1年間ビザなし滞在、働ける(ジョージア)

ジョージアの首都トビリシ

ノマドの天国

これはこれはキップがいい。ジョージア(グルジア)に来て驚いた。1年間ビザなし滞在ができるのだ。しかも自由に働ける。日米EUを含む先進諸国のほとんどの国が対象になっている。こんなのは他にない。初めて聞いた。ビザなし滞在ができる国でも普通は3カ月までだ。ましてや現地で働くことなど、何らかの滞在ビザを取っていても難しい。

(お隣のアルメニアがビザなし滞在180日までで、これがジョージアに次ぐ開放的な国。ただし就労にはワークパミットが必要なようだ。また、他の多くのビザなし滞在90日までの国でも「開放度」には温度差があり、一端隣国に出れば何回でも90日滞在を繰り返せる国もある。例えばマレーシアなどでは、勧められたものではないが、隣国出入国を繰り返し30年も住み続けた人がいるという。)

これは、働きながら世界を放浪するノマドたちにとって最良の国だ。退職後の隠居生活でも、最有力候補はジョージアで決まりだろう。外国人流入を敵視する不道徳な国が多い中、これほど国境を開いた国は珍しい。この美徳には最大限の応報があってしかるべきだ。微力ながら、できるだけ滞在してカネを落としてあげよう。

銀行口座開設、法人設立、税制などでもノマド優遇策がとられている。そしてジョージアの首都トビリシは、ノマド・ワーカーが増え、多くの共同ワーキング・スペースもできつつある。例えば、下記のファブリカ(Fabrika)が名高いので出向いてみた。

だれでも自由に入って談笑したり、パソコン仕事したりできる。ここだけなら利用は無料だ。付属してカフェやバーも付いている。上階にホステルなどの宿泊施設があり、各種芸術関係工房、スタートアップ企業、世界80カ所以上に広がるコワーキングスペースのImpact Hub事務所、そして床屋さんなどもある。
同じように自由なスペースが中庭にもある。
ファブリカ建物の表側。もともとソ連時代の繊維工場だったものを改造した。壁にたくさんのストリート・アートが描かれている。サンフランシスコの起業地帯SOHO(サウス・オブ・マーケット)にもこんな荒れた感じの建物や壁画があふれている。世界を騒がす「チャットGPT」のオープンAI社もこのような武骨な建物に入っている。

ノマドにとって住みよい街、ヨーロッパ6位

トビリシの街はソ連風の建物は徐々に少なくなりヨーロッパ調の街並みになってきている。北と南に巨大なコーカサスの山脈があり、自然も豊かだ。気候も悪くない。ロシアとの地政学上の問題を抱えるが、街中の治安はかなりよい。ネットインフラも整備され、そして物価が安いとなれば、これはノマドワーカーならずとも、住みたくなる。

ノマドワーカー向けの情報を提供するウェブサイトNomad Listによると、2023年5月段階の「ヨーロッパでもっとも住みよい所」ランキングで、トビリシは6位にランクされている。ちなみに1位マデイラ島(ポルトガル)、2位ラゴス(ポルトガル)、3位ティミショアラ(ルーマニア)、4位グラン・カナリア島(スペイン)、5位リスボン(ポルトガル)、6位トビリシ(ジョージア)、7位エリセイラ(ポルトガル)、8位ポルテマン(ポルトガル)、9位ベオグラード(セルビア)、10位フエルテベンチュラ島(スペイン)だった。かなりマイナーなところが含まれるようだ。ポルトガルの島や街が上位10位中5つも入っていてすごい。その中でトビリシが6位なのだから大したものだ。しかも、このところずっと上昇を続けているようだ。

どうだろう、あなたもトビリシでノマド生活? ということで以下に、この街の紹介も兼ねて。

トビリシ(人口150万)の街の真ん中を南北に流れるクラ川。
クラ川の右岸に、街の中心、自由広場があり。竜を退治する聖ギオルギ(ジョージ)の黄金モニュメントが立つ。ロシア帝政時代に、アルメニア征服を行なったエリバン(現エレバン)伯パスケヴィチ将軍にちなみエリバン広場と命名。ソ連時代は、スターリンの右腕にして大粛清を指揮したべリアにちなんでべリア広場、その失脚にともなってレーニン広場と名前を変えた。レーニンの巨大な像もあった。ソ連解体と独立後に自由広場となり、レーニン像も撤去。この広場はまた1907年チフリス銀行強盗事件の現場となった場所としても有名。レーニン、スターリンらの指導のもと、ボルシェビキの活動資金稼ぎのため爆発物を用いた現金輸送車襲撃が行われた。40人の死者が出た。特にすでに銀行強盗で成果を上げていたスターリンは直接の指揮にあたったらしい。独立後も、民主化を求める運動など市民のデモの多くはここで行われている。
自由広場から北にのびるルスタベリ通りは、現在では大型ショッピングモールなどもあり大勢の人でにぎわうが、国会議事堂や博物館など由緒ある建物もあるメインストリートだ。
国会議事堂。
自由広場の南には旧市街が広がる。何だか今にも倒れそうな建物もありましたが。さすが旧市街だ、でも大丈夫か、と思ったが、これは2010年に芸術家のRezo Gabriadzeさんがつくった時計台だという。たちまちトビリシの名物となり、人形が出てきて時を告げる時計台はインスタ・スポットになったらしい。しかし、後ろ側から見ると(写真)、危ない中世の建物にしか見えない。
さらに南に下ると、ナリカラ要塞が崖の上にそびえる。4世紀に最初の要塞が建設され、7世紀に拡張。13世紀にモンゴル帝国に征服されると、「ナリン・カラ」(小さな要塞の意)に改名された。現存する要塞のほとんどは16~17世紀の建造。クラ川の谷が狭まるところ(写真手前に橋)にある高台で戦略的に有利な場所だった。ということは眺めもいいということで、トビリシのハイライトになっている。歩いても簡単に登れるが、写真右上に見えるロープウェイでも登れる。
城塞からの眺め。
市中心部方向の眺め。要塞からロープウェイ駅、「ジョージアの母」像を経て、ずっと西まで遊歩道が伸びている。 
ナリカラ要塞の麓には温泉街のアバノトバニ地区。この奇妙な建物の下に浴場がある。市名トビリシ(Tbilisi)はジョージア語で「温かい」の意で、市内に温泉が湧いていたことから来る。
温泉街といえば、渓谷歩きが定番(かな?)。このせせらぎに沿って遊歩道がつくられている。
10分ほど歩くと、先は滝になっている。
近くにトビリシ歴史博物館もある。ただ、どこの博物館も同じだが、来ている人は少ない。しかし、博物館というのはその街、その国のアイデンティティを示すシンボルでもある。人が来ようが来まいが……というのが私の考えだが。
クラ川をはさんでナリカラ要塞に対面するのが、メテヒ教会とヴァフタング1世・ゴルガサリ像。グルジア正教会のメテヒ教会は伝承では5世紀創建。13世紀のモンゴル侵攻で破壊され、その後に再建された。騎馬像のヴァフタング1世・ゴルガサリは5世紀から6世紀初頭にかけてのイベリア王国の王。この地で温泉を発見し、トビリシ(温かい)という地名を与え、王都をそこに移した。その温泉が見える場所に街の創設者の像を建てたということだ。
メテヒ教会の横にヨーロッパ広場があり、そこにドイツから贈られた「ベルリンの壁」破片が飾られている。抑圧体制の象徴であるこの壁の破片が東欧諸国の様々なところに展示されている。
やや離れて、クラ川右岸にあるDavit Aghmashenebeli通りにはヨーロッパ調の街並みが続く。冒頭で紹介したノマドの溜まり場ファブリカも近い。
トビリシにはソ連時代の地下鉄が走っている。アルメニアの首都エレバンにもソ連時代の地下鉄があるのだが、構造がよく似ている。駅の深さ、ホームの端から出るエレベーター、そこの「守衛」、線路の壁に表示されたルート上の駅名などなど。しかし、トビリシの地下鉄は、南北に長い街に沿い、人が集まるところ、行きたいところを非常に効果的につないでいる。使い出がある。エレバンの地下鉄はちょっとルートが人の動線から外れている気がした。
ホームまで降りる長ーいエスカレーター。いかにも年代ものという感じで揺れる。ふと目がくらんでベルトにつかまりたくなるくらいだ。こんなに深いところに地下鉄をつくるは、核戦争での防空壕としての用途も考えていたのだろうか。