中世都市ブラショフ(「安宿への正しい入り方」も)

11月15日午後2時頃、トランシルバニア地方の中核都市ブラショフに着いた。例のごとく宿に入るまでに苦労した。

安宿は、入るまでが挑戦

安宿は入るまでに難あがり、極端な場合、宿の前に立って永遠に待ち続けることになる。苦労の経緯をあれこれ述べるより、正しい入り方を書いておく方が役立つだろう。

何よりも、ヨーロッパの(最近は日本も含めた他の多くの地域の)安宿にはレセプションがない。とにかく宿に行けば泊まれる、と思うのは大間違い。何時からチェックイン、と予約サイトに書いてあっても、その時間に「レセプションが開く」訳ではない。宿名さえ出ていない。住所(通りに着いている番号)で判断する以外ない。門は暗証番号で開くようになっており、これがわからないと永遠に入れない(たまたま出てくる人が居れば、その際に入ることは可能)。

したって安宿は、予約サイトで予約したら、入り方を入念に調べておく必要がある。良心的なところはメールで門の暗証番号、部屋のドアの暗証番号などを前もって連絡してくれる(日本ならだいたいそうだ)。しかし、部屋ドアの暗証番号はともかく、玄関の暗証番号は固定されている場合が多い。こんなものを本当に来るかどうかわからない予約客に簡単に教えると物騒だ。だから本人が実際に宿の門前まで来た段階で電話やメッセージ(SNS)で教える、などとするところもある(今回のブラショフ安宿のオーナーにはその気配があった)。とすると門の前でも電話やネットが使える環境がないとアウトだ。それがあっても、閉じられたままの玄関で電話する必要に気づいて電話しても、オーナーがすぐ出ないこともあり、その場合はやはり門前でじっと待つ他なくなる。安宿はだいたい危ない地域におることが多いから、そこでよからぬ輩に目をつけられて…となる危険もある。

正しい入り方

だから、正しい対処法は、予約した段階で、その予約サイトを丹念に調べ、オーナーにメール、SNS、電話で連絡する方法を探すことだ。サイト側でも信頼できる宿を登録するため、そうした連絡先を明示させていることが多い。これが適当な連絡先であったら登録を抹消することぐらいの対応はサイト側としても取るだろう。

で、連絡してできればドアの暗証番号くらいは聞き出しておく。部屋番号とそのカギ暗証番号も聞き出せればいい。今回のブラショフの安宿では暗証番号はなく、部屋のドアは開いていた。ドアの後側にカギが刺さっていて、通常はそれでカギをかけておけ、ということのようだった。そんなこと細かい指示はないが、状況から判断してそうせよということなのだ。安ければ安いほど、かゆい所に手の届いた対応は期待できないから、こういう事情によく慣れ、自分で適宜判断してサバイバルしなければならない。

ブラショフの安宿は、テレビはあるが点かず、トイレットペーパーはほとんどなく、バスタブはあるが栓はなく(使うなということだろう)、シャワーは固定するとなぜか後方にしか噴射せず、いろいろ問題はあったが、とにかく暖房があり、あったかい部屋とベッドがある。それだけで充分じゃないか。その上、お湯が出てシャワーが使え、何よりも命のWifiがちゃっと機能する。どこの街でも予約サイトの「個室」で最安のところを躊躇なく予約する。アジなど途上国では恐ろしいところに入ることになるが、ヨーロッパはやはり最低は保証されているので安心だ。

 ドイツ人がつくった街

トランシルバニアにはドイツ人のつくった街が多く、ブラショフ(人口25万)もその一つだ。12世紀にザクセン系などのドイツ人が植民してきた。旧市街を歩くと、なるほどドイツの街の雰囲気がある。写真は、旧市街中心部のスファトゥルイ広場。左は15世紀に立てられた市役所建物。現在は歴史博物館として利用されている。クリスマスツリーの準備もはじまったようだ。
同じくスファトゥルイ広場。ブラショフはすぐ南にそびえるトゥンパ山(865メートル)の麓につくられた街だ。そこに登るロープウェイも見える。
スファトゥルイ広場の南に立つ「黒の教会」。これもドイツ風だ。ヨーロッパ南西部最大のゴシック建築の教会とも言われる。14世紀から15世紀にかけて建造。高さ65メートル。
同じく「黒の教会」。後側から。

(参考)

ヨーロッパ東部の至るところでドイツ人、ドイツ文化の痕跡を見る。例えば写真はバルト三国の一つ、ラトビアのリーガだが、訪れたドイツ人観光客がドイツよりもドイツ的だとの感想を漏らすという。ドイツはナチスの時代に東方拡大を行なったが、そのはるか以前、12,13世紀ころからドイツ系の人々の東方植民が見られた。それらをすべて「侵略」と見ることはできないだろう。数百年にわたってそこに生きてきたドイツ人の多くは、第二次大戦後に追放され、辛酸を舐めた。ブラショフでも、1850年には人口の40%を占めたドイツ人は現在1%以下にになっている。彼ら東方ドイツ人も結果的にはナチスの野望の犠牲となったのかも知れない。
レプブリチ通りの歩行者天国。ブラショフは歩きやすいWalkable Cityだ。旧市街という歴史的街並みがあり、そこに歩行者天国もある。新市街も舗道が広く、歩いていて気持ちよい。やや大きな公園もある。放し飼い犬も居ない。城壁やトゥンパ山麓に沿って散歩道も続く。犬に襲われる郊外に出て行かなくとも都市内で散策が楽しめる。

中世の時代からドイツ人たちは特権的だった。ルーマニア人は市内に住まわせず、この門(スケイ門)の外に追いやっていた。写真は外側から見たスケイ門。私の入った宿Central Brasovはこれを入ったすぐのところにあった。旧市街に安宿がたくさんあるのはありがたい。

「ヨーロッパで3番目に細い」と言われるスフォリー通り(ロープ通り)。細い道は日本にもあるが、両側が完全に壁に覆われている点が違う。
入口に解説版がある。子どもたちが壁に自由に絵や文字を描けるようにしているという。
二つの道路を結ぶ路地だ。何とか大人二人すれちがえる。私の宿はこの狭い道を通り抜けた向こう側。
宿の近くの道路に立っているこの芸術的な彫刻、一体何だろう、と思っていたが、やっとわかった。この細道「ロープ通り」の位置を指し示しているのだ。体にロープを巻き付けた女性をかたどっている。
宿の近くを歩いていたら、偶然にもチプリアン・ポルンベスクの銅像に遭遇した。何と縁があるのだろう。ポルンベスクはルーマニアを代表する愛国の音楽家(1853–1883年)。ブコビナ地方出身で亡くなったのもブコビナ地方だが、最も活発な音楽活動を行なったのはブラショフだった。実は私がブラショフに来たのは、ルーマニア民主化革命を扱った大河小説・髙樹のぶ子『百年の預言』に影響を受けたためだ。ルーマニアに行くならぜひこれを読めと友人に勧められた。このポルンべスクが残した暗号を含む楽譜が革命で重要な役割を果たす、という筋書きだ。革命に向かう準主役の音楽青年センデス・ヴァイクはブラショフ出身で、小説の中でもブラショフが何度も登場する。ブラショフのポルンベスク像は、スケイ門のすぐ外側の児童公園のそばにあった。
貧乏旅行者には重要情報。安宿の多い旧市街から一番近いスーパーはこの建物の中にある。Nicolae Bălcescu通りとEroilor通りが交わる付近。「スター」などと出ているデパート風建物で、気づきにくいが地下にカルフールのお店がある。歴史的街並みの中で現代風スーパーを使うのは申し訳ないが、安く何でも揃い、言葉が通じなくても値段を見て選びレジに向かうだけのスーパーは、旅行者にはやはり使いやすい。レプブリチ通り中ほど南側に、コンビニMega Imageもある(名前からして写真かデザインの会社かと思ったら、ルーマニア独自のコンビニ・チェーンだった。どの街でもよく見る)。