イスタンブールの下町に暮らす 近所を紹介 世界遺産が目白押し

伝統的イスラム建築の宿

12月18日、イスタンブールに着き、例のごとく「個室最安」の宿に入った。1泊1750円。典型的な伝統的イスラム居住式の宿だった。真ん中が吹き流しの2階建て。その真ん中がロビーであったり居間であったりして、冬はそこにストーブを炊くと2階まで全体が暖かい。そして各階の周りに小さな個室がびっしりと並ぶ(写真参照)。部屋は3畳ほどで、ベッドが入るとほとんど余裕がない。窓はない。ドア側(吹き流し側)壁がほぼガラス窓で、明りがそちらから入って来る。

築550年超の伝統的イスラム建築の宿。吹き流しの2階建てで、周囲に小さな個室が並ぶ。下でストーブを焚いているので、全体が暖かい。
部屋に窓はない。ドア側の壁の大半がガラス窓になっている。

世界遺産になっている旧市街

イスタンブール旧市街の多くは世界遺産(文化遺産)になっていて、建築の大幅変更はできないのだという(世界遺産「イスタンブール歴史地域」の4地区の一つ「スレイマニエ・モスクと付属保護地区」にかかっている)。だから、窓がないのも勘弁してくれと、壁の案内に書いてある。立派な建物ではないが、何でも1469年に建てられたとのことで、築550年超の歴史ある建物という。

前にモロッコを旅行したとき古都テトゥアンで、同じような建築様式の宿に入った。テトゥアン旧市街も世界遺産になっており、宿の玄関に市の歴史的建造物の表示も出ていた。やはり吹き流しの2階建てで周囲に小さい個室が連なって並ぶ。イスラム世界ではどこも同じような建築の宿があるらしい。

モロッコの古都テトゥアンで入った宿も同じような造りのイスラム建築2階建てだった。

「ヨーロッパ最安」後遺症

歴史的建築はよい体験なのだが、何しろ不便だ。トイレ・シャワーも別だし、部屋が小さくて机イスもない。「最安」1750円なのだからやむを得ない。ヨーロッパを外れ、トルコに入ったら超安の宿があると思ったのだが、イスタンブールは意外と物価が高かった。切り詰めて1750円にしたのだが、やはり他を移ることにした。

予約サイトに出ていない2150円の普通のホテルに入った。驚くべきことにトルコではbooking.comが使えない。国際オンラインビジネス課税問題でトルコ政府とトラブっているらしく国内からの同サイト利用は停止されている(国外からの予約では使える)。そうした事情もあるのだろう、トルコでは予約サイトを使っていない宿が多いようだ。オンライン予約でなければ(自分で現地を探せば)、結構安い宿があった。

1泊2150円。かなり贅沢してしまった気がする。どうも、コソボで1泊1400円(実質1200円)の「ヨーロッパ最安」を経験して以来、どんな安宿も高く感じるようになって困る。が、考えてみると、安くて喜んだスチャバ(ルーマニア)の2250円より安い。若干古く狭く防音難ありだが、シャワートイレ付きだし、暖房もWIFIもしっかりしている。2週間滞在することにした(すると、1日分まけてくれた)。

イスタンブールの下町

宿のまわりは「昭和」だった。最初にこの地に入ったので、トルコ、イスランブールは何て雑然として貧しいところなのだろう、と思った。しかし、あとで他を回ると近代的な地域も多く、むしろここが特別で、古い伝統的な街であることがわかった。前述の通り、世界遺産に登録されている旧市街なのだから。

宿のまわりはこんな「昭和」が漂う旧市街だ。この道路が世界遺産区域の境界になっており、左側がその区域。

宿の東方向

ちょっと東に行くと、巨大なバザール地域がある。イスタンブールは巨大なグランドバザールやスパイス(エジプト)バザールが有名だが(いずれも屋根付きの屋内市場)、その外部もかなりの賑わいだ。マイペースで歩けない。これじゃ圧死事故が起こるぞ、と思うほどの混雑。
グランドバザールの入口。入口はたくさんあるが、いずれもセキュリティが厳しく、荷物検査と金属探知ゲート(前方右)がある。この11月13日、イスタンブール繁華街で6人死亡・81人負傷の爆破事件があった。観光スポットや人の人の多い場所には軒並みセキュリティチェックが付いていた。
グランドバザールの中。屋根付きの市場で、この場所には真ん中に昔ながらの水飲み場があった。水が出放題になっている。グランドバザール(カパルチャルシュ)は面積30,700平方メートルで、61の通路、4000軒の入居店舗、訪問者1日25万~40万人という世界最大級のバザール。現代のショッピングモールでさえ、これほどの規模のものはないだろう。2014年にはTravel & Leisure誌の「訪問者の多い観光スポット」ランキングで1位を獲得している(年間訪問者9125万人)。オスマン帝国がコンスタンティノープル(イスタンブール)を征服した2年後の1455年に建設がはじまった。ショッピングモールは500年以上前にイスラム世界ですでに存在したということだ。
宿からより近い場所にあるスパイス(エジプト)バザール。エジプトからの香辛料の取り扱いが多かったのでこの名称となった。スエズ運河ができる前からエジプトは東方からの物産が入ってくるところで、このバザールはさしづめシルクロードの終点に相当したろう。
しかし、不思議だ。グランドバザールの中より、外の方が人出が多い。外にも相当の店舗が集積する。小さいお店が無数にあって、そこにこんなにも人が出てくる。一品ごとにあちこちのお店で買わなければならず面倒ではないのか。トルコにも今は巨大なスーパーができている。そこに行けば、広い店内をリアカー(巨大なショッピングカート)でまわり、ガーとあらゆる品目を集められる。そしてレジで精算して終わりだ。はるかに簡単だ。なんでこんなに多くの人が来て、根気が必要な買い物をするのか。…などと考えながらこういう所を毎日歩くわけだが、そういう見物客ばかりだ、ということはないのだろうな。
宿のすぐ近くの「新ヴァリデ・スルタン・モスク」(通称「新モスク」)。海(金角湾)に面しているので目立つ。香辛料(エジプト)バザールも、このモスクが併設したものだという。人出も多く、私は最初、これが有名なブルーモスクかアヤソフィヤなのかと思い、懸命に写真を撮ったが、そうではなかった。皇族のつくったモスクではあるが、超有名モスクが目白押しのイスタンブールではまあ普通のモスクのようだ。世界遺産の対象からもはずされている。(しかし、バザールという市場と結びついたモスクという観点からは非常に興味深い事例だと私は評価している)。その後、イスタンブールのあちこちで無数のモスクを見ることになり(3000以上あるという)、最初は珍しいのでいちいち感動していたが、そのうち軽く流すようになった。要するにモスクとは日本で言えばお寺なのであって、都会の片隅にも田舎にも大小のお寺が無数にある。
金角湾にかかるガラタ橋から見た新ヴァリデ・スルタン・モスク(通称「新モスク」)。橋で釣りをする人が多い。

宿の南方向

宿から南に坂を登っていくと、これまた素晴らしい場所がある。金角湾の対岸のカラキョイ地区の景色が一望のもとに見渡せる。写真中央に地下鉄M2号線の鉄橋があり、その向こう右側にジェノバ商人たちが建てたという見張り塔「ガラタ塔」。左側遠くにはビジネス街の高層ビルが見える。こんな素晴らしい景色が見られるところはめったにない。私が見つけた秘密の場所だ。
何しろ、このごみ溜めのような空き地の先に、その眺望地点はあるのだ。普通は丘に沿って家が建てこみ眺望はきかない。勇気を出してここを崖っぷちまで行けば絶景となる。
その坂をさらに上ると、スレイマニエ・モスクがある。私のホテルは安宿だが、何という贅沢な宿なのだ。近くにこうした世界遺産観光スポットがたくさんある。世界遺産「イスタンブール歴史地域」内4地区の一つがこのモスクを中心にした「スレイマニエ・モスクと付属保護地区」となっている。私の安宿もそのはずれの一角に位置するのだ。

 

前述の「新ヴァリデ・スルタン・モスク」(通称「新モスク」)には観光客は入れないが(それだけ人々の祈りに本格的に使われているということだろう)、このスレイマニエ・モスクは入れる。観光客向けの入口もちゃんとある。靴を脱いだり、服装上の注意などを守る必要がある。王宮方面の超有名モスク、アヤソフィアなどはものすごく長い列ができていて入るのが大変だが、こちらはすぐ入れる。もう一つの超有名モスク、スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)も、私の居た時期、修理中であまり美しくは見られなかった。その点から言うと、同規模のこちらのモスクはなかなかのお薦めだ。
天井ドームの模様などが非常に美しく見られた。スレイマニエ・モスクは、オスマン帝国第10代君主、スレイマン1世の命で1557年に完成。ビザンチン時代からあるアヤソフィアは別格としても、このスレイマニエ・モスクはブルーモスクより大きい。モスクを大きさで比較してはばちがあたるが、ドーム直径26m、高さ53mだ。1723年築のブルーモスクはドーム直径23.5m、高さ43m。(アヤソフィアは、大元のキリスト教の大聖堂として537年完成で、ドーム直径33m、高さ55m。)

 

スレイマニエ・モスクは、丘の上にあるので、金角湾の対岸から見ると、その堂々とした姿がよく目立つ。

宿の西方向

私の素晴らしい宿は、西方向に行っても有名スポットが目白押し。イスタンブールのもう一つの世界遺産地区「ゼイレク・モスク(旧パントクラトール教会)と付属保護地区」が歩いて5分だ。

ゼイレク・モスク。もともと、ビザンチン時代に建てられたキリスト教のパントクラトール修道院の一部(1137年築)だったが、オスマントルコによる征服後、モスクに転用された。残っているビザンチン時代の建物としては、アヤソフィア(537年築)に次いで貴重という。
その周辺から上記スレイマニエ・モスクもよく見える。
その周辺で見かけたお犬様。トルコはイスラム教で、しかも地中海文化圏に入ってきているので、犬は少ない。代わって猫が多い。しかし、ここでは犬が皆無ではなく、ある程度居る。おとなしく、攻撃されることはまずない点はよいが、油断は禁物だ。店の前などにこうしてなにげに休んでいるが、一旦緩急あらば出動する態勢にはあると思われる。それを見越して、店のオーナーは彼らを半飼いの状態ではべらせておくのだと思う。実際よそ者の私などはたまに吠えられることがある。顔(人種)まで区別つかないだろうが、挙動、臭いその他わずかな違いで「異分子」を察知するようだ。
何とその近くには古代ローマの水道橋が残っていた。東ローマ帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール旧市街)に送るためバレンス水道が373年につくられた。当時の皇帝バレンスの名をとっている。複数のルートをとり、最終的に551キロに及ぶ水路だった。その最末端近く、丘の間を通すために、この水道橋がつくられた。高さ29メートル、長さ880メートル(元々は971メートル)。古代ローマ帝国にはまったく参る。