多文化の歴史都市イスタンブール

毎日まわりを歩き(そう、1日5時間目標)、同じところでメシを食っても、じわじわとこの街の影響力が沁み込んでくる。そう、ここは紀元前から街があり、ある意味、世界の中心的な役割を果たしてきた(地理上の発見以前、先進地域は大西洋岸でなく地中海、特にその東方だった)。

古代ギリシャ人が植民し、ローマ帝国が治め、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都となり、オスマン・トルコ帝国の首都となり、現在もトルコ最大の都市として1500万人の人々を飲み込んで発展している。

重層的な文化が重なり合い、それが共栄とはいかないまでも、歴史の記憶として街の隅々に残っている。オスマン帝国も、異教徒には比較的寛容な態度をとったようだ。世界遺産の街として登録されるにふさわしい。時の支配的文化によって、異なる他の文化を破壊しない。あらゆる人類の文化を普遍的な遺産として残し、継承する。そんな遺産が街の至る所に存在する。散歩してメシを食うだけの私も徐々に感化されていかないわけにはいかない。

私の宿近く、旧市街近辺の各種世界遺産も参照。そちらはより庶民的な地域だ。)

イスタンブールの最重要観光スポット、アヤソフィア。537年、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世の命により建造されたキリスト教の大聖堂。1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落し、その首都イスタンブールとなると、アヤソフィアもイスラム教のモスクに変えられた。ビザンツ時代にもオスマン時代にも多くの改造が行われながら今日に伝わる。高さ55m、直径31mの巨大ドームを有したバシリカ式聖堂で、ビザンツ建築の最高傑作とされる。
ケマル・アタチュルクによる近代国家づくりの中で、1935年、アヤソフィヤはモスクから博物館に転換された。しかし、最近のイスラム回帰の動きのなかで2020年に再びモスクに転換された。ただし、礼拝の時間以外は観光客に公開されている。
巨大なドームが特徴的なアヤソフィアの内部。床に座って祈る人たちもいる。この内部に入るには長い列ができ、1、2時間はならばなければならない。夜行くのがコツ。夜なら空いているし、内部を見るにはさほど支障はない(上記写真も夜撮影)。24時間空いているが、深夜でなくても大丈夫。
オスマン帝国下にあっても、アヤソフィアは破壊されなかった。内部の装飾なども東ローマ時代のものが多く残っている。写真は南西の玄関口に残るモザイク画。中央に聖母子、左右にユスティニアヌス1世(アヤソフィアを建立)とコンスタンティヌス1世(コンスタンティノープルを建設)を配している。10世紀後半の作。
アヤソフィアのすぐ南に立つブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)。オスマン時代の1609年、スルタン・アフメト1世によって建てられた。イスタンブールの他のモスクもそうだが、形状にアヤソフィアの影響が見られる。直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームで構成される。「世界で最も美しいモスク」ということになっているが、出所は不明。

 

 

 

 

 

 

内部は修復中だったが、確かに美しい。
同上。
アヤソフィア、ブルーモスクの北側にオスマン皇帝の居城、トプカプ宮殿がある。その入口「挨拶の門」。上記二大モスクやこの宮殿を含め一帯が世界遺産に登録されている(「イスタンブールの歴史地区」)。南からボスポラス海峡に入ってくると、左側(ヨーロッパ側)から突き出た半島があり、小高い丘になっている。防御の砦になり得る場所だ。ここに東ローマ帝国からオスマン帝国に至るまで宮殿と政治支配の中心が置かれた。東ローマ帝国の宮殿はほとんど残されていない。発掘調査は行われている。
トプカプ宮殿の中。宮廷の儀式などが行われた外庭(第二庭園)。
市民の憩いの場ギュルハメ公園。トプカプ宮殿に隣接しており、かつてはその外庭だった。比較的広く、イスタンブール中心部では貴重な緑地。
隣接して国立考古学博物館がある。ここには東ローマ帝国の文物も展示されている。

この歴史地区(スルタンメフメト地区)をモダンなトラムカーが走る。イスタンブールも世界の他都市と同様、一旦は市電を全廃したが、1992年から復活。現在は3路線42キロに延びている。このT1路線は、この歴史地区など旧市街中心部に行くのに便利。

観光の目玉、歴史地区(スルタンメフメト地区)は、ヨーロッパ側から出ている半島の突端にある。ゴールデンホーン(金角)湾の対岸から見た歴史地区。高台にアヤソフィアやブルーモスクが見える。その向こうがボスポラス海峡だ。
ヨーロッパ側金角湾の対岸はガラタ地区。中世には、ジェノア人の居留地として商業活動の拠点となった。写真はその高台に立つガラタ塔。見張り塔として1348年に建てられたのが原型。現在は博物館を兼ね、眺めもよいので観光名所になっている。高さ63メートル。
ガラタ塔からボスポラス海峡方面の眺め。二つ前の写真が旧市街方面の眺め。
ボスポラス海峡。対岸はアジア。
金角湾に面したガラタ地区は昔からの港町で、ジェノア人をはじめ、ベネチア人、ギリシャ人、アルメニア人、レコンキスタでスペインを追い出されたユダヤ人などが多く住み、19世紀のクリミア戦争後はイギリス人やフランス人、20世紀のロシア革命後はロシアからの亡命者など多様な人々の街となった。港が手狭になりボスポラス海峡側に大型客船ターミナルをつくるのに合わせ大規模客開発が行われた(ガラタポート再開発)。倉庫街が写真のような美しいウォータフロント地域に整備され、観光客むけの商店、ホテルなども多く立地する。
ガラタポート地区は芸術の街としても売り出し中。イスタンブール近代美術博物館の立派な建物がほぼ完成している。
旧市街の西方には、東ローマ帝国時代の城壁が残る。4世紀にコンスタンティヌス帝が建造。オスマン帝国がコンスタンチノープルを陥落させた際には、この城壁を破って侵攻した。
城壁の修復作業も行われている
オスマン軍が城壁を破った付近に「パノラマ1453年歴史博物館」がある(トプカピ公園内)。2009年につくられた新しい博物館で、戦場の様子が360度空間でリアルに体験できるようになっている。入場料が250リラ(1800円)とあまりに高額なので私は…。
ガラタ地区の北には近代的なタクシム地区が拡がる。写真はその中心となるタクシム広場。ここから出る歩行者専用路イスティクラル通りは市の象徴的な繁華街で人通りも多い。だからだが、2022年11月、テロリストによる爆破事件があり、6名が死亡、多数が負傷した。
タクシム地区のさらに北には高層ビルの建ち並ぶレベント地区がある。この辺に居ればイスタンブールの印象が全く変わるだろう。金角湾を越えた旧市街、歴史地区の方からは高台の陰になりあまり見えないことが幸している。
新時代のトルコのもう一つの象徴がトルコ国鉄の高速鉄道(YHT)。2009年から営業運転を始め、現在、アンカラーコンヤ線、アンカラーイスタンブール線など総延長1400キロ。将来的には4000キロまで伸ばす計画。例えばアンカラーイスタンブール間620キロを最高時速250キロで4時間半程度で結ぶ。