素晴らしいホテル

トイレと浴室が一緒なのは普通だ。日本では別になっていることもあるが、アメリカでは普通一緒で、だからトイレのことをバスルームという。

ホテルもそうだ。どこの国に行っても、高級ホテルでも安宿でも、シャワー(またはバスタブ)とトイレが一緒になっている。ただ、私が入るような安宿ではシャワー箇所がガラス戸やカーテンで仕切られていない場合がある。シャワーのお湯が便器にかかる。これは許容範囲で、私は気にならない。その都度便器にお湯がかかり、洗浄されて合理的とも思う。

だが、今回入ったイスタンブールの安宿では、トイレの水が流れない。フラッシュボタンを押しても水が出ないのだ。いくらなんでもそれはまずいとフロントに言いに行こうとして気づいた。トイレのほぼ真上にあるシャワーを下に引っ張ってきて流せばいいのだ。

途上国の安宿遍歴が長い私だが、これは初めてだった。ここのシャワーは水流が強い。だから便器にシャワーを当てると、ブツがちゃんと流れる。紙がやや流れにくいが、どういう角度で当てれば流れやすいか検証を重ねれは、うまくいく。あるいはバケツ(ゴミ箱缶で代用)に水をためバシャリとやる必殺技も。なるほどこれなら流す水も少なくて済み、資源節約になるだろう。

だが、ホテルとしては、必ずしも節水のためこうしているのではないようだ。その証拠に、フラッシュできないトイレから、ちょぼちょぼと少しずつ水が漏れている。水洗機能が根本的にだめになっているということらしい。これでは水の無駄だ。

海外旅行は苦行ぞ

私がなぜこんな話を始めたかというと、海外旅行は辛い修行の旅であることを理解してもらうためだ。どういうわけか日本人は、議員さんはじめ、海外旅行は贅沢な娯楽と誤解している。考えを改めてもらわなければならない。貧乏人こそ海外へ。1泊1000円台のホテルはいくらでもあるし、これまでの人生で積み上げた安旅ノウハウ、体力、受忍力など最大限の「資産」活用をはかれば、実り多い修行僧の旅が今日でも可能だ。

輝かしい日本文学史をひもとけば、西行から山頭火まで、托鉢する苦行僧の生き方が精神文化の根幹に脈打っている。遍歴と放浪から世の中への透徹した悟りを求め、そこから和歌や俳句の伝統も生まれた。この伝統をどうしてしまったのか、今の日本人は。

物乞う家もなくなり山には雲  山頭火

山登りほど辛くはない。テントや山小屋で寝て飯盒のメシを食うほどの覚悟もいらない。しかしそれに近い行者の道が海外旅行であることをしっかり理解してもらわなければならない。だからこの種の書き込みをたまに挿入することにしている。ほれ、「トイレの話など聞きたくない」と逃げだした君、ずっと読みなさい。

慣れと適応

宿には慣れが必要だ。どんな環境でも適応し、問題を解決、とまで行かなくとも軽減させて、平静に暮らす術を学ぶ。

完璧な宿はない。日本なら、細かいところまで気を配って問題がないようにされているが(日本ではそれが普通で特に「完璧」とは言わない)、諸外国では必ずどこか問題があるものだ。アテネで泊まった少し高い宿は、シラミが居たようで胸から上に赤いボツボツができた。クレタで泊まった1DKマンションはきれいでとても満足したのだが、トイレの便座が壊れていた。シャワーのお湯が出なくなる故障もあった。カイロの大きくて安い3LDKマンションは…ここを参照。その他、鍵がかかりにくい、窓が完全に閉まらない、埃が目につく、テレビや冷蔵庫が壊れている、お湯が出ても温度が一定しない、つかない電気がある、壊れているコンセントがある、Wi-Fiが時々だめになる。その他ありとあらゆる問題が出てくるが、これらはあまり問題と思わなくなった。どうせ部屋を代えてもらってもそこに同じ問題、あるいは別の問題がある。本格修理に来てもらえばその間、部屋が使えなくなる。慣れるのが一番だ、とだんだん悟るようになった。

しかし、このホテルでは、ある日帰ったらトイレの天井から水が漏れ出している。これはいくらなんでもまずいだろう、とフロントの人に来てもらったが、「これか」と慣れた風で「Tomorrow」とだけ言って帰って行った。明日直すとでもいうことか、明日業者でもくるのか。

そのうちに、水漏れはとまった。どうやら上でシャワーを使うとお湯が下に漏れる、ということらしい。そのときだけトイレ使用を避ければなんとかなる。

「Tomorrow」でも、誰も来なかったし、漏れも直らなかった。「あしたになれば大したことなくなる」という意味だったのかも知れない。

その他このホテルではベッドの上の天井にもかつて水漏れした形跡があり、そこの漆喰が崩れて、白い漆喰箔がベッドの上に落ちていた。ベッドは2つあり、私はそこに寝ないから問題ない。ベッドにシーツはあるが、掛け布団(毛布)にはシーツがない。洗ってはないであろう毛布をじかにかぶるのは最初は抵抗あったが、ヨーロッパ圏外ではこれが安宿の普通のようで、きれい好き?の私もだんだん慣れてきた。冷蔵庫はあるがこわれている。使わなければよい。テレビを収める木のケースはあるがテレビはない。要らない、見ない。窓の外には再開発で取り壊された瓦礫ばかりの空き地が広大に広がっている。見なければいい。2階なので、部屋に座っているかぎり、地面の瓦礫は視角に入らない。対岸は遠くのアパートだから、かえってプライバシーが守れる。絨毯の汚れや壁やドアの破損など、その他いろいろ、気にしているようではだめだ。

それどころかここは、昼は消されるものの、ちゃんと集中暖房がある。夜凍えることはない。ドアの鍵もかかりやすい。虫も、少なくとも人を刺すようなものはいない。Wi-Fiも階段に近いので1階ロビーからよく届く。地下鉄の駅も比較的近い。そしてこのトイレ・シャワー付き個室が1400円なのだ。素晴らしいじゃないか。

宿の周りには、この広大な瓦礫跡が広がる。再開発のため取り壊された跡だ。 ということは、この地は将来性がある地域ということ。イェニカピという地下鉄駅に近い。何と3路線が交わり(これはイスタンブール市内で唯一)、近くに埠頭もある。ボスポラス海峡トンネルの始まるところで、高速鉄道も通る。ユーラシアを横断する「ミドル回廊」鉄道ルート上でヨーロッパの入り口になる。大きな可能性を秘めるところだ。ただ、今はまだちょっと…という点があるだけ。