これがコソボだ

コソボはバルカンの山の中の、遅れているがゆったりした暮らしと自然のある国。悲惨なコソボ紛争の影響も少し残っているかも知れない。そんなイメージを君はもっていないか。私はもっていた。しかし、予想外に都会的なので驚いている。

高速道路もありマイカーも多い。首都プリシュティーナの郊外。
プリシュティーナ中心部では高層ビル街の開発が進む。
歩行者専用路のマザーテレサ通りが市の中心になっている。これに接して国会議事堂も大統領府も大聖堂(モスク)もある。都市計画の勝利だ。市民生活がこの1キロ続く広い歩行者天国を中心にまわっている。
郊外では住宅開発が進む。工事中の所が多く、泥まみれ、埃まみれになる。
同上。中高層マンションが中心で、アメリカのように一戸建て住宅のスプロール郊外にならないところはいい。
完成すると、このように瀟洒なマンション街になる。中国の30~40年前と同じだ。ものすごい勢いで開発と建設が進み、至るところ泥まみれ、埃まみれの惨状だった。しかし20年後に訪れるとそれらがすべて完成し、きれいな街になっていた。
このようなアメリカ型の大型ショッピングモールもある。プリシュティーナ南部郊外のALBIショッピングモール。4階建てでフロア面積47.300 m2。約150店舗が入る。お客もかなり入り混み合っていた。2023年3月にはさらにずっと南に「南東ヨーロッパ最大」と言われるプリシュティーナ・モールがオープンする。フロアー面積114,562 m 2、500店舗が入る予定。これはフロア面積日本最大のパークプレイス大分(117,437㎡)に匹敵し、店舗数日本最大のららぽーとTOKYO-BAY(425店舗)を上回る。国際的自動車道のハブに位置し、北マケドニア、アルバニア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシャなど周辺諸国も購買圏として見込こむ。

来年3月にオープンする「南東ヨーロッパ最大」のショッピングモールの動画

コソボではアメリカが人気がある。アメリカ的なモールもそうだし、モータリゼーションもそうだ。と、思っていると、あれあれ、どこかで見たことのある人の巨大なポスターが。
クリントン元大統領の銅像と巨大な顔写真。この通りをビル・クリントン通りと名付けている。マザーテレサ通りに次ぐ市内2番目の目抜き通りだ。クリントン大統領はセルビア空爆を率い、コソボの独立に絶大な国際的支援を発揮してくれた命の恩人なのだ。
おお、自由の女神まである。ここはニューヨークか。緑青のサビの色まで似ている。(もっとも、日本にも新宿南口にエンパイアステート・ビルがあるが…)
いやいや、古き良き時代のコソボも残る。プレシュティーナ旧市街の市場。
同上。こういうのが期待していたコソボだ。確かにこのようなコソボも残るが、それは街の一部になった。
「江戸時代」からの旧市街があり(写真)、丘の上に「明治から昭和期」の高級住宅街があり、そのさらに彼方にモータリゼーションでつくられた「平成期以降」の中産階級の街がある。コソボ全土にアメリカ型郊外型のゲーテッド・コミュニティ(塀に覆われた高級住宅街)が増えているという。3層の都市構造の中で、私の入った宿周辺は「明治から昭和の高級住宅地」であることがわかった。金持ちはどんどん郊外に引っ越しているようだ。私の部屋の前に立つ大きな住宅も人の気配がしない。ブラインドが降り夜、灯りがつかない。
コソボ人口の9割を占めるアルバニア系の多くはイスラム教徒だ。旧市街の入口にあるモスク、チャルシャ(市場)・ジャーミア。1389年に建設がはじまったプリシュティーナで最も古い建築。同年6月、プリシュティーナ近郊での「コソボの戦い」でイスラム勢力(オットーマン帝国)がキリスト教勢力に勝利し、モスレムの街としての都市づくりがはじまった。尖塔の先端まで石なので「タシュ(石)・ジャーミア」とも言われる。(手前の大型トラックがぶち壊しですね。写真を撮るときは注意しましょう。)
プリシュティーナの時計台Sahat Kulla(高さ26メートル)。19世紀に建てられて以来、市のシンボルとなっている。イスラム教にとって時計台はとても重要なものだ。例えばメッカの中心には、高さ601メートルにもなる巨大な時計台「メッカ・ロイヤル・クロック・タワー」が建てられている(時計台として世界最高、建築物として世界第6位の高さ)。祈りの時間を知らせるため重要な存在なのだろうか。