じいちゃん、アテネを歩く

アテネの象徴アクロポリス(パルテノン神殿)

42年ぶりのアテネ

2022年10月23日、ギリシャのアテネに着いた。1981年1月以来、約42年ぶりのアテネだ。午後1時半(日本時間午後7時半)頃、1泊2000円のホテル(アパート)にたどり着く。42年前も1200円のホテルで安いと思ったが、今もまた安い。

むむむ、まあいいホテルだ。さびれた場所だが、中はきれい。5階で眺めがよく、ダブルベッドがあって専用シャワートイレはもちろん、流しや冷蔵庫、電気ポットやトースター、コーヒーメーカー、ドライヤーもある。Wi-FiもつながったしテレビもOK。エアコンもあるが、今はちょうどいい陽気で使わないだろう。電気コンロがないのが残念だが、今回はまあお湯を沸かしてカップ麺を食べるだけにしよう。

「むむむ」なのは、場所がちょっと、だったので。サンフランシスコで言えばテンダロインのようなインナーシティだ。路地を歩くと立小便の臭いんがする。新鮮な大便も目撃した。あれは犬の便じゃなくて人間の便だ。びちゃびちゃで…。「地球の歩き方」にもこの辺は危ない所なので地元の人も行かないようにしていると書いてある。朝到着でよかった。

宿泊は本当に合理化されている。チェックインで人に会わない。メールで暗証番号が送られてきて玄関で0408#、6階の部屋で6127#を入力するだけ。支払いはネットですでに済ませた。玄関にホテル名Historic Center Studiosの看板さえなかった。ホテルを出た後は暗証番号は変更される。

メキシコを思わせる

空港からの電車の景色はカリフォルニアを思わせるもの。乾燥して野山の緑がまばらだ。空に雲一つない。いや、カリフォルニアというよりメキシコだ。白壁の家が小さく、しかも崩れが目立つ。何と、空港アクセス列車の中でアコーディオン弾きがはじまった。中南米では(そしてそこからの移民の影響でニューヨークでも)地下鉄の中に楽器弾きが現れておカネを集めていく。

アテネの街の第一印象は、42年前と変わってないな、というもの。ヨーロッパだが、中東など途上国の影響を感じる。街のふしぶしに貧しさを見る。40年前1カ月近く滞在してヨーロッパについて論文を書いていたが、どこに泊まったか思い出せない。しかし、だいたいこの辺に泊ったはずだ。近くに市場があり、南方にアクロポリスの丘を見上げた。市場で男がガラスのコップを鉄の棒にガチガチとたたきつけながら「割れないですぞ!」と怒鳴って売っている…などと書いたが、今もそんな光景があっておかしくない。

中華街ができつつあった

しかし、驚いたことに、宿周辺には中国系の漢字の店や倉庫がたくさん並んでいる。40年前との明確な違いだ。チャイナタウンができつつある。街中で、中東やアフリカからの移民の人たちとともに、中国人の顔も見る。ホテルの場所探しで迷い込んだ一ブロック隣の通りに「ギリシャ中国文化協会」の看板を見た。

一休みしてから付近を歩いた。アテネまでのLCC便は無料機内食が出なかったので、まずは食料調達だ。しかし、ヨーロッパはどこでもそうだが、日曜日はお店がどこも閉まってしまう。特に生活物資のお店はだめでスーパーは開いてなかった。観光地の方に行くと、レストランやカフェは空き、街路に出されたテーブルが賑わっているのだが。

アテネは町中どこからでも遺跡が出てくるようだ。正面はアテネ市役所とコジヤ広場。そこに古代の道路(Acharnian Road)、墓、小集落の発掘が進んでいた。この市役所の裏手一帯にインナーシティが広がり、私の宿もその辺にあった。

少女たちの花売り

数人のティーンエイジ少女グループが街路で花売りをしていた。私が地図を開いているのを見て、観光客だと目をつけたのか、寄って来た。もみくちゃにするかのように「買って買って」「素敵なお花だよ」。

「買わない」と拒絶する間もなく、財布のある私のポケットに手が伸びたのを察知。払いのけて遠ざかった。バカめ、そんな手に乗るか。健全そうな普通のティーンエイジャーに見える。少女たちにこんなことをさせておくようではだめだ。古代民主主義の祖国がまったく情けない。

10月末でも観光客が多い

観光スポットの方に行くと、人手がすごい。お店も多く、露天商やピザ屋さんで安く食料を入手することができた。しかし、観光シーズン(夏)はもう終わったはずなのに、何て人出なんだ。買ってきたものを宿に帰って食べたらどれもまずい。おかしい。日本の美食に慣れているうち、舌が贅沢になってしまったか。味音痴に戻らないと安旅はできない。

近くのモナスティラキ広場(「小さな修道院の広場」)から見たアクロポリスの丘の偉容。観光客の数も尋常ではない。だれもマスクは付けていない。日本を出てくるとき、街は皆マスクをつけていた。

高い所に登ろう

アテネ2日目は、朝7時から正午までちょうど5時間郊外を含めアテネの街を歩いてきた。これから必ず毎日最低5時間は歩くつもりだ。バスケやらないので歩きはそれくらいやるのがちょうどいい。息子からもらった中古靴にスポンジ入れて歩くとなかなか快調だ。

ナニと煙は高い所に上る。市東部にそびえるリカヴィトスの丘(277メートル)に登った。アクロポリスは入るのに20ユーロ(3000円)とられるが、ここからなら上からただで全部見える。アクロポリスには42年前に入ったし、またすぐ訪問することもあろう。

市内東方に見えるリカヴィトスの丘。

二つある頂上のうち、眺めのいい方にはレストランや鐘楼(写真)がある。

アテネの街。リカヴィトスの丘から。中央がアクロポリス。

夕方また近場を2時間ほど歩いて計7時間。大型スーパーがなくて不便だ。ちょっと大きめのコンビニ(BAZAAR Supermarket)をやっと見つけた。宿付近は中華街的だが、特有の雑貨屋がほとんどない。なぜか衣料店ばかりで、それも問屋のようなものだ。中国系の人たちは中国からの衣料品貿易などで現地経済に地歩を築きつつあるのか。

旅の最初はとにかく街を歩き回る。途上国(EU圏なのだが)の雑踏に慣れることが大切だ。そこから旅行者のド根性が生まれてくる。

アテネ3日目

アテネ3日目。計6時間歩き。今度は市内の観光客でにぎわうプラカ地区を流し、その足で西部のフィロパポスの丘に登った。

まったく、観光の中心地に行けば、雰囲気が違う。豊かそうな観光客が多く、あまりにもそうした人たちが多いので悪さをする人たちも圧倒的マイノリティでつけ入るスキなないという感じだ。アテネでゆっくりした観光をしたければ、こういうところに泊まることだ。アクロポリスもアゴラも近い。野外カフェでお茶を飲み、瀟洒なレストランでギリシャ料理に舌鼓をうつ。

おしゃれな観光客の街エルム―通り。

国会議事堂。朝の衛兵式の様子。

その道路対岸にあるシンタグマ広場。この辺がアテネの中心部と目されている。

その近くにギリシャ国立図書館の建物があった。これはよく覚えている。42年前にはインターネットなどなく、旅先でいろいろ疑問が出た場合、各地の図書館で英語の百科事典にあたったものだ。ところがこの図書館は平日午後2時にしまってしまうという驚くべき開館時間だった。確かに地中海地方ではシエスタの習慣があり、長い昼休みを取る。その勢いで仕事も夕方はなしにする、などのことが多いのだが。国立図書館は、現在は新館もできて夜8時までは開いているようだが、木金は4時まで、土日や休館ということであった。

アテネ随一の制度、ミトロポレオス大聖堂。こちらは遺跡でなく、現役のギリシャ正教の聖堂。

観光地からはずれるオモニア広場。私の宿はこれの比較的近くにあった。

私宿の再評価

私の入った安宿の名誉のため、評価をやりなおしておく必要がある。観光客の多い地域からそれほど外れているわけではない。南に歩いていけば楽しそうな野外カフェ街がはじまり、観光の中心地点モナスティラキ広場まで歩いて10分だ。インナーシティと観光地域のちょうど境界上にあることがわかった。例えていえばサンフランシスコのヒルトンホテルだ。ケーブルカーやユニオン広場など観光に至便なところにある。しかし、逆方向に行ってしまうとすぐ荒れた地域がはじまる。

お薦め宿リストに入れておいていいだろう。The Historical Center Studiosだ。一般の予約サイトから予約できる。

創成期の中華街

チャイナタウンは、明らかに最も荒れた地域に生まれつつある。米国ではチャイナタウンも日本町も、エスニックな料理や文化が楽しめる場所として人が集まり、3世、4世が中心になったアジア系の社会経済的地位も向上していると言える。しかし、アテネでは、何もないところから中国系が苦難の道を歩み始めたばかりのようだ。米国の中国系、日系も19世紀後半、あるいは20世紀前半に、最も貧しい地域に寄り添って生活を起こし、徐々に地歩を固めた。その初期の歴史の中に、現在の中国系ギリシャ人たちは居るのだろう。

古代アゴラで今でも発掘が続いているようだ。そこら中ほれば遺跡。これは鉄道駅に近い地域。

同上。

西部のフィロパポスの丘に登った。そんなに高い丘ではない。昨日登ったリカヴィトスの丘より、アクロポリスとパルテノン神殿がより間近に見える。背景の山がリカヴィトスの丘だ。

こうやって、アクロポリスにも入らず、博物館も見ず、外からアテネの街を見物。安旅の秘訣だ。え、いったい何しにアテネに来ているのかって。まあ、じいちゃんが健康のため、毎朝あちこち歩き回っているだけですよ。