ウクライナ国境に行った

ルーマニア北部シレットの国境検問所。2022年11月8日午前9時頃。ウクライナから来る人の数はさほど多くなかった。こちらは乗用車や徒歩で入ってくる人の検問所。この右奥にはトレーラーなど大型貨物車の検問所があり、そちらは混んでいた。

「日本から来たんだが…」と言うと、私の顔をのぞき込みながら「そう見えるよ」と男がにやっと笑った。面白い男だ。

11月8日朝、北に45キロ離れたウクライナ国境に出向いた。国境の街シレットからさらに4キロ。近づくにつれ、黙って歩き続けるのも怪しいので、会う国境警備員に次々話しかけた。なにしろ、国境まで3キロは立ち入り制限になっているという情報もあり、緊張していた。検問所まで500メートルくらいのところで会った警察官には、この長い大型トラックの車列(後述)は何だ、と聞いてみた。英語がよく通じなかった。「お前は車で来たのか」と聞いているようだった。両手を振って歩くジェスチャーをすると「だったら歩いて行け。あっちだ」と検問所の方を指さす。そうか、行ってもいいらしい。

故郷に戻るウクライナ人も

難民にいろいろ支援を与える「ヘルプポイント」の辺りに来た時、警備員詰め所と思った建物の窓から男が顔を出していたので、声をかけたのだ。その面白い男に「今もたくさんの難民が来るのか?」と聞いてみた。

「いや、そうではない。ウクライナから来る人とウクライナに行く人とが同じくらいだ」と男は応えた。気楽そうなお兄さんだが、きちんとした答をくれる。

「戦争がどこで起こっているのか知らないが…」と男はまたとぼけながら言う。「この辺(ウクライナの西南部)は比較的安全なんだ。戦争が始まってすぐ逃げ出して来た人達が、大丈夫そうだと家に戻っている。」

なるほどそういうものか。やや古い数字だが、8月末時点の10日間で、1日平均4100人のウクライナ人がEU圏に入ったのに対し(ルーマニアもEU加盟国)、4300人のウクライナ人がEU圏から出た。EUの国境管理専門機関Frontexは「ここ数週間のウクライナ・EU間の旅客交通は、比較的安定してきている」とした(Frontex press release, August 31, 2022)。2月のウクライナ侵攻以来8月末までに950万人がEU圏に入り、内850万人がウクライナ人だった。そのうち410万のウクライナ人がEU圏で一時庇護申請を行なったという。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のルーマニア国境全体での通過統計では、侵攻以降11月6日までにウクライナからルーマニアに1,493,545人、ルーマニアからウクライナに1,179,716人入ったとなっている。几帳面に毎日の出入国統計を発表しているルーマニア国境警備隊のウェブページによると、この日(11月8日)、全土で約131.000人の国境通過があり、ルーマニアに入国したのは63,392人、内ウクライナ人が7.586人だった。今年2月10日(侵攻前)から同日までで2,784,898人のウクライナ人がルーマニアに入った(帰ったウクライナ人の統計は出されていない)。

後で撮った写真を見直すと、この男が顔を出していた建物には英語でも「Press」(報道)と書いてあった。初めからルーマニア語は読めないと決めつけていたのは失敗。報道対応窓口がちゃんとあるなら、正面から名乗ってもっと詳しく話を聞けばよかった。

国境検問所に行く

すぐ国境検問所の方に向かった。確かにあまり入ってくる人は多くない。入国審査係官が3人、外で立ち話をしている。質問してみた。いや、検問所あたりで黙ってぶらぶらしていたら怪しいので敢えて積極的に話しかけた。「日本からのジャーナリストだが、今も難民は多いのか。」

「今は多くない。3月頃はこのゲートが人で埋まるくらいだったが、今はご覧の通りさ」と三人組の一人がゲートを指さして言う。確かに、車が1台来ているだけだった。「ここにウクライナから乗用車や歩いてくる人が来るんだけどね。」

写真を撮っていいか聞くと、「うーむ、あそこのボスに聞いてみな」と言うので遠慮して、かなり遠くに戻って撮らせて頂いた(冒頭の写真)。あの検問の向こうがかのウクライナだと思うと感無量だった。

(参考写真)

(参考写真)今年3月のウクライナ難民状況。ウクライナ西部ウジホルドからスロバキアに避難する人々。2022年3月10日。Photo: Arorae, from Wikimedia Commons, (CC BY-SA 4.0)

難民を助けるヘルプポイント

難民支援のヘルプポイントは検問をくぐって来て100メートルくらいの道路わきにあった。難民たちの相談に載ったり、水、食料、毛布などを配布したりする。さすがにテントでなく、プレハブ住宅だった。3月頃はまだ寒かったろう。いろんな企業のロゴマークが外壁に表示されていたので、社会貢献の寄付があったのだ思われる。

入国ゲートの方から歩いてくる女性がいたので、ウクライナから来たのか聞くと、そうだと言う。「でも難民じゃなくて、国連機関で働いているのよ」とのこと。なるほど明るく元気そうな女性だ。「大変なお仕事ですね。日本人ボランティアも居ますか」と聞くと「A lot(たくさん)!」という威勢のいい答え。ただ、ここではなくてウクライナ国内で活動する日本人ボランティアにたくさん会ったということだという。

ウクライナから来る人達のためのヘルプポイント。相談に乗ったり、食料など支援物質を配ったりする。
同上。社会貢献した企業のロゴマークも見える。
警察官か、と聞くと消防士だという。道路の向こう側。緊急医療のためテントを張って待機している。
国境検問所の手前数百メートルのところにホテルがある。その名もまさに「フロンティア・ホテル」。避難民で超満員と思ったこのホテルが何と当日予約でも空いている。ここに泊まってもよかったのだが1泊680レウ(約2万円)で私には無理だ。それで45キロ離れたスチャバの75レウ(2250円)宿に泊まっているのだ。
国境線の変更が多かったルーマニア北部は、その「ブコビナ」地方が国境線を越えてウクライナにも広がっている。ウクライナの肥沃な黒土地帯もこの辺まで到達し、大規模農業が行われている。国境検問所の近くの畑でも、ウクライナと同じような大型コンバインが動いていた。
国境線の向こうにウクライナの丘や集落が見渡せる。

ウクライナはバーゲン?

ウクライナに入れないわけではない。日本人の場合、3カ月までならビザなし滞在ができる。そして驚いたことに、この戦乱期にありながら、ルーマニア北部のルーマニア人が、大挙して低物価のウクライナに買い出しに行っているという。Euronews, Oct.25.2022によると、この10月に1日平均3000人のルーマニア人がシレット国境を越えウクライナに入った。その多くが「バーゲン」を求める買い出し客で、チェルノフツィ(国境から40キロのウクライナ都市、人口26万)まで行ったという住民が「小麦粉、砂糖、油、洗剤、何でも安い」「ルーマニアより30~40%安い」などと語るのを報じている。

(ウクライナは戦争で物価が下がっているわけではない。前から、バックパッカーの間ではヨーロッパで一番物価が安いと言われていた。私は4年前に東欧を旅した際、ならばウクライナに行こうかとも思ったが、バルト三国、ポーランド、クロアチア、モンテネグロ、アルバニアなど地中海側をたどることになった。今思えば、この時ウクライナにも行っておけばよかった。海外に旅というのは行けるときに行っておかない行けない国・地域というのが結構ある。)

スチャバ・チェルノフツィ間には1日1往復のバス便がある。ただしこれは、ウクライナからの免税タバコなどを取り締まるため帰りの国境審査に非常に時間がかかるとのこと(WikiVoyageのSuceava項)。

私もそういうショッパーとともに気楽にウクライナに入ってみようか、と思う気持もなくはなかったが、そこは矜持というものがある。確かにウクライナ南西部はリビウ(やや北の同国西部中心都市)より攻撃は少ない。それでもイバノフランコフスク、フメリヌィーツィクィイ、チョルトキウなどの軍事・インフラ施設へのミサイル攻撃はあったのだ。

通関を待つ長い車列

予想外だったのは、何キロも続くトレーラー、大型トラックの車列だ。ウクライナに出る通関を待っている。相当混乱し、時間がかかっているようだ。動かないトラックの傍らに簡易テーブルを出し朝食を食べはじめる者もいる。国境の街シレットから検問所までは4キロくらいあるが、その半分くらいトラックの列が続いている。周囲は農地だが、ゴミが路肩中に散らかっている。公衆トイレの少ないルーマニアだが(ヨーロッパはどこでも)、ここだけは百メートルおきくらいに簡易トイレが設置されているのも納得した。

8月頃までは、黒海を通じたウクライナ産穀物輸出ができず、陸路ルーマニアなどを通る手段がとられた。ウクライナからルーマニアへの通関に長い車列ができ問題になっていた。だが今は逆だ。黒海での船による穀物輸出が再開され陸路依存が減る一方、ヨーロッパ各地からウクライナへの支援物質移送が引きもきらない。熱波で川の水位が下がり河川輸送のキャパが下がっていることも影響しているらしい。ルーマニア国境警備隊のTraffic Onlineページによると、シレット国境でのトラック入国の待ち時間が120分なのに対して、ウクライナへの出国待ち時間が500分(8時間20分)になっている。ウクライナに向かう方はトラックが2列に並んで停滞しているが、ウクライナから来るトラックはあまない。

通関もそうだが、そもそもルーマニアには高速道路があまりない。都市部を避けるバイパスも少ない。道路輸送のキャパが不十分なのだ。このため街中を巨大なトラックやトレーラーが疾走していく。私のスチャバの安宿もそうした道路に面していて、歩くのがつらくなる。

(私が国境見学をした2日後の11月10日、シレットの西30キロのビコブ・デ・ススで新しく貨物車が通れる国境検問所が開通した。Radio Romania, Nov. 11, 2022, GMK Center News, Nov. 9, 2022。これまではウクライナ・ルーマニア間で貨物輸送が可能な国境はシレットだけだったが一つ増えた(新検問所は当面空トラックのみの通過)。さらに他に3カ所の国境検問が設置される予定という。)

数キロ続く大型トレーラーの車列。通関に時間がかかっている。
同上。ゴミも散乱する。
国境の街シレットの街路を疾走する大型トレーラー。

ウクライナ近くに行ってもいいのか

本格的な取材をするでもなく、ボランティアをしようというのでもない。こんな私がふとどきにもウクライナ近辺などに来ていいものか、むろん来る前に真剣に考えた。

私は戦争ジャーナリストではない。決してウクライナに入ってはいけない。迷惑をかけるだけだ。その近隣に行くだけだが、すでに難民で負荷のかかっている近隣諸国にふとどき者が気楽に行っていいのか。慎重に調べなければならない。

ウクライナ難民は、同じスラブ系で文化的に近いからかポーランドに140万人以上入っている。ルーマニアには約8万人だ(UNHCR集計)。現在これらの人々がホテルに泊まっているとは思われない。実際この日国境で聞いたように現在では来る人とほぼ同じ数がウクライナに帰っている。ネット上の宿予約でも、ルーマニアのホテルには結構な空きがある。今私が入っているスチャバの安宿でも他の宿泊客にほとんど会わない。

スチャバの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)フィールド・オフィッス。町はずれの森に抜ける道路上にあった

逆に、コロナ禍が下火になるにつれ、ルーマニア政府は観光客の呼び込みにやっきになっている。観光アドバイスのRomania Tourismサイトは「ルーマニアは安全だ」「ウクライナ戦争の影響はない」と強調し、「自治体も宿泊飲食産業も、コロナ規制の緩和に伴い2022年に力強い観光復活があることを心から期待している」と訴えている。ルーマニア政府は外国人客を4日以上泊めたホテルなどに40ユーロ(約6000円)の支援金を出す法案も準備している。

日本の外務省の危険情報でも、ウクライナこそ真赤な「レベル4 退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」だが、ルーマニアを含め近隣諸国は他の西欧諸国同様、特段の勧告は出てない。つまり、「レベル2 不要不急の渡航は止めてください」も、「レベル1 十分注意してください」も出ていないということだ。

困難地域に入るのに充分注意しなければならないのは当然だが、不当に忌避するのもおかしいと思う。

国境地帯へのアクセス

国境に向かうには、まず、スチャバから42キロ北に行ったシレット(Siret)までバスで行く。スチャバのバスターミナルから地元民向けのマイクロバスが1日5便出ている。所要約1時間20分、料金15レウ(450円)。時刻表は次の通りだ。(ルーマニアではネット情報が最新でない場合が多いので必ず現地で確かめるようにしている。もっともバスターミナルでも時刻表は表示されておらず、係員に聞いただけだが。)

  • スチャバ発のシレット行き
    •  6:45
    • 12:00
    • 15:45
    • 16:00
    • 17:30
  • シレット発のスチャバ行き
    • 5:30
    • 6:45
    • 12:00
    • 14:20
    • 16:20

このスケジュールであれば、始発6:45で行く一択だろう。現地で一日中動くには朝行く以外ない。スチャバのバスターミナルへは5、28、29番の市バスで行ける。しかし、その他多くのバスが停まるSala Sporturilor(運動場前)からでも歩いて20分ほどだ。

スチャバのバスターミナル。ルーマニア語では駅はGara、バスターミナルはAutogaraというようだ。長距離バスのほとんどは小型バス。ターミナルの中にも時刻表などの表示はないが、事務室に人が居ていろいろ教えてくれる。トイレはこの建物の裏側。使用料2レウ(60円)。

遠距離交通の小型バスは地元民の移動・通勤などにも使われ、乗り降りを繰り返す。田舎の小集落にも入るので、ルーマニアの農村生活がよく見られる(たぶん、ウクライナの農村も似た光景だろう)。8時過ぎにシレットの中心部に着いた。教会があり広場があり野外市が立つ。人口8000人のごく普通の地方小都市だ。難民があふれて混乱、という状況は今はない。4キロ先の国境はどっちか。地図はないが、とにかく北に向かって「しれっと」行けばいいのだ、などとギャグをたたきながら北に向かう。大きな町ではなく、交通量の多い道をたどっていけば、自然に国境アクセス路に入る(国道2号線)。

セレット川(Seret River)を渡ってV字路を左に行き、後は何もないまっすぐな道を国境検問所までひたすら歩くだけだ。そしてまず見えてきたのが、数キロに渡って続く大型トラック、トレーラーの車列、というわけだ。これほどの大量の支援物質(だと思う)が全欧州から来るというのは実に頼もしいことだ。

国境の街シレットでも特に混乱はなく、穏やかな市民生活が続いていた。屋外市では、近づく冬に備えてジャンパーなど冬服のセールが行われていた。
シレットから国境方面に伸びる国道2号線。
セレット川の橋を渡る。
V字路を左に行くと、あとはずっと一直線。周囲は畑。
そしてトラックの車列が見えてくる。左側の緑色の「小屋」は簡易トイレ。約100メートル間隔に設置されていた。

ウクライナへの敬意

国境検問所付近をしばらくぶらついた後、帰ろうとしたら、さっきプレスのところで話した陽気な男が、「あのヘルプポイントに暖かいコーヒーがあるから飲んでいったらどうだ」と言ってきた。

いやいや、それはない。私にも矜持がある。「あれは難民のためのものでしょ」と言って退散。またシレットの街まで4キロを歩き、そこからスチャバまで小型バスで42キロ。一応行くべきところには行った、今の段階ではこれしかできないな、と自分に言い聞かせた。

何だったのか。ウクライナに対する敬意だろう。東欧を旅するからにはまずウクライナ国境に行かねばならない。国際的に民主主義獲得の最前線に立つウクライナの人々に敬意を表したかった…。