正月めでたや (何でこれが?)

ある日、ホテルの部屋に帰ると…

ある日、ホテルの部屋に帰ると、見慣れぬ品がテーブルの上に置いてある。ん?掃除の人が置いていったのか。ベッドに私の脱ぎ捨てた(と思った)黒いももひきもあったし、最初「からくり」に気づかずそう思った。

だが、よく周りを見渡して気づいた。これは私の部屋ではない。違う物品がいろいろある。ドアの部屋番号を確認すると、最初の桁が一つ小さい。しまった、1階下の部屋に入ってしまった。フロアーでの位置が同じで、間取りも、黒いももひきも同じだったので、気づくまで時間がかかった。

しかし待て。私はカギを開けてこの部屋に入ったのだぞ。使ったカギをよく見ると、ギザギザもない単純なカギだった。そうか、どの部屋も同じカギなのか…。

え、そうなのか。ぞっとした。これでは宿泊客なら、他の部屋に入れてしまう。全部屋を試してみようか、と思ったが、それはまずいだろう、と留まった。

(後で考えるとこれは検証が甘かった。最初から無施錠だった可能性もある。外国の鍵の開け方はいつもまごつくので勘違いしたか。その部屋だけでも開施錠を試せばよかった。)

別の日、ホテルの部屋に入ろうとすると…

別の日だ。ホテルの部屋に入ろうとすると、中から制止するような大声がする。しまった、また間違えた。一つ下の階の部屋を開けようとしていた。がちゃがちゃとカギをまわす音を聞いて、中の人が「おいおい、何すんだ。ここは俺の部屋だぞ!」などと叫んだのだろう。

さらに別の日、ホテルの部屋に帰ると…

もう間違わない。正しい自分の階の部屋に帰る。ところがある日、1日の街歩きを終えて、自分の部屋に帰ると、ドアが半開きになっている。え、何だこれは!

よく見るとカギはかかっているが、カギの先がロックの穴にちゃんと入っていない。出るとき、ドアが完全に閉まってない状態でカギをかけたのだ。カチャリとカギは回って音がするので気づかなかった。それで日中、ドアが風で半開きになり、ユーラユーラしていたのだ。

1日中ドアが半開き! 青ざめた。床に置いた箱型バックパックは開けられ、中のものがあふれていた。衣類がベッドに散乱し、ビニールのゴミ袋が大きな口を開けていた。

よかった、いつも通りの私の部屋だ。だれも入って来なかったとみえる。ノートパソコンもちゃんと机に置いてある。念のためバックパック・ポケットに隠していたドル札を確認したが、それもあった。パスポートもある。こんな散らかった貧乏所帯、どろぼうも何か盗もうともしなかったらしい。

神のご加護

トルコ人は正直だ、と私は思う。盗もうなどとする人は、(少なくとも私がめぐりあった中では)居なかった。人でごった返するバザールでもポケットの財布はずっと無事だった。敬虔なイスラム教徒だ。神の前でとても悪いことなどできない。

宗教をもたない日本人は、世間手や村八分の恐れや、密度濃いコミュニティー内で末永く信用を得る動機から、正しい振る舞いに仕向けられていく。トルコの人たちは、すべてを見ている全能の神を恐れ身を律する。たぶんどちらも同じだ。人の内面の言葉に「神」が出てくる違いだけで、そこで実際に道徳が形成される社会的メカニズムは同じだ。