弥生系に隠れた縄文の伝統
日本人は縄文人のアイデンティティを取り戻すべきだろうか。現代日本人の中には約20%の縄文人のDNAが含まれている。残る80%は弥生系で、これは今から2000年前前後に大陸から稲作をたずさえて渡来してきた人々だ。列島の人々は混血し、どちらかというと弥生系になったわけだが、約1万5000年前からここで固有の生活を営んできた縄文人としての自覚に返るべきだろうか。
難しい問いだ。いやいや、そもそも現代日本人はそんなことは考えたこともないだろう。
南アフリカ(南ア)のコイサン族に関する状況はこれに似ている。コイサン族は実に16万年前から(ホモサピエンス出現の初期の頃から)アフリカ大陸の少なくとも南半分に広く分布していた。しかし、4000年ほど前から西アフリカのバンツー系諸族の拡散が始まり、コイサン族は徐々に追いやられる。バンツー系は2000年前前後に現南ア地域にも到達。コイサン族は吸収されるか、遠隔の半砂漠地帯に駆逐されていった。現在、南ア人口の8割がバンツー系の黒人で、ズールー族(23%)、コサ族(16%)などが主流となっている。
ネルソン・マンデラにもコイサンの血が
が、バンツー系もアフリカ南部への拡散過程でコイサン族と混血している。ズールー族、コサ族を含むングニ諸語(バンツー系)を話す人々の遺伝学的調査では、母系のミトコンドリアDNAの30%~42%がコイサン起源だという(父系のY染色体DNAでは5%以下。主にバンツー系の男とコイサン系の女の混交があったことを示す)。文化的にも、これら諸族の言語にはコイサン系言語の特徴であるクリック音素が入り込んでいる。が、
コイサンDNAが最も大きかった値42%はコサ族のもの。解放闘争の指導者ネルソン・マンデラもコサ族出身だが、2004年にルーツ探索DNA検査をしたところミトコンドリアDNAがコイサン起源であることがわかった。確かに彼の顔立ちにはアジア系に似た面影がある。解放後の白人との共生、多様性ある社会の創造を目指した彼の寛容性ある指導力はモンゴロイド的なやさしさに……おっと、おっと、そこまで言っては逆の偏見になる。すでに私はコイサン族にアイデンティファイ(自己同一化)しはじめているのか。
コイサン復興運動
南ア黒人たちの間には、アパルトヘイトの中で強いられた人種区分とアイデンティティとは別の、新しい何かを探し出そうとする動きがある。アフリカの先住民として最も古い、というより人類で最も古い、コイサン族の中に有力なアイデンティティを求めていくコイサン復興運動(Khoisan Revivalism)の流れが顕著になっている。
縄文の復権も難しいが…
しかし、コイサンの起源は遠い。絶滅した民族とさえ言われる状況もある。伝統的なコイサンの人々はナミビア、ボツワナなどカラハリ砂漠の彼方に追われ、コイサンの血を引く人々も普通のアフリカ黒人として多くは都市生活の中に居る。普通にジーパン、Tシャツを着て、おそらくは車も運転し、マグドナルドにも入って暮らしている。
縄文人の復権と同じだ。バンツー族の人々は弥生人と同じように、農耕文化をともなってやってきた「渡来系」だ。圧倒的に優勢な生産力をもってコイサン族を吸収していった。年代も、ちょうど弥生人が来た頃と同じ2000年前前後だ。縄文人の子孫たちも表面上は弥生系になり、今ではすっかり近代文明にも染まり、自分たちの文化の何が縄文なのまったく自覚できなくなった。
(農耕・牧畜がはじまると高い食糧生産能力により人口が増える。そこで、多数化した民族と少数のままの民族が出会い混交が始まれば、長い間には自然と多数民族が表面的には優勢になり、少数民族は消滅したかのような形になる。歴史的には、多数民族による少数民族の虐殺もあったろうし、それを過小評価することは許されないが、多くはこうして一方の人口多数化により他方が表面上消え遺伝子の中に痕跡を残すだけとなった。ネアンデルタール人などもこうして消えたのではないか。つまり、実際は彼らも我々ホモサピエンスの中に引き継がれているのだ。また、アメリカ先住民で明らかにされているように、未知の病原菌に抗体のなかった人々が感染症で人口を激減させることも大きな要因だった。)
街で観察
私はコイサン人のコミュニティを体験したいとこの地に来た。しかし、街でコイサン族とわかる人が歩いているわけではない。失礼ながら人々の顔をしげしげとながめ続けている。コイサン族あるいはモンゴロイド的な面影はないか。そんなじろじろ人を見るのは失礼なのだが、幸いにも、彼らも私の方をじろじろ見る。南アでは東アジア系は珍しい。彼らが私をしげしげと見て、私が彼らを見る。お互い様だ。
これまで(主にアメリカでだが)黒人の人たちを、モンゴロイド的なところがないかを意識して見る、などということはなかった。おかしなことをしているわけだ。しかし、そういう気持ちで見ると、似たところがなくもないように見えてくるから不思議だ。いやいや、気のせいだろう。冷静になって見れば、彼らはアメリカで見てきた「黒人」の人たちとそれほど変わらない。
しかし、待てよ、ちょっと背が低い。私は165センチだが、同じくらいだ。あまり威圧感を感じない。これまで見知ってきた黒人の人たちは大きかった。コイサン族は男性でも150センチ程度で低身長。もしかしてコイサンとの混血でその影響を受けたか。いやいや、これも、貧困を強いられている南ア黒人たちの栄養状況が原因かも知れない。実際、南ア白人たちはアメリカの白人同様大きい。…そんなバカげた思考をあれこれめぐらしケープタウンの街を歩いている。
海外に出ると顔を上げて歩く
余談だが、日本ではあまり顔を上げて歩かない。下を向いて歩く。人と視線を合わせるのを避ける。カリフォルニアくんだりでは会う人ごとに笑顔で「ハーイ」とか言ったり、スーパーのレジ係も「How are you today?」など明るく聞いてくる。日本ではそんなことをしたら変な人だと思われる。団地などを歩いて少し知っている人とすれ違っても、軽く会釈して(つまり目を合わせず)「ども…」などと言うだけだ。
が、海外に出てきたら一挙に態度を変える。前を向き、人の顔に目を走らせ、目が合ったらニコッと笑って、時には「ハーイ」とか「ハロー」とか言う。その延長で、南アでは積極的に顔を上げ、すれ違う人たちをよく見て歩いている、というわけだ。あんまり前ばかり見ているので、数日前、下水溝蓋の破損穴に思い切り片足を踏み込んでしまった。とても痛かった。幸い骨に損傷はなかったが足首と手の指に擦り傷を負った。やはり下も見て歩かなければならない。
ツーリズム
さて、縄文人のアイデンティティ問題だ。縄文人に返ろうとして、特に、諸外国から訪れる観光客が縄文人に強い関心をもつようになったとしたらどうだろう。各地に縄文博物館を積極的に建て、縄文ツアーなども組織する。普通の旅館でも「縄文ホテル」などの名前にした方が客が入ると判断するかも知れない。自然の中の宿なら「縄文バンガロー」だ。縄文文化体験コーナーをつくり、原始的な衣を着たり半裸になり、怪しげな踊りをしたり、狩猟漁労採集活動の真似事をやったりするかも知れない。
南ア黒人たちのコイサン復興運動は真剣な希求だ。しかし、そこを訪れた旅行者としては、あるかも知れないこのようなやりすぎにも注意しなければならない。コイサンたちが、素朴なツーリズム産業で生計を立てるのは貴重だし、支援する必要もある。が、コイサンを語る観光経済がきちんと彼らに利益を還元しているのかも見定めなければならない。
コイサン文化拠点
いろいろ調査して、この近辺で最も信頼できそうなコイサン文化拠点はクワトゥ(!Khwa ttu)であるらしいことがわかった。自らのアイデンティティを回復しようとする南ア黒人たちがコイサンの伝統的な生活・文化を学び習得する場ともなっているようだ。
遠隔の地で、車なしでは行けない
だが、ここに行こうとして次の問題が出てきた。こうした「本物」に行くのが非常に難しい。いや、車があれば簡単なのだろうが、運転もできずレンタカーも借りられない貧乏旅行者には難しい。コイサン族のこうした「生きた博物館」(Living Museum)は遠隔の自然豊かな場所、あるいは半砂漠地帯にある。クワトゥは比較的ケープタウンから近く(北へ70キロ)、幹線道路(R27)沿いにあるのだが、バスも相乗りバスも行っていない。タクシーだと何万円するかわからない。自転車で行くにも、慣れない土地で往復140キロは無理だ。
バス・ターミナルを調べまわって、クワトゥから15キロのダーリンまではGolden Arrow Busが行っていることをつきとめた。しかし、1日往復のみ。しかも通勤用のバス便で、朝ケープタウンに来て夕帰るバスだった。逆向きに移動する私には使えない。15キロなら、そこで自転車レンタルでも探して、などと考えたのだが。
結局、南アでのコイサン探求は不徹底に終わった。課題をコイサン本拠地ナミビアに持ち越すべく、ケープタウンを後にした。