「なだらかな緑地」の風景、高所の集落

4月10日、アンカラを発ち、バスで黒海沿岸の街サムスンを目指す。トルコ高原の風景を車窓に眺めながら、ヨーロッパの風景に想いをめぐらす。いや、トルコは厳密にはヨーロッパではないが、基本はヨーロッパ型だ。

トルコは日本に似ている

トルコの街はある意味で日本に似ている。雑然と建物が建つ無秩序さ。色も秩序がなく、くすんだ色もあればけば立った色もある。住宅地の中に工場があったりもする。モスクの尖塔という異なる風景がときどき顔を出すものの、街自体がどことなく日本を彷彿させるのはそうした事情のためだ。

トルコの地形も日本と似ている。山が多く、どこに行っても山と織りなす街や集落の風景が広がる。

なだからに連なる緑地

が、共通項はそこで終わる。田舎の田園風景はやはり決定的に日本とは異なる。つまり田んぼがない。水を張るため厳密に平たん化された農地を基本にする風景がない。いや、そこが平地であれば耕作地もむろん平らになる。しかし、わずかに波打っている。農地(畑)は緩やかな丘に沿って登っていき、時には丘の頂上まで牧草地などになっている風景もある。

日本の場合は稲作水田が基本だから農地は低地に限定される。水をはらなければならないから厳密に平らな農地だ。若干の起伏があっても、田んぼ一枚ごとに高低差をつけ、なお厳密に平らな農地をつくる。時に段々畑のような水田(棚田)にもなる。しかし通常、農地は山の上にまでは這い上がらない。山は森林が残され、農地たる低地とは画然とした境界ができる。決してヨーロッパ、トルコのようになだらかな起伏状の農地にはならない。

東アジア水田地帯と、ユーラシア西部の畑作・放牧地帯の風景の決定的違いはそれだ。片や画然としきられた平面農地の集合。他方は、なだらかにうねる緑地状の農地。

高いところに集落ができる

そして集落が丘の上につくられる。これについては以前も考察した

日本では通常、山の上には集落はつくられない。水田のある低地につくられる。いや、低地のど真ん中だと、そこを流れる大流量河川からの洪水被害を受けやすいから、やや標高の高い、山に近い場所に集落が形成される。山が始まる場所、山と平地の境目に日本の集落は形成される

だが、ヨーロッパ、あるいは水田耕作のないユーラシア地帯では、集落を低地に限る理由はない。むしろ、安全保障上の考慮から、集落は山の上につくられる。都市も高所に城壁をともなって形成される。高所は、水の確保も交通にも不便だ。しかし、守りやすい。平原を馬に乗って荒らしまわる侵略者たちも高いところにある城壁都市は攻めにくい。コスパがよくなければ素通りし、攻めやすい低地の集落を襲う。

なだらかな農地がある程度山の上まで達しているという条件が後押ししている。稲作農民のように、仕事場が必ずしも低地帯に限定されていない。丘の上でもある程度の農業・牧畜がおこなわれる。降水量が多くなく、河川も少ない。それに頼る度合いが少ない。水は、河川よりも天水や井戸に頼る程度が高い。それなら山の上でも住めないことはない。

トルコ中央部アンカラから黒海沿岸の街サムスンにまで乗ったバス。
サムスンまで沿道のトルコ高原の風景。以下同じ。