だれか犬文化国際比較論をやらないか

プリシュティーナに着いた夜、宿まで3キロの道で犬に吠えられなかった。ここには犬は居ないのだなと思った。

ところが、昼間見ると、犬はたくさんいる。しかも野良犬が街中を大手を振って歩いている(いや、足だった)。不思議だ。いや、すぐにわかった。吠えない。静かなのだ。人を攻撃しない。人が居ようがいまいが、まるで気にせず、悠然と生きている。ルーマニアの犬と大違いだ。感動した。

犬が人を気にしていないといえば、人も犬を気にしていない。まるでカラスだ。カラスはそこら中に現れ、何かやらかしているが、だれも気にしない。ゴミ箱にネットをかぶせるくらいで、あとは放っておく。人を攻撃するわけではないからだろう。これが人を襲い、子どもをつつくようになれば、駆除にまわる。

犬も同じだ。別に危険ではないので勝手にさせている。人に吠えかかり子ども襲うようになったら積極的に駆除される。コソボでは、そのようなことがないような犬と人間の関係が築かれている。人が犬にどうかかわるかで犬も変わる。百聞は一見にしかず。犬様たちの勝手な暮らしを見てもらおう。

よう、ワシは野良犬だぞ。この歩道はワシが歩くためのもじゃな。のっし、のっし。
何じゃい、だれも渡らんのかね。なら、ワシが休むぞい。(まったく、お犬様たちは考えられないところに居る。横断歩道が危険とわかっているのかどうか、ちゃんと地下道を歩いて渡る犬も居た。写真は取り逃がしたが。)
仲間との散歩は楽しいにょい。
ワシらにも仲間同士の社会があるのじゃ。木陰でゆっくり休ませてもらうぜ。人間様は、ワシらが休憩できる場所をいろいろ作ってくれるなあ。
別にここで休んでてもいいだろ。人間様もここでずうっと待ってるようだし。
おいおい、気をつけろよ。ここは俺様が寝るところぞよ。
たまには、人にからむのもいいだろう。いや、あんたがオレをかまいはじめたんだよ。何か食べ物をくれるんだろ。
日曜日はオレ達の天下だな。この歩行者天国もオレ達の方が多いんじゃないか。
こうやって仲間内、広く拡散して遊ぼうぜ。
かしこまって座れば、結構けなげに見えるだろ。安全で行儀いい野良犬だよ。

まず犬に吠えられない

犬に吠えられることはまずない。ましてや掛かって来られることはない。夜、吠えている声を聞くことはあるが、あれは犬同士の縄張り争いだ。観察した限りでは、住宅街を徘徊する野良犬集団を、飼い犬が塀の中から吠えて遠ざける、というパターンが多いようだ。

一度だけ公園で犬に吠えられたことがある。女性が飼い犬数頭を休ませていたとき、そばを通ったらその一頭に吠えられた。ただし、掛かってはこなかった。人間がかかわるとこうなる。自由な野犬なら人間などほったらかしだが、一旦飼い犬になると、うちらと部外者の区別が出てくる。「うちら」を守ろうとして部外者への敵意、警戒感覚をもつようになる。人間が犬をみじめな存在するらしい。(犬は無意識のうちに人間(主人)の中にある警戒感を体得してああなるのだと私は思う。人間は外部人間への警戒感があってもそれを態度に出さないが、犬はそれを露骨に出して吠える。)

最初は、街で犬に会うと、緊張して避けようとした。しかし、だんだん気にならなくなった。知らんぷりで素通りする。見知らぬ人とすれちがうか、あるいはカラスが何かやらかしているそばを通るのと同じ。

番犬文化・放牧文化

犬を番犬として飼う文化があるかどうかで犬の性格も決まる。放牧に牧犬として使うかどうかも関係していると思われる。番犬文化の中では吠えない犬は排除される、少なくとも積極的に子どもを生ませて育てようとしない。だから吠えない犬は根絶され、吠える犬に選択的に進化させられる。

宗教

あるいは宗教も関係する。イスラム圏では犬は不浄な存在だ。犬は飼われず、代わって猫が変われる。だから例えば、東南アジアでも、ベトナム、ラオスなどでは犬が攻撃的で困るが、カンボジアに来るとおとなしくなり、マレーシア(イスラム圏)までくると犬が居なくなる。そう居なくなるのだ。代わりに猫が現れ、街中を大手を振って(いや、背を高くして)歩いている。幸い猫は人間を攻撃しない。したがってマレーシア、インドネシアは放浪型旅行者にとっては旅しやすい国だった。ヨーロッパでも同じだ。バルカン半島を南に下がって来ると、次第にイスラム文化の影響が濃厚になり、犬が居なくなる。あるいはおとなしい犬になってくる。コソボの犬がおとなしいのもそのせいだろう(コソボの人々の9割はイスラム教徒)。

ヨーロッパ西部でも同じだ。南の地中海に近づくにつれてイスラム文化の影響が濃厚になる。現在キリスト教圏になっているところでも、イスラム文化の影響は南の方ほど大きい。スペインなどイベリア半島はイスラム圏だった。地中海のマルタは、9世紀から11世紀までイスラム圏だった(言語まで、インド・ヨーロッパ語族ではない中東系のセム語族系だ)。だからマルタは「猫の天国」になる。犬が居なければ猫が自由に生きられる。猫好きの多くの日本人が猫の聖地マルタを目指すのはそのためだ。

いや、逆かもしれない。乾燥した地中海世界ではもともと番犬文化が発達せず、人に対して攻撃的な犬は忌避されてきていた。だからそこから生まれたイスラム文化も犬を忌避するようになった、という順序か。イスラム教の影響がなかった地中海地域でも、だから犬はあまりおらず、猫がより好まれているのかも知れない。犬は人を噛むことも多く、狂犬病の原因ともなることも要因としてあったろう。

どうですか、こうした番犬・放牧文化、宗教などの観点から犬の性格の国際比較など、してみては。単位面積・人口当たりの飼い犬と野犬の数、その単位面積当たりに聞こえた吠え声回数、人が噛まれた事故の統計など数量調査もふんだんに取り入れてかなりの研究にできると思いますよ。