ベオグラード空爆

無残な爆撃の跡

無残な空爆の跡だ。

ウクライナではない。セルビアの首都ベオグラードだ。空爆したのはNATO(北太平洋条約機構)軍。時は1999年4月29日深夜、旧ユーゴスラビア国防省(軍司令部)、内務省などベオグラード中枢の政府ビルがミサイル攻撃を受けた。(5月7日深夜にも2回目の爆撃)

通りをはさんだが対岸の政府ビルも破壊された。

なぜNATOが? 1980年代の東欧民主化革命の時期、ユーゴスラビアでは民族独立の動きが強まり、コソボ(当時はユーゴスラビア社会主義連邦共和国内セルビア社会主義共和国内の自治州)では、州内の大多数を占めるアルバニア系に独立の機運が強まった。しかし、ミロシェヴィッチ大統領は逆にコソボの自治権を廃止し、独立運動を弾圧。大規模な住民虐殺を行ない数十万規模の難民を出していると非難されていた。和平交渉への合意をセルビア(ユーゴスラビア)側が拒否したことで、アメリカをはじめとしたNATOが「人道的介入」でセルビア空爆を開始した(アライド・フォース作戦、1999年3月24日~6月10日)。

コソボに展開するユーゴスラビア軍重要施設への空爆が中心で、「コソボ空爆」とも言われる。計1千機の航空機が投入され、出撃は38,000回以上。巡航ミサイル・トマホークが大量に投入され、劣化ウラン弾も使用されたことが非難された。ベオグラード空爆では、5月7日に中国大使館が「誤爆」され、大きな問題になった。

ベオグラード空爆跡は、非常に目立つ位置にある。私は旧ベオグラード中央駅やバスターミナルに近い宿に入ったのだが、そこから歩いて10分のところで、この凄まじい爆撃跡を目にすることになった。旧中央駅からまっすぐ伸びるメマニナ通りの両側。国会議事堂横から続くクネズ・ミロシュ通りとの交差点付近だ。近くには旧セルビア王国時代の旧宮殿、新宮殿もある。

すでに爆撃があって20年以上たっている。その間にセルビアはEU加盟も申請し、交渉継続中だ。しかし、爆撃跡をあくまでも残している。

この苦い経験を忘れるな、というメッセージであることはわかる。爆撃跡の横に下記写真のような巨大なビルボードが建てられていた。文面自体は有名軍人の兵士を鼓舞する言葉らしいが、このような屈辱を二度と味合わないよう国の守りを固めよう、軍隊に入ろう、というメッセージであることもわかる。

空爆跡横に建てられた巨大なビルボード。
爆撃跡にも近い旧宮殿(現ベオグラード市議会)。
旧宮殿の横に立つ新宮殿(現大統領レジダンス)
その先に国会議事堂がある。

ウクライナの問題はわかりやすが…

ウクライナで深刻な侵略戦争が続くが、ある意味、問題はわかりやすい。正義と悪がはっきりしている(少なくともプーチン取り巻き以外では)。しかし、旧ユーゴスラビアの民族問題は難しい。スパッと竹を割った理解を難しくする面がある。コソボ紛争は大局的には、大国セルビアがその領土内で自治・独立しようとするアルバニア系のコソボを抑圧・虐殺した問題だ。しかし、細部まで見ていくと、一筋縄ではいかない。スパッと理解できると思ったら再考する習慣をつけなければならない。

コソボ紛争とロシアのウクライナ侵攻

コソボ紛争はある意味現在のロシアの主張を彷彿とさせる。ユーゴスラビア連邦共和国(当時ではセルビアとモンテネグロ)国家内に少数民族(アルバニア系)がおり、その少数民族が独立を主張している。そうした人々が迫害を受け、虐殺されているから、軍事介入する。コソボの独立を認め、国境線を変えた。しかも、このときは、1990年湾岸戦争(多国籍軍がイラクに侵攻)などの時と違っい、米国を中心としたNATOは、国連武力介入容認決議なしに主権国家への攻撃を始めた。

同じようにロシアはウクライナ東部でロシア系住民が迫害されている、ナチが居るとして、ウクライナに軍事介入した。「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の独立を認めてロシアに編入までさせた。形式上は似ている。

民族自決と独立の権利はあるが…

一般的には、少数民族が自決権を行使し独立する権利がある。英国スコットランドもスペイン・バスクやカタルニアも独立する権利がある。しかし、今日、世界には民族分布と国境線が一致してない地域は無数にあり、それをすべて国境線引き直しで対応するというのは非現実的だ。特に、その少数民族が隣の大国の民族としたらどうか。大国の勢力拡大とどこがどう違うのか微妙になる。ロシアは「ドンバス」の独立を認めただけでなく、その併合にも進んだ。これはコソボとの大きな違いだろう。しかし、コソボにも潜在的には似た問題があり、コソボはアルバニア系の国としてセルビアから独立している(コソボ住民の92%がアルバニア系)。

隣国アルバニアは、人道上の立場からコソボを支援したし、コソボの武装勢力は経済の混乱したアルバニアに自由に出入りして武器の調達などを行なっていた。北マケドニア、モンテネグロ、ギリシャなど周辺諸国にもアルバニア人多住地域があり、これら諸国で「大アルバニア主義」への警戒があるのも事実だ。例えばギリシャは今でもコソボを国家承認していない。また、コソボにも特に北部にセルビア系の人々が多く暮らし、彼らがやはり少数民族としてアルバニア系から迫害を受けたことも徐々に明らかになっている。問題は単純ではないのだ。

プーチンにとりベオグラード空爆は格好の前例

米国のロシア研究者ジェイド・マッグリンは「プーチンはなぜコソボを語り続けるのか」と題した『フォーリン・ポリシー』雑誌の記事で次のように、言っている。

「クレムリンの論理をより説明的に示す物語として、ロシアのウクライナに対する戦争に関し非常によく使われる歴史的アナロジーを検討することが有益だ。コソボ問題とNATOの1999年ユーゴスラビア(今日のセルビアとモンテネグロ)空爆の件だ。」「住民を虐殺から守り、見境ないナショナリスト政府を阻止し、人権を保護し、ナチに匹敵する残虐さを防ぐ。これらがプーチンの戦争宣言演説の中核メッセージだった。それは、20年前、NATO首脳たちがユーゴスラビア空爆を正当化した論理と意図的に似せられている。」「ルハンスクとドネツクの人民共和国を承認する2月21日の演説でプーチンは、その国民向け正当化のため、NATOのユーゴスラビア空爆とコソボの支援に言及している。プーチンの考え方としては、NATOがコソボでの住民虐殺をでっち上げ軍事介入を正当化したと同じことをやるのだ、ということらしい。これは単に過去の事例を出したというだけでなく、あるメッセージともなっている。西側がコソボのために国境を書き換えられるなら、我々も東ウクライナのドネツク、ルハンスク人民共和国のために国境を書き換えられるのだ、ということだ。」「ロシア地上軍は、虐殺を防ぐため、そして彼らの言う平和維持軍として使うためドンバスに侵攻していると主張するのを世界は目撃している。クレムリンはまた、明らかにキエフのゼレンスキー政権を排除しようともしている。そうした目標を追いながらすでにロシアは、ユーゴスラビアのNATO作戦を越える行動に進んでいる。」

セルビアの歴史博物館

ルーマニアでは、1989年民主化革命の跡をたどった。歴史博物館が、これをどのように伝えているのかも関心をもった。しかし、セルビアでそんなことを調べる気は起らなかった。旧ユーゴスラビアの諸国にとって「東欧革命」とは何だったのか。一定の政治改革はあったが、多民族国家の中で抑制されてきた民族主義が一斉に吹き出し、互いに殺し合う恐ろしい紛争が至る所で起こった。その災いのはじまりだった「東欧革命」を歴史博物館が展示しているとは思われない。そんなものどうでもよくなる激動がその後に起こった。そしてその恐ろしい民族紛争についても、博物館で展示できるような落ち着きと確たる歴史評価にはたどり着けていないだろう。何も期待しなかった。そして、行ってみてたらやはり思った通りだった。

セルビア国立博物館

まず、国会議事堂の隣にあるセルビア歴史博物館に行ったが、これは閉まっていた。次の特別展の準備中とある。常設展示はないようだ。将来的には、2018年に閉鎖された旧ベルグラード中央駅の建物に移転する計画だが、いろいろ滞っているらしい。

にぎやかな共和国広場にある国立博物館は開いていた。中も立派だった。特に古代、中世の展示は英語の解説もしっかりしていて教えられるところが多かった。しかし、近代、現代になるにつれて展示は美術品が中心になり、セルビアの社会的変遷がわかるような内容ではなかった。古代も、この場所にあったギリシャ、ローマの遺物が中心になるわけで、セルビアの歴史がわかるわけではない。セルビア人などスラブ系がこの地にやってきたのは7世紀頃以降だ。

セルビア国立博物館は中も立派で、特に古代、中世の展示はしっかりしていた。1階の石器時代から古代の展示の中に講堂もあった(写真)。
中世以降は、こうした美術作品の展示が中心になる。危なげないとも言えるが、現代に近づくにつれて確たる歴史的評価での展示をするのが難しくなるのだろう。

郊外に「ユーゴスラビア博物館」というのもあるので、これにも行こうとしたが、歩いているうちに道に迷った。交通警官らしい若者に聞いてさらにずっと歩いたら、結局上記「国立博物館」に舞い戻ってしまっていた。後で地図で見ると結構近いところまで行っていたのだが。地元民に聞くとかえって混乱させられるだけというのはよくある。ユーゴスラビア博物館はあの若者にとってあまり「博物館」という気がしなかったのだろう。ガイド情報を見ても、ユーゴスラビアを率いた大統領ヨシップ・ブロズ・チトー(1892年 – 1980年)の霊廟や関連展示はあるようだが、もう一つピンと来ないので、省略してしまった。

代わりにベオグラードの別の姿をいろいろ見ることができた。

近代的な街の建設も進んでいる。
高速道路も。