イスタンブール再訪

3ヶ月ぶりのイスタンブールだ。

マルマラ海から見たブルーモスク。

空気の違いを感じる。カイロは、まだ本格的な砂嵐の季節は来ていなかったのに、空気がくすんでいた。細かい砂の粒子が混じっているようで、エジプトの人たちの呼吸器系統への影響が心配になるほどだった。しかし、イスタンブールの空気は澄んでいる。気温が低いこともあり、キリッとした清明さがある。いやいや、あくまで相対的なものだが、少なくとも散歩すると肺を汚すだけという感じはない。

地下鉄で、降りる人がすべて降りてから乗るというマナーが行き渡っていることに感心した。当たり前とも言えるが、カイロでは人が全部降りないうちに先を争って乗って来る人が多く閉口した。

いや、これも相対的なものだ。イスタンブールのマナーがいいわけではない。残念ながら世界は階層化されている。西欧や日本では、空気もマナーもより研ぎ澄まされている。エジプトはまだまだで、少なくともマナーはこれから進んでいく途上だ。

アフリカでカイロがどんなに洗練された大都会であるか知っている。南に下り、スーダン、特に南スーダンに行けばどんな世界があるのか知っている。残念ながら世界は残酷なほどに階層化されている。

地震、鉄道事故

トルコ南東部で大地震があり、多くの方がなくなった。それでお前はトルコに来たのか、と日本の友人に聞かれる。すみません、そうではありませんでした。ウクライナを目指して周辺諸国を探訪し、冬の間エーゲ海からカイロの暖地で越冬、春になったので戻ってきた、という予定通りの旅程でした。そして春になれば戦争も終わりウクライナに入れる、、、という「予定」はまったくはずれましたが。

戦争と同じくらいの人が地震で亡くなっている。私は目的地を変えるべきなのか。しかし、今のウクライナに入るべきでないように、今の被災地に行くべきではないだろう。私に何ができるか。一人分の食・住資源を奪うだけだ。

トルコで全国民が喪に伏している、という表現が報道の中にあった。しかし、1000キロ離れたイスタンブールは3ヶ月前と同じ活気と喧騒で、影響を感じさせるものはなかった。街の食堂に入るとテレビのニュースが被災地の様子を伝えていた。しかしそれは日本のテレビがやっているのと同じだろう。

東日本大震災の日々、被災地の惨状をテレビで見ながら、1000キロ離れた名古屋で変わらない平穏な日常を暮らしている自分に罪悪感を感じた。その記憶が蘇る。

ギリシャでは大規模な鉄道事故が発生した。あの区間私はバスだったが、同じルートを走っている。確かに私の旅の近辺で大きな災害・事故が続いている。これらの惨事に比べれば私の盗難被害など何事でもない、と思わされる。(イスタンブール周辺でも1999年の地震により1万7000人が死亡している。イスタンブールの7割の家が耐震基準を満たしていないという。私の入った安宿も地震で真っ先に崩れそうなところだ。)

中央アジアからの人々

スーパーのレジで、「ビニール袋要りますか」と聞かれているのがわからずまごついていると、後に並んだおじさんが「アルメニアかウズベクか」と聞いてきた。それなら話せるぞ、という口ぶりだった。(俺がウズベク人に見えるか!)

そしてつい今しがた、同じくレジで、受け取った私のクレジットカードをながめながら「カズア……あなたはカザフスタンか」と聞いてきた。うん、これならわかる。カザフスタンには日本人に似た顔の人が居る。

「いや、日本人、ジャポンだ。」と言うと、

「おお、ジャポン。トーキョー、ヨコハマ…」と言ってカードを機械にかざす。

いつも通りのやり取りだ。名古屋だと言ってもわからないことが多いので、めんどうなので「東京だ」ということにしておいた。

顔カタチよりも、不敵な日常顔という面構が探知されるようだ。私も異国住まい慣れてきて、現地人的面構えになってきたのだろう。するとだいたい中央アジアからかと思われるようだ。

ラグメンの味

近隣食堂の看板に焼きそば(チャオメン)らしきメニュー写真があった。Lagmanと書いてある。そうだこれだ、前に新疆ウィグル自治区(中国)を旅した時、よくラグメン(Lagmen)を食べていた。言葉の響きからして日本のラーメンや中国の拉麺、拉面と関係がありそうだ。明らかに中国料理の影響を受け、しょうゆ味で、麺もスパゲッティーではなく「うどん」だ。私の口に合う。今回の旅では東欧からトルコまで麺料理はあまりなく、あってもケチャップ味のスパゲッティーだった。だから「焼きそば」を食べたくなっていた。

ラグメン。しょうゆ味の焼きうどんのような食感だ。

入って食べた。うまい。確かにラグメンだ。平らげてから店の青年に聞く。「ここはウィグル系なの?」。

「いや、トルクメニスタンだ。」との答え。

なるほど中央アジア諸国にもラグメンは浸透しているのか。記憶にないが、やはり前訪れたウズベキスタンやカザフスタンにもラグメンはあったのかも知れない。トルクメニスタンにも行きたくなった。

(しかし、トルクメニスタンは無理。同国は中央アジアでは異常と言えるほど外国人の入国を制限している。招待状がないとビザを発給しない、ビザ代は60ドルから100ドル、発給までに数週間、理由なく発給拒否されることもある、などなど。外国人観光客の少なさは北朝鮮並みだという。)

その青年も、(英語がたどたどしかったが)トルクメニスタンから来たと言っていた。なるほど、トルコには、同じテュルク系のコーカサス、中央アジア方面の人たちが結構入ってきているのかも知れない。それ以後お店の看板などを注意して見るようになったが、この辺(私の宿はマルマラ海沿いのYenikapi地区にあった)では、「ウズベク」と読める看板が多いようだった。(「ソマリ」とか「アフリカ」などの文字も多い。確かに黒人の人たちも多く見る。)

ヤクート人?

もう一つ別のラグメン表示のお店があった。こちらは確かにウィグル系料理店だ。看板にそう書いてある。しかし、中国人(漢族)の人たちも結構来ていた。イスタンブールには中国レストランというのはあまりないから、ウィグル系のレストランがその代わりになっているのだろう。

しかし不思議だ。ウィグル料理とは書いてあるが、看板の漢字には「薩哈拉面館」とある。薩哈はヤクート人(サパ人)のこと。ロシア連邦のシベリアにヤクート(サパ)共和国という広大な少数民族「自治」国がある。これもテュルク系で、顔立ちは私たちにも似たモンゴロイド系だ。最も東に住むテュルク系だという。中国国内にも少数ながら住むらしいから、新疆ウィグル自治区出身のヤクート系中国人が運営するレストランということなのかも知れない。英語が通じそうもないので詳しくは聞けなかった。

ヤクート系のお店?

テュルク系諸国とのつながり

中国の抑圧下に居るウィグル族の多くもトルコに移住してきている。他の中央アジア・コーカサス諸国、ロシア連邦圏少数民族も含めてトルコはテュルク系諸民族の拠り所になっているのか。特にイスタンブールはヨーロッパにも近い人口1500万もの大都会だ。中央アジアからシベリアにまで広がるテュルク系諸民族にとってイスタンブールは、高度経済成長時代の東京のような存在になっているのかも知れない。(次稿参照

3ヶ月前のイスタンブール滞在では、目白押しの世界遺産建築に圧倒されるだけだったが、2回目の訪問では、人も見えてきたということか。