確かに旅人でもその社会の現実をそれなりに認識できる。社会主義独裁政権の遺産は現在でも東欧社会に大きな負荷となっているのではないか、ということの続き。例えば、観光案内所とツーリストマップ(市街地図)だ。
元社会主義国で、市街地図はどこにある?
旅行者にとってその街に着いてすぐ欲しいのが市内地図だ。むろん、最近はグーグルマップなどのネット上地図もあるが、やはり紙の市街地図があればうれしい。重宝する。ネットがなくても使えるし、バッテリー切れも心配もない。
例えば、4年前、ポーランド・ワルシャワに着いたとき、バスターミナルにも中央駅にも市街地図がなかった。バスターミナルには案内所自体がなく、中央駅には鉄道案内所はあるが、市内情報の案内所はない。いろいろ聞き、たらいまわしされたあげく、やや離れたソ連型年代物巨大ビルに行けと言われた。「文化科学宮殿」だ。1955年建設の「スターリン様式」建築で、当初は「スターリン記念文化科学宮殿」と言われた巨大建築(高さ237メートル、42階立て)。かつては主要官庁、現在は企業なども入る。
確かにそこに観光案内所(tourist infomation center)はあった。ちゃんとした市内地図や各国語のガイド冊子をもらえた。それはそれでいい。しかし、なぜお役所ビル内なのか。旅行者が着くところにこそ案内所を置くべきなのではないのか。役所まで来れば、そこで政府がつくった観光情報をあげるぞよ、というスタンスを感じた。
旧社会主義国にはいろんなところにお役所仕事が残る。旅行者にもその一端は示されるのだ。
ブカレストの観光案内所には地震情報がたくさんあった
今回、ルーマニアのブカレストでも同じような経験をした。着いたバスターミナルに観光案内所はなく、中央駅(北駅)に案内所はあったが、市内地図はおいてなかった。やはり駅にあるのだから鉄道情報の案内所なのだ。
どこに観光案内所があるのか、古いガイドブックやあまり更新されていないグーグルマップなどでいろいろ試行錯誤をし、結局たどり着いたのは、地下鉄の大学広場駅だった。改札前の小地下街の一角に案内所がある。見つけにくいが、まあ、市中心部の駅だからいいとしよう。
だが、この案内所はネット上の書き込みを見るとぼろくそに言われている。スタッフがまるでヘルプする気がない、税金の無駄遣いだ、過去の官僚主義は葬り去らなければ、などなど。
恐る恐る入る。あまり観光パンフ類は置いてなく、そこら中、地震に対する建物耐久性の市内地図が置いてある。観光地図ではないから、どれが何の建物なのかわからない。ただただ耐震性が建物ごとの色分けで出ているだけ。
いや、地震情報も重要ですよ。ルーマニアが意外に地震が多く(*1)、1977年には1500人以上が亡くなるM7.2地震があったことを知らない人も多いから、それを知らせるプロパガンダするというのも確かに重要だ。しかし、観光案内所に地震情報だけ、というのはどうか。
(*1 実際この後、私がブカレストから北方のスチャバに向かった2日後の11月3日朝、まさにそのルート上にあるフォクシャニ(ブカレスト北120キロ)付近で、M5.2の地震があった。被害はなかったようだが、実はこの辺は地震の多発地帯だ。ルーマニアの地図を見てすぐにわかる中央部逆L字型の山脈。その逆L字の付き出し部分に地震が集中している。この辺にかなりのひずみが溜まっているらしく、それだからそこに地震も起こるし、そもそもこのような特徴ある形の山脈も形成されたのだろう。ブカレストも近いので、ブカレストで安宿ばかり泊まっていると、ちょっと心配だ。)
スタッフの女性は、確かに愛想がよくなかった。いや悪い感じではない。内向的でどちらかというと「本の虫」という人なのだ。人づきあいが苦手なのだろう。それが悪いとは私は言わないが、なんでそういう人が旅行者と密にコミュニケーションしなければならない仕事についているのか不思議だ。
市内地図だけはもらえるとガイドブックに書いてあった。下さいと言ったら確かにくれた。詳細な良質の市街地図だった。そしてお役所観光案内所というのは要するにもらうものをもらえればそれでいいんだ。それ以上何を期待するというのだ。いろいろ訪問先の相談なんて、それは自分で考えることだろう。
しかし、これがバスターミナルや鉄道駅にあって欲しかった。空港は行ってないのであるかどうかわからない。日本なら旅行者が着くところに置くというのが定石中の定石だろう。顧客の居る所に出ていってサービスする、それが顧客ある仕事の基本だ。お役所ビルでなかったのはよいが、やはり「来たらあげるよ」的なスタンスはある。
スチャバで案内所はついに見つからなかった
ここスチャバでも市内地図を探した。バス利用も必須なので、市バス地図や時刻表も欲しい。どこにもない。観光案内所もない。グーグルマップを含め古い情報にいろいろ惑わされてほぼあきらめかけたとき、街角で旅行代理店を見つけた。めずらしい、こんなものあまりなかった。断っておくがスチャバは中世モルダビア公国時代の「五つの修道院」が周囲に点在する観光名所だ。世界遺産にも登録されている。
すぐ入って聞いた。彼ら自身は市内地図はもっていなかったが、観光案内所の場所を教えてくれた。市街東部のブコビナ・ホテルの隣にあるという。行くと、写真の通り「国立観光振興情報センター」と書いてある。これに間違いない、と勇んでドアを開けると…
10人ほど机に詰めた職員が一斉に私を見た。明らかに顧客に相手する場所ではない。役所オフィス。日本の会社事務所のような机配置で皆が仕事している。
「あのねえ、英語話せる人居るう?」
脚光を浴びながら皆様に聞くと、若い男が名乗り出た。確かに前はここが案内所だったが数年前に移った、と言う。でも待ってろ地下室に市街地図が残っているかも知れない、と言って下に行き、見事、市街地図を取り出してきて私に渡してくれた。デザイン・イメージ的なあまり精巧な地図ではなかったが、ついに念願の市街地図が手に入ったのだ。
案内所はどこに移ったのか。大きめのスーパー「カウフランド」に移ったと言う。ありがとう、じゃあ、さっそくそこに行ってみます、と言って向かった。カウフランド・スーパーは、スチャバに着いて食料買い込みで真っ先に行った場所だ。最初に戻ったか…。
観光案内所(Tourist Information Center)はどこですか。聞きまくるが一向に反応がない。皆、首をひねる。確かにそうだろう、何で大型スーパーに観光案内所があるんだ。そのうち聞いている自分がばからしくなり、あきらめた。もうよいわ、市街地図が手に入っただけでも上等じゃないか。
(以下、後日追記)
ブラショフの観光案内所は合格!
スチャバの後、ルーマニア中央部(トランシルバニア地方)のブラショフに行くのだが、ここの観光案内所は合格だった。
最近、場所が変わったようで、旧市街中心部のスファトゥルイ広場でなく、スケイ門の外側にあった。ちょっと目立たないところに変わったが、そこに至るまでMureșenilor通りに100メートルおき位にiマークの案内が出ていたのは評価できる。
閉まっているのかと心配になるほどの重厚な扉を開けると、階段があり、さらに重厚なドアがあり、そこに地図、パンフ類がすべて置いてあった。スタッフはだれもいない。案内所自体はさらにもう一つ重厚なドアを開け事務所部屋に入っていかなければならない。「お前らには会いたくない」「入って来るな」と言われているようだ。しかし、無人の資料置き場で立派な市内地図その他何でも手に入る。それで十分だ。完全に合格!
土日に観光などに来る方が悪い
ティミショアラの観光案内所は、確かに市内随一の名所、勝利広場にあった。革命の舞台になったオペラハウスの右横。しかし、営業時間は月ー金・9時ー5時で、土日は休みだった。ドア入ってすぐのところに市内地図などのパンフが置いているのは確認できたが、私のティミショアラ滞在はちょうど土日で、完璧に使えなかった。
なるほど正しい。そうだよな、土日に観光に来るようなヤツこそ悪い。はい、今後は勤務時間内に来るように致します。
ただ、この案内所はドアがガラス張りで市内地図などが、そのガラス内側に張り付けてあるのがよかった。それを写真に撮れば、一応の手持ち地図として使えた。
滞在最後に見つかる観光案内所、閉鎖されている場合も
観光案内所は、バスターミナルや鉄道駅など、着いてすぐの必要な所にはない。高度な案内情報がないとたどりつけないような市内の特定個所にある。だから大抵の場合、数日の滞在の最後の頃になってやっと見つけ、市内地図などを記念に入手できた、などとなることが多い。
その間どうしているのか。「地球の歩き方」様に非常にお世話になる。私の場合、諸事情で最新版は買えず、5~6年前の100~200円の中古本をアマゾンなどで仕入れる。その市内地図の部分をちぎってポケットに入れて歩く(本全体をもつと重いので)。最新版だと簡単にはちぎれないが、100円本だと気楽にちぎれる(ごめんなさい!)。そして市街地図というものは、天変地異でも起こらない限り、5~6年前のものでもそんなに変わらいないものだ。十分使える。(ただし、観光案内所の場所は変わっていることが多い)。これで滞在期間のほとんどをお世話になり、滞在最後に日あたりに観光案内所で市内地図を(お土産に?)入手させて頂くという寸法。だから、「歩き方」様は粗末に扱いながら、唯一の頼りになって下さるわけで、まったく足を向けて寝れないほど感謝している。
滞在最後の日についに観光案内所の場所を突き止めるわけだが、それが閉鎖されていた、などとなることもある。ベオグラードの観光案内所の場合は、そういうケースだった。