ドアツードアでベオグラードへ
ティミショアラ(ルーマニア西部)とベオグラード(セルビア首都)は百数十キロの距離だ。山もなく平原が続くだけ。両国間の関係が悪いわけでもない。なのに、通常バス便がない。ドアツードアのシャトルバス便があるだけだ。宿のオーナーに紹介されたGEA Tourが25ユーロ(3600円)で安いので、これを予約。
午前11時ごろ迎えに来るということだったが、朝、「10時だ」という連絡があり、実際に来たのは9時半だった。早め早めに出発の準備をしておいてよかった。
見送りに出てきてくれた宿オーナーが、ほう、小さい車だ、と言った。普通はマイクロバスらしいが、6人乗りの小型バンだった。何人集めるのだろう、と思っていると、乗客は結局私を含め2人だけだった。こんなんで採算が取れるのか、目的地に着いたら高い料金を請求されるのではないか、と不安になった。が、それはなかった。25ユーロを現金で払って終わり。英語を話さないドライバーは、誠実な男だった。
咳き込む人と同乗、マスクなし
ドライバーが時々咳をするのが気になった。ブカレストからスチャバに行く際も列車で前に座った男がかなりの咳をしていて、スチャバで私も風邪気味になった。だれに移されたかはっきりわかった。すぐ直ったし軽症だったのでコロナではなかったのだろう判断している。
今回はドライバーが咳。密封された空間で私はその後に座っている。大丈夫か。こちらではマスクをだれも付けない。咳をしちゃ悪いかとか周りから白い目で見られてつらいとかの心情もまるで働かないようだ。もう心配しても始まらない、腹をくくることにした。抵抗を強くして乗り切る他ない。
いや、実はこっちも少し咳が出ていた。セルビアの国境審査で車のドアを開けたからだろう、冷気でごほごほと咳き込んだ。しかし入国審査の女性はまるで気にする風もなく、機械的にスタンプを押して通してくれた。ギリシャもルーマニアもセルビアも、コロナチェックは何もない。体温を測らないし、問診票への書き込みはなく、陰性証明書もワクチン接種証明書も要らない。まったく素通りで、コロナ禍は終わったかのごとくだ。
出国と入国の審査が別々
ルーマニア・セルビアの国境審査は、双方の国の出国、入国審査を順繰りに通る方式だった。2回審査がある。が、車に乗ったままでいい。ドライバーが乗客のパスポートをまとめて出し、それで通過する。第三国人となる私だけが「どこに行くか」「何日居るか」などの質問を受けた。
国境ゲートは、大平原のど真ん中にある。国境はどこに引いてあるのか。畑が広がっているだけで、目視では何もわからない。
計約4時間走ってベオグラードに入り、市内をしばらく走った後、ドライバーが「はい、ここだよ」と言って車を止めた。予約したHostel M(1泊2900円、個室、トイレ・シャワー共用)が目の前にあった。とても簡単でいい。宿の場所を探す苦労がはぶけた。門が開いていて、レセプションもあり、すぐ部屋に入れた。
何はともあれドナウ川へ
ベオグラードに来たら、何はともあれドナウに向かった。何しろ街に接してドナウが流れている。
ルーマニアではドナウは大都市から離れている。ブカレストからは約50キロ離れている。河岸の街ジュルジュ(Giurgiu)まで1時間ごとのバスがあるので、夜行列車までの乗り換え時間に行こうとして失敗した。バスの発着所(Eroii Revolutiei広場)まで行き、とにかく「ジュルジュ」「ジュルジュ」と叫んでいればバスにたどり着けると思っていたが、そんな「発着所」はなかった。付近を歩き回って、人が集まっているところにどうやらマイクロバスが時たま来て停まっているようだ、と気づいたときにはもう時間がなくなっていた。バス停の印も行先の表示も何もない。地元民だけがわかっているローカルバスの乗り場だった。
42年前にも来ているのだが
ベオグラードには42年前にも来ている。1980年、ウィーンからギリシャ、エジプト、ケニアまで南下していく途中、バルカン諸国も通った。セルビアなどは当時まだユーゴスラビアだった。
ところが、ほとんど何も覚えていない。印象が薄かったのか。さほどの名所もなかったのか。悲しいことだ。記憶になければ行かなかったも同然だ。
だが、一つだけ、かすかな記憶があった。丘の中腹にテニス場があって、炎天下、人々がテニスをやっていた。へえ、テニスやっている人も居るのか、と思った。決して豊かな国ではない。カリフォルニアのようにテニスが盛んな所とも見えない。だから珍しかったのだと思う。
しかし、その後、ベオグラード出身のジョコビッチが出て、セルビアはテニス強豪国として知られるようになる。
そのかすかなテニス場の記憶。それが、このカレメグダンの要塞公園を歩いていて蘇った。公園のはずれにテニス場があった。だれもやっておらず、形も記憶の中のものと少し違うが、うん、確かにこれがあのテニス場だったかも知れない。