SFで最も裕福な街/貧しい街(Potrero Hill/Bayview-Hunters Point) サイクリング

市内で最も裕福な地区

ITブームでリッチな街となったサンフランシスコでも最も裕福な地域はどこか。シークリフ?パシフィックハイツ? 詳しい人はそう答えるかも知れない。ところが不動産情報会社ホームスナックスの今年2021年の調査ではポトレロヒルがトップに躍り出た。(市内34地区のうち、1位ポトレロヒルの世帯所得中央値は162,259ドル。2位ツインピーク西153,714ドル、3位パシフィックハイツ147,213ドル、4位プレシディオ・ハイツ137,831ドル、5位シークリフ134,269ドル、など)

丘の街ポトレロヒル地区から市中心部高層ビル街を望む。ポトレロヒルはサンフランシスコで最も裕福な地区とされた。

ポトレロヒル? たぶんあまり聞いたことがないだろう。市の東部、前に紹介した有力都市再開発進行中のミッションベイ地区の西隣。サンフランシスコ中心部に近い丘の住宅街だ。

なぜこんなところが。それを聞いて私も驚いた。ポトレロヒルは、どちらかと言えば工場・倉庫街に近く、すぐ南にはサンフランシスコ最貧困地域と知られるベイビュー・ハンターズポイント地区がある。ポトレロヒルも同じように貧しいのではなかいかと思っていた。それがトップとは!

これは実際に行って調べて来る以外ない。

市内で最も劣悪な居住環境の地区

同サイトのランキングでは、所得ばかりでなく、犯罪率、失業率、アメニティなど各種側面から「住みやすさ」評価も行い、最も住みにくい地域としてベイビュー地区を選定している(狭義のハンターズポイントを含む)。これはわかる。サンフランシスコで、貧しいマイノリティの人々が住み、最も劣悪な環境の地域といえば、伝統的にベイビュー・ハンターズポイントだった。皮肉にも、今回最裕福地区となったポトレロヒルのすぐ南にある。かつて海軍造船所があり、その労働力として第二次大戦中から黒人層が多く居住するようになった。

あなたは、戦後ビキニ環礁で行われたアメリカの原水爆実験の映像を見たことがあるだろう。そこで意図的に多くの軍艦が爆心近くに配置され、被害状況調査に使われた。それら軍艦は、その後どうなったか知っているか。一部はこのハンターズポイント海軍造船所に曳航され、詳細調査されるとともに放射能除去作業が行われたのだ。

(1946年のクロスロード作戦による2回の原爆実験時。この実験で、米軍に接収されていた日本の戦艦「長門」、軽巡洋艦「酒匂」もターゲットとして使われ、沈没している。実験後、ターゲットとなった米艦船Independence, Gasconade, Crittenden, Skate, Skipjack, Hughesの6隻がハンターズポイントに曳航。1948年までに、その他の「ターゲット艦」12隻、実験に立ち会って被ばくした「サポート艦」61隻がこの地で汚染除去作業を受けた。Nuclear Insecurity in the Bay Area and Beyondサイト参照。)

1946年にビキニ環礁で行われた原爆実験「クロスロード作戦」。写真はその中のベイカー実験(7月25日)。米軍に接収されていた戦艦長門はここで沈没した。残った艦船の多くは、ハンターズポイントに曳航され放射能除染作業が行われた。写真:US Department of Defense, Wikipedia Commons, Public Domain.

したがってこのハンターズポイント地区には深刻な放射能汚染が広がり、海軍したがってこのハンターズポイント地区には深刻な放射能汚染が広がり、海軍所が閉鎖された後も汚染除去工事が続いている。この事実だけでもベイビュー・ハンターズポイントがどのような地域であるか理解できるだろう。

ポトレロヒルのすぐ近くだ。ここも行かないわけにはいかない、ということで6月26日、例によって土曜テニス会後にサイクリングにでかけた。

この日の行程(赤線)。黒い楕円形で示した地区は大まかな位置であり、正確な領域ではない。地図:OpenStreetMap, (CC BY-SA 2.0)

(実はこの日のテニス会で、また左膝を痛め、予定していた遠方へのサイクリングができなくなった。サンフランシスコ近隣地区を2つまわるくらいならできるだろう、と行先を変えた。幸いにも前と同じく「走れないけど自転車乗れる」状態だった。)

ポトレロヒル地区:なぜ最裕福になったか

あらかじめポトレロヒル地区が最裕福になった一般的要因を示しておけば、サンフランシスコ都心に近く、かつ丘の上で眺望がよい。ミッションベイなど都市再開発地域が迫り将来性が大きい。これらサンフランシスコ東部湾岸は、シリコンバレー方面との連絡がよく、高所得ITワーカーが好んで住む。シリコンバレー方面に行く鉄道カルトレインが通り、高速道路も二つ走っている(州際280号、国道101号)。実際この2つの高速にはさまれた地域がポトレロヒルだ。

もうひとつ、私のうがった個人的推測では、ここは給与所得者の金持ちが住むからだ。税金をごまかせない。きちんとその高給の税金が源泉徴収される。シークリフやパシフィックハイツなど伝統的裕福地では、サラリーマンでない金持ちがいろんな資産や投資で富を蓄積している。そのため節税対策が取りやすく、所得を少なく示すことができているのではないか。

ポトレロヒル地区は、サンフランシスコ中心部南側の小高い丘に位置する。上記写真(バーナルハイツからの眺望)だと、高層ビル街右のやや小高い丘陵地帯がポトレロヒル。中央やや左寄りにある大きめの建物群がサンフランシスコ市立総合病院。ポトレロヒルはそれを越えて緑の線(高速道路周辺の緑)の向こう側。
ポトレロヒルはシリコンバレー方面への交通はいいが、市内や都市圏北部へのアクセスはあまりよくない。高速通勤鉄道BARTの駅からもはずれている。最寄り駅はヒスパニック系の街と知られるミッション通り(写真)の2駅。そこから歩くと30分はかかるだろう。写真右側鉄柵の下がBART24番ストリート駅。
ミッション通りから東に行き高速・国道101号線を越える。渡りきったところ(写真の左)からポトレロヒル地区がはじまる。
ポトレロヒルは丘の街。西側の野原からツインピーク方面が見渡せる。アンテナはテレビ・ラジオ電波塔のスートロ・タワー。そのすぐ左の2つの小高い丘がツインピーク。
ポトレロヒルは、見た目にはごく普通のサンフランシスコの住宅街だ。坂に沿って住宅が切れ目なく並ぶのがサンフランシスコの特徴的な街景観。
ポトレルヒル地区の最上部に位置する公園、ポトレロヒル・リクリエーション・センター。残念ながら、樹木に隠れて眺望はあまりよくない。
その公園の南面一帯に広がる公営住宅。Potrero Hill TerraceとPotrero Hill Annexで計60棟。公営住宅(Public Housing)は低所得層向けの低家賃補助住宅だ。最裕福地区にこんな住宅があることが益々なぞとなる。ポトレロヒル地区の南側に貧しいベイビュー・ハンターズポイント地区が広がるが、それに連続する地域ということか。シリコンバレー方面に通うIT関連高所得者の増加により、この公営住宅地域も真新しいタウンハウス住宅街に変えられる計画がある。

O.J.シンプソンの育った公営住宅

このポトレロヒル南面の貧しい公営住宅地域は、往年の著名アメフト選手O.J.シンプソンが生まれ育った場所だ。引退後の1995年、妻とその友人殺害の容疑で逮捕された。フォードSUV、ブロンコに乗ってロサンゼルスを逃走するシーンはヘリコプターから全米生中継され、続く歴史に残る裁判劇も注目を浴びた。(結果は、敢えて書くまでもない、としておこう。)

ポトレロヒルにはかつて、地元が生んだ英雄O.J.シンプソンの壁画たくさんあった。しかし、現在はほとんどない。あっても塗りつぶされている。同地域の黒人リーダーの一人、エドワード・ハッターさんの次の言葉が象徴的だ。

「OJのことは何も考えていません。この公営住宅から出て刑務所入りで終わった者がもう一人いるというだけです。その間に輝かしいことはいろいろあった。しかし結局彼は、バカなことをやって刑務所に入ったこのポトレロヒル出身者の一人だったのです。」(The Guardian,  3 February 3, 2016

同上。ポトレロヒルの南側一帯に60棟の公営住宅が並ぶ。

丘の北側に高級住宅

それに対して、ポトレルヒルの北面は、比較的裕福な住宅地となっている。サンフランシスコ中心街の景観がよく見える。ポトレロヒルには、ツインピークやバーナルハイツのような景色のよく見える展望台ははない。このような道路から見える景色だけだ。(むろん、住宅の窓からは素晴らしい景色が見えるのだろうが。)
恐ろしいくらいに傾斜の急な坂もある。私の自転車はブレーキに問題はないとわかっているが、怖くて降りて行けなかった。(後日撮影)
曲がりくねった急な坂道もある(Vermont Street)。サンフランシスコの曲がりくねった道としてLombard Streetが有名だが、こちらの方が傾斜は急という。しかし有名でなく、住宅街の緑の中にひっそり隠れている。
別の急な坂道(22nd Street)。下から見ると…
18番街(18th Street)にはしゃれたカフェやレストランがあり、地域の人たちの憩いの場となっている。しかし、小規模であり、この程度のおしゃれな街はサンフランシスコの至るところにある。

ミッションベイにも近い

ポトレルヒル地区の東側には州際高速280号線が走っている。その向こうにはミッションベイ再開発地域が広がっている。真新しい建物群はカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の医学大学院の校舎。
その高速道路の下にカルトレイン鉄道の22番ストリート駅があった。ホームに自由に入って来られる駅。高速道路が屋根の代わりになっている。午後早い時間のため乗降客はあまり居なかったが、ポトレロヒルからシリコンバレーに通うには便利な鉄道だ。

若いITプロフェッショナルたちの街

結局、見た限りでは、サンフランシスコ随一の裕福な街という感じはしなかった。確かに北面の坂の上には立派な家があるが、それもサンフランシスコの他地域の街並みとさほど変わるものではない。それどころか南面には貧しい公営住宅地域があり、北部の坂を下りると、事務所や倉庫が混在するSOMA(マーケット通りの南側)地区的な雰囲気になる。高速道路に近いと言っても、通常、高速道路周辺は住環境が悪く貧しい人が暮らす。

やはり、ポトレロヒル地区は、シリコンバレーや市内IT地区で働く若いプロフェッショナル高給取りの街なのだ。シークリフやパシフィックハイツのように、功成った人々が金持ち趣味で暮らす高級住宅街ではない。シリコンバレー通勤に便利、サンフランシスコという大都市都心に近い、18番街など地域内にそこそこお洒落なお店がある、など利便性を重視したプロフェッショナル達が居を構える機能的な街。少なくとも見た限りでは、私はそういう結論を出した。

貧困地域ベイビュー・ハンターズポイントへ

ベイビュー・ハンターズポイントは、ポトレロヒル地区の南東側にある。左の丘がポトレロヒル、中央から右手の低地がベイビューで、右の丘からその向こう側がハンターズポイント。湾岸には今でも港湾施設が残っている。ツインピークからの景色。
ポトレロ地区から見たベイビュー地区。工場・倉庫地域と住宅街がまじりあっている。手前の高速は州際280号線。遠くはシリコンバレー方面。広義のベイビュー地区の中でも特に左の丘からその向こうの湾岸周辺をハンターズポイントといい、全体でベイビュー・ハンターズポイントということが多い。右手の丘はベイビューヒルの自然地域。その裏手にかつてキャンドルスティックパークというスタジアムがあり、サンフランシスコ・ジャイアンツなどの本拠地となっていた。現在は取り壊され、再開発が進行中。
ポトレロヒルの南側に横たわるイスレ・クリーク。ほとんどが暗渠化されている小河川だが、この河口部分だけは水をたたえた水面が顔を出す。ただし、湾の入江的でもある。この付近はすでにベイビュー地区に入る。
ベイビュー地区の幹線路三番街を走る路面電車メトロ。
ハンターズポイントの全貌。その北側、ベイビュー地区の中でもインディアン・ベイスンと呼ばれる地域の公園からの眺望。
海軍造船所跡。ハンターズポイントの先端部(湾岸部)に広がる。現在徐々に再開発が進行している。
湾岸高台はかなり再開発が進み、モダンな集合住宅が立つ。
同上。遠く北方向にはサンフランシスコ中心部が見渡せる。
地中海の瀟洒な海辺の街か、と思うような雰囲気も。
海辺にもモダンな集合住宅が立つようになった。
各所で、次々に再開発の工事が進む。

再開発とジェントリフィケーション

あれ、これがあのハンターズポイントなのか、と回っているうちに違和感を感じた。

この地域は19世紀後半から造船業が盛んだったが、第二次大戦時から海軍造船所の運用がはじまり、米国南部から大量の黒人労働者が導入された。多くの軍艦が建造され、出港していった。広島に落とされた原爆を運んだ船もここから出港している(Gun Mole Pier at Parcel D)。しかし、1974年に運用停止され、1994年までには完全閉鎖。地域の黒人労働者の間で失業が増大し、社会問題が広がった。2000年代の数字では、地域住民の4割以上が連邦の定める貧困レベルを下回り、12%が生活保護を受けていた。1966年9月に暴動が起こっていたし、1990年代になっても、ギャング間の争いなどで多数の死者が出ていることが報じられている。

しかし、今見るハンターズポイントはジェントリフィケーション(地域富裕化策)が進み、一方で小ぎれいな住宅が増え、他方で貧しい黒人層が流出を余儀なくされている。1990年に65%だった黒人人口が2010年には34%となり、変わってアジア系31%、白人12%などとなっている。確かに海沿いの瀟洒な住宅街では、東欧系や中東系と思われるような人たちを多く見た。

サンフランシスコ市の東側湾岸は、これまで港湾・工場・倉庫地帯だったところで、再開発の余地を多分に残す。シリコンバレーへのアクセスがよい地域でもあり、今後どんどん再開発が進むだろう。しかし、その合間をぬって暮らしてきて人たちの生活がどうなるのか、充分に考えて行かねばならない課題だ。

ハンターズポイントは、丘の上になるにつれ公営住宅のような低家賃住居が増える(写真)。ポトレロヒルでもそうだったが、普通は丘の上にあがるにつれて富裕層の街になるが、ここは逆のようだ。低所得者向け住居ではあろうが、しかし、ここでも極端に荒れた雰囲気はなかった。やはりハンターズポイントの住環境は全般的にかなり改善されたようだ。
同上。

初めて来た

こうしてハンターズポイントを回りながら、そう言えば私は、1970年代、1990年代に計13年間サンフランシスコ都市圏に暮らし、一度もここに来ていないな、と思った。今回が初めてだ。

別に用がなかったからではある。野球観戦が趣味の人ならこの地のキャンドルスティック・パークに来ていたろう。私はそれもなかった。そうするとこの地に来る用事はまったくない。用がないので来なかったサンフランシスコ地域は他にもたくさんある。しかし、市内で最も隔絶された地域とされるこの地にこれまで足を踏み入れていなかったのはやはり反省点だ、と思った。