トシとのたたかい、怪我とのたたかい(その3、72歳)

「トシとのたたかい、怪我とのたたかい」を継続的に記録していくことにした。読者には興味のないことかも知れないが、自分の忘備録としては必要だ。いやいや、やや異常気味に元気な「高齢の若者」がどうくたばっていくのか、記録していくことは社会的(医学的?)にも意味があるし、ご同輩の参考くらいにはなるだろう。

老いの訪れ方。私の場合、徐々にスポーツができなくなるというところからそれが始まる。軽い怪我でも徐々に治りが遅くなり、総体的にはスポーツできない期間が長くなる。日常生活には支障がない。だから普通には老いがわからない。しかしスポーツの局面で前兆的にそれが感知される。

急坂ダッシュという妙手

前回、71歳時の困難を書いた。そこで記した小股で走る「ピッチ走法」への切り替えは、さほど劇的効果はなかった。劇的変化は「急坂での坂ダッシュ」という作戦採用で現れた。普通の坂道のダッシュでは膝が痛くて走れない。しかし、ある時、それよりずっと急な坂でたまたま走ってみた。すると、思いもかけず膝が痛くない。サンフランシスコの急坂のような、車でも登るのに難儀するような坂だ。

何でだ? 走るときの膝の角度が微妙に異なり、痛くないところに負荷がかかる、という仕組みのようだ。

うれしい。坂ダッシュ20本を急坂でやりはじめた。しばらく、坂を駆け上がる快感から離れていた。心肺的には苦しいが、この思い切り足を振れる感覚は気持ちよい。夜のお墓横の急坂を、この世のものとも思えぬ苦しい形相で走る老人。幸い目撃されることはほとんどなかった。

(余談だが、日本の都市部で運動する場所というと、公園と川堤防以外では、お墓近くの道が定番。特に坂ダッシュの「坂」を求めると3番目は有望となる。諸君らも街の中で探してみるといいい。お墓を見ながら走るのは、そこに近づいた者の運動の場として相応しい。)

足腰が再び鍛えられるのを感じた。不思議なもんで、急坂ダッシュで膝周り筋肉が鍛えられると、膝痛自体も徐々に軽快した。いろいろ地域バスケに復帰し、再びわけえもんらと戦うようになった。「おじいちゃん」だとなめていたわけえもんが目の色変えて本気になってくるのを見る快感。何しろ急坂ダッシュ訓練だから、足腰の強化も半端ない。

肉離れ

今年1月、2月がそういう時期だった。再び戻ってきた絶頂期。有頂天になっていたが、それが引退間近の最後の線香花火だったのではないかと思う時期が次に来た。3月に入り、右大腿部後側に肉離れが起こった。軽いものだが、いつまでも直らない。

いや、最初、肉離れだとはわからなかった。どこで痛めたか記憶になく、大腿部全体に鈍痛がして最初は疲労痛だと思っていた。それで、少し無理してやっていたが、痛みは次第に特定個所に集中していき、これは肉離れだ、とわかった。重症ではない。平地を歩くのは普通にできる軽い肉離れだ(素人の判断)。少しスポーツを休んでいれば直るだろう、と思っていた。

3週間ぐらいしてから少し走るのを再開。するとたちまち痛みがぶり返した。こりゃだめだ、じっくりと直るまで休んでいなければならない。

そうやってもう4月半ばになるが、まだ鈍痛があり、復帰できない。こんな軽い症状でも長引くのはやはりトシのせいだ。まさかこれで私の競技人生も終わりということはないだろうが、その不安もなくはない。老いていくことはスポーツやれる期間が徐々に減り、休んでいる時期が長くなるということか。そういうプロセスを今歩んでいるのか。

何とかできるウォーキングと水泳を控えめに続けながら、けがが治るのを待ち、復帰を目指している。