリングすることにした。

コロシアム球場はイースト・オークランドにある。サンフランシスコ都市圏の副都心的存在のオークランド市(人口44万)の南東部一帯がイースト・オークランド。黒人の人々の集住地域として知られ、最近は湾岸部を中心にヒスパニック系の人々も増えている。

貧しい地域だと前から聞いていたので一度は行かなければならないと思っていた。英文ウィキペディアでも、その状況をいろんな側面から説明している。

対照的に豊かな街ピードモント

そしてこのイースト・オークランドは、豊かな街ピードモントに近い。ピードモントは完全にオークランド市域に囲まれた孤島のような自治体(人口1万1000人)で、貧しいオークランドに飲み込まれるのに抵抗しているかのような街。前にバークレーに近いクレアモント地域を紹介したが、そこから続いている高台の高級住宅地帯と言っていいだろう。ピードモントとイースト・オークランドとの関係は、サンフランシスコで隣接するポトレロヒルとベイビュー・ハンターズポイントの関係に似ている。アメリカでは、ちょっと地域が変わっただけで街の様子ががらりと変わる。特に高度が高くなるほど裕福な住宅地になるようだ。

BARTのロックリッジ駅(オークランド市域)で降りて南下すると、ピードモントを経てイースト・オークランドに行ける。ちょうど坂を下る形にもなるので、このルートを取った。

地図:OpenStreetMap, (CC BY-SA 2.0)
BARTロックリッジ駅。郊外からトンネルでイーストベイの山並みをくぐりまず停まるのがこの駅だ。付近は豊かな住宅街。山の上まで住宅が続いているのがわかる。車社会でなければあり得ない都市構造だ。雨があまり降らず土砂崩れなどの災害が少ないのも要因だろう。
ロックリッジ駅から南下すると広大な墓地(正面奥)がある。左は葬儀などが行われる教会Chapel of the Chimes。行政上はまだオークランド市域だが、一般的な地名としてはこの辺もピードモントで、多くのピードモント市民にとっての安住の地と思われているだろう。墓地境界の南側(右方向に行ったところ)から行政上のピードモント市域がはじまる。
ピードモントの街の一般的な風景。市が設立されたのは1920年代。当時この地は「百万長者の街」と言われ、面積当たり全米で最も多くの百万長者が住んでいたという。ただ、シリコンバレーの全米きっての金持ち地域(アサートン)を見てきた目には、普通のアメリカの住宅街にも見える。
ピードモント市役所。アメリカの市役所は「役所」的ではなく、市民の集まるシンボルのような建物が多い。そもそも「ホール」なのだから「市役所」は誤訳に近い。
博物館のような立派な建物だが、高校だった(Piedmont High School)。
由緒ある歴史的建造物、ではあるのだろうが、市リクリエーション局の建物だった。
ピードモントの街から西方向に降りると、オークランド市中心部に近いメリット湖に出る。市民の憩いの場となる公園域だ。
湖畔の公園で、音楽やダンスに興じる人々。間隔は比較的とっているが、マスクを付けている人はいない。
各種売店、屋台も出ている。
メリット湖から見たオークランド中心部。
メリット湖から南下するとイースト・オークランド地域に入る。オークランド中心部からは東方向にはじまるが、広域的に見ると、そこからほぼ南方にひろがると言っていい。街路が格子状に近く、東西方向の街路が1番アベニューから2番、3番と増えていく。南隣のサンリエンドロ市境界で109番アベニューとなる。南北方向の通りは「ストリート」で、(湾岸の方から)何番ストリートなどと命名されている。オークランド全体がこうした街路命名方式になっている。
自転車をこいでいくと確かに黒人の人たちを多く見る。英文Wikipediaによると、イースト・オークランド人口の54%が黒人。街の印象としては確かに豊かそうではないが、「スラム」というほどでもない。
50番ストリート付近で、イースト・オークランドを南北に貫く大通り「インターナショナル通り」(旧14番ストリート)に出てみた。連結バスのルートが通っており、街路中央にバス駅がある。
インターナショナル通りはやや湾岸寄りの地域を通っているが、この辺は黒人よりヒスパニック系の人たちを多く見る。イースト・オークランドでヒスパニック系が急増しており、人口の38%を占めるという。
BARTやアムトラック鉄道路線を越えた湾沿い側につくられたコロセアム球場。大リーグのオークランド・アスレチックス(A’s)の拠点だ。周辺は工場・倉庫地帯で殺伐としており、かなり廃品なども投棄されている地域だ。この球場の中に入りさえすれば華やかなスポーツの世界になる。
球場のすぐ横にあるアムトラック鉄道の駅。試合がある前後はにぎわうのだが、閑散としている。後方の高架通路は、BARTコロシアム駅(左)から球場に向かう歩道橋。
湾沿い工場・倉庫地帯を北上していくと、元海軍基地のあったアラメダ(アラメダ市主要部のアラメダ島)に渡る橋がある。二つ目のフルートベイル橋を渡りアラメダに入った。遠方(南)はハイ・ストリート橋。

アラメダも「犬も歩けば棒にあたる」

別にどうしても行かなければならない所じゃないのだが、まあブラっとでも行ってみるか、とサイクリングに出かける。でも、出かけるといろいろ発見があって意外と面白い。へえ、こういう所があったのか、と感心する。まさに犬も歩けば棒に当たるだ。だからサイクリングはやめられない。

今回、そういう感覚になったのはオークランド冲に浮かぶこのアラメダ(人口8万)に入ったときだ。元、海軍の港湾基地や飛行場があった島で、まあ軍属の人たちの街なのだろう、くらいにしか思ってなかった。当初行く計画もなく、イースト・オークランドをずっと南下してまた折り返しすだけでは芸がないのでアラメダにも渡ってみるか、と入っただけだ。

しかし、意外と面白かった。中心街のパーク・ストリートなどは趣きのあるお店やカフェが並び、歴史的商業地区として国の保全域(National Register)にも指定されている。海軍基地として発展するのは第二次大戦(太平洋戦争)の時からで、アラメダはそれ以前からの長い歴史がある。島となったのは湾運河掘削が完成した1902年からで、それまではオークランドから突き出た半島だった。米大陸側からの実質的な終着地点の位置にあり交通の要衝だった。市が設立されたのもカリフォルニアとしては古く1854年だ。サンフランシスコ市の設立は1860年、オークランド市は1852年だ。

確かに第二次大戦時から冷戦時代にかけては本格的な飛行場を備えた海軍基地の街として発展した。「太平洋への空のゲートウェイ」とも言われ、例えば1942年4月に最初の東京空爆(ドーリトル作戦)を行なった16機の爆撃機はここで空母ホーネットに搭載された。冷戦時には原子力空母 エンタープライズを始め、コーラルシー、ハンコック、オリスカニー、レンジャー、カールビンソンなど航空母艦6隻の母港となった。

しかし、その海軍基地も1997年に閉鎖。市に移管され、民間開発に供されている。市主要部をまわる限り、歴史的建造物といえる立派な建物が多く、イースト・オークランドとは違う豊かな街の雰囲気を感じた。長く住んでいるベイエリア(サンフランシスコ都市圏)だが、まだまだ知らないコミュニティがいろいろあるな、としみじみ思った。

アラメダ(左手)はオークランド(右手のビル街)に近い湾岸の島だ。写真は南方から北を見た航空写真。遠くにベイブリッジとヤルバブエナ・トレジャーアイランド島、その先にサンフランシスコのビル街も見える。写真:Robert Campbell – U.S. Army Corps of Engineers Digital Visual Library, CC BY-SA 3.0, Wikipedia Commonsから
アラメダ市のメインストリートとなっているパーク街。東方向、オークランドやイーストベイの山並みの方向を望む。パーク街は歴史的商業地区として国保全域に指定されている。
アラメダ中心街。左手に1932年建造の歴史的建築物「アラメダ劇場」がある。2008年までに改修され、8スクリーンのシネマコンプレックスに蘇った。
立派な博物館もあった(写真奧)。並んでいるさらに立派な建物(正面)は何だろう、と思ったら高校だった(Alameda High School)。
アラメダ市役所。
オークランドからアラメダに入ってくる3本の橋の一つ、パーク・ストリート橋。オークランドの湾運河の橋は、いずれもアラメダ島の南東端の方(かつて陸続きだった付近)にあり、オークランド中心部からは遠回りになる。
パーク・ストリート橋から南東、フルーツベイル橋方向を望む。この運河は掘削して1902年に開通したもので、それまでアラメダはオークランドと陸続きだった。
オークランド中心部からアラメダに入るには、海底トンネルをくぐっても行ける。オークランド中華街の近く(Harrison & 7th Streets)にその入口がある(写真)。南側車線の端に自転車も通れる歩道があるが、見た通り狭くて危険な上、この中で排気ガスにまみれて自転車をこぎたくない、と思い、通っていない。
パーク・ストリート橋を渡りオークランド市域に戻ると、すぐBARTのフルートベイル駅がある。写真はその高架ホームからの風景。遠くにイーストベイの山並みが見え、その麓一帯にイースト・オークランドが広がる。
フルートベイルはオークランド市内の一地域名で、人口の半分以上をヒスパニック系が占める。先に通ったインターナショナル通りもここから近い。1960年代にはメキシコ系の人たちの権利擁護運動「チカノ運動」の拠点となった地域としても知られる。
ここからBARTに乗ってコンコードに帰ったのだが、電車が来るまで、ぼーと風景を眺めていた。このベイエリアの風景ともしばらくお別れだな、と思い少し感傷的になった。