ミケーネ遺跡へ 3500年前の城塞都市

小高い丘に立つと、青空の下に広大なアルゴス平野が広がり、あたりは静寂に充ちる。小鳥の声だけが聞こえ、背後には神々しい山がそびえる。心に沁みる体験に、かつて訪れたマチュピチュ(南米ペルー)のインカ都市遺跡の光景がよみがえった。

今から3500年前、紀元前15世紀前後に栄えたミケーネ文明の王宮都市遺跡だ。紀元前8世紀~4世紀に最盛期を迎えた古代ギリシャ。それを象徴するアクロポリスやアゴラも充分古いが、ギリシャにはそれよりも古い多くの古代文明遺跡が点在している。

そうした古代文明遺跡の一つ、ミケーネはペロポネソス半島の付け根近くにあり、アテネから日帰りでも行ける(約150キロ先)。古代文明の「勉強」に出かけたのだが、そこで出会ったのは、静寂に支配された古代の息吹に心が洗われていく体験だった。マチュピチュでそうであったようにしばらくそこを動けず、たたずんでいた。

ミケーネへの行き方

アテネからミケーネ遺跡に行くには、キフィスウ・バスターミナル(バスターミナルA)からナフプリオン行きのバスに乗る。このバスターミナルまではオモニア広場近辺から051番のバスに乗るのだが、他にも解説はあるので省略する。キフィスウ・バスターミナルを起点にオモニア広場付近まで行って帰って来るという巡回運行をしているのが051番バスだ。

アテネからペロポネソス半島のミケーネ遺跡へ 地図。地図:OpenStreetMap
ナフプリオン行きのバスはキフィスウ・バスターミナルの南東端に停まっている(写真の白いバス)。ちなみに、オモニア広場近辺からの051番バスはこの写真外左の細道を入ってきて写真外左に停まる。
ナフプリオン行きのバスはなかなかモダンな新車だった。

ナフプリオン行きバス アテネ発車時刻

ナフプリオン行きのバスの時刻表は掲示されてなかったが、切符売り場(上記写真左手)の人にしぶとく聞くと、完璧にメモしてくれた(下記)。たいしたものだ、全て記憶しているらしく、何も見ず書いてくれたもの。あくまでも冬(2023年1月)のものなので注意。

 

バス車窓の風景

バスは、地元民が利用する高速バスといった風情で、少なくともミケーネ遺跡まで行く人は他にだれも居なかった。朝の便だったからか、かなり空席が目立つ(帰りの夕方の便はほぼ満席だった)。

バスは、出発するとエレフシナ湾沿いの高速道路に入る。海沿いの瀟洒な住宅・別荘を見ながら進む。
ペロポネソス半島の付け根コリントスのバス停留所(郊外の高速道路沿い)に着くちょっと前、コリントス運河(写真)が瞬間的に見られる。アテネを出て1時間くらいがたっていたろう。エーゲ海とコリンティアコス湾を結ぶ絶壁の運河。全長6343メートル、幅24.6メートル。高さ最高地点で79メートル。1893年完成。閘門がなく海と同じ水位だ。つまりこれは海の一部であって、ペロポネソス半島はすでに島になっているということだ。写真は北方向を望んでいる。すぐ近くに見えるのは鉄道橋。
帰りは南方向が見える。
運河を船が曳航されていくところ。狭いので大型船は通れない。Photo: Inkey, Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
バスは、コリントスの街を迂回する形で南方向に進み(国道7号線、A7)、山岳地帯に入っていく。ギリシャは山ばかりで、平野の方が珍しいのだが。

バスを下りたら4キロ歩く

そこから約40分ほどで、ミケーネ遺跡入口に着く。バスはA7号線沿いのフィシテ(Fichite)村に着く。バスが山岳地帯から平野に出たあたりで、運転手に「ミケーネ」「ミケーネ」と言いに行く。出発の際、運転手にミケーネに行くと言ったが、「忘れるので近づいたらまた言ってくれ」と言われた。冬はここで降りる人はほとんどいないようだ。写真の緑色の建物が待合所。帰りもここで切符が買える。
バス停からはこのような道を約4キロ歩いて行く。二つの山の間に小高い丘があり、そこに何やらぶつぶつが。それがミケーネ遺跡だ。バス停にはタクシーが待ち構えているが、歩いてもさほどの距離ではない。山道というほどでもなし、道に迷うこともないだろう。車はあまり通らず、周りは美しい野原や山だ。天気さえ良ければ楽しいハイキングだ。
二つの間の小高い丘の上がミケーネ遺跡。その手前の住宅域はミキネス村だ。この村を通るあたりからやや登り道になる。放し飼いの犬に注意。これに吠えられるあたりで再びタクシーが待ち構え、乗らないかとさそってくる。うまい。冬は観光客も少ないのでたまに来る外来者に犬が吠えるのだろう。ちなみに帰りは犬も吠えない。犬は入って来る者を威嚇するが、出ていく者は気にとめないようだ。ミキネス村には民宿や土産物店などが多いが、冬は閑散としている。
近づいてきた。見事な山容の手前にミケーネの城塞跡が見える。

ミケーネ遺跡

遺跡域に入るとまず迫ってくるのがこの獅子の門。
次いでこの円形墳墓が現れる。ミケーネ遺跡はシュリーマンが1872年に発掘し広く一般に知られるようになった。この円形墳墓の中からは有名な黄金のマスクが発見されている。
ミケーネ遺跡から出土した黄金のマスク(右上)。アテネ考古学博物館所蔵。3500年前のものとしては明らかに出来栄えがよく、発掘したとされるシュリーマンの偽作が疑われたほどだった。ミケーネ遺跡に隣接する博物館にもレプリカがおいてある。
頂上部分にある王宮跡。南向きで、広大なアルゴス平野が見渡せる。視界がよければナフプリオン方面や海(地中海というべきかエーゲ海というべきかアルゴリコス湾というべきか)も見える。写真はやや西の方を撮っており、右にバスを降りたフィシテの村、左手手前にミキネス村。近くに遺跡入口の駐車場も見える。
背後には雄大な山が迫る。この神々しさを感じさせる山容が、ここに王宮都市を建設させた要因だったのでは、と思わせた。
ギリシャには、というより地中海世界には、街にでもどこにでも猫が多い(犬を嫌うイスラム教の影響があったからだと私は思う)。遺跡や観光地に行ってもかならず猫が居て、観光客からおこぼれ頂戴している。この山上の遺跡にも猫が居たのには驚いた。
職人の作業場跡。これは城壁の内側だが、最盛期で王宮城壁の内外32ヘクタールに3万人が暮らす都市ができていたという。
アトレウスの宝庫(陵墓)。内部に直径14.5メートル、高さ13.5メートルの空洞がつくられている。石を積み上げた高度な建築技術を示す。この陵墓は城塞の外にあった。城壁を中心としたミケーネ遺跡から500メートルほど離れている。

古代ギリシャよりも古いギリシャ人の歴史

ミケーネ遺跡の地には、紀元前7000年頃からの石器時代の住居の痕跡も見つかっているが、ある程度まとまった住居が形成されるのは紀元前1700年頃からである。一般には、紀元前1600年頃から紀元前1100年頃までをミケーネ時代と呼んでいる。 紀元前1350年頃が最盛期で、ギリシャ本土南部からエーゲ海諸島、クレタのミノア文明も支配においたとされる。現在残るミケーネ遺跡の相当部分は紀元前1350年から同1200年頃のものと推定される。それ以後ミケーネ文明は徐々に衰退し、紀元前1100年頃には王宮と城塞は破棄された模様。衰退の原因は他民族の侵略から気候変動まで多くの仮説が議論されている。

(後日補)紀元前1200年~同1150年にかけてのこの時期、ミケーネ文明だけでなく、中東から東地中海にかけて多くの文明が滅ぶか衰退している。この「青銅器時代末期の滅亡」(Late Bronze Age collapse)現象について、つい最近、興味深い新説が出された。ネイチャー誌2023年2月8日号に、複数年連続した干ばつでこの地域の多くの文明が滅んだとする研究が出た。この時期、アナトリア中部から勢力を振るうヒッタイト帝国も滅んでいるが、埋没樹木の年輪を調べることで、紀元前1198年、同 1197年、同1196年に3年連続のひどい干ばつがこの地を襲ったことがわかった。これに示されるような異常気象が、各地の文明を滅ぼした可能性を示唆している。

ミケーネ遺跡から出土している線文字Bは1953年に、イギリス人ヴェントリスによって解読され、古代ギリシャ語を記していることがわかった。また最近のDNA研究では、ミケーネ人は現代のギリシャ人にかなり近いことが明らかになっている。ミケーネ文明を、古代から現代に至るある程度一貫したギリシャ史の中に位置づけることが可能なようだ。

またクレタのミノア文明遺跡でも、まだ解読されていない絵文字や線文字Aの他に、ミケーネ遺跡と同じ線文字Bが出土しており、DNA研究でも、ミノア人がミケーネ人と近いことが示されている。