ツムクェへの道

ナミビア北部のグルートフォンテインから北東部遠隔地のツムクェまでは300キロ。幹線路を離れるとこのような砂利・砂道となり、約250キロ続く。周りに民家はほとんどなくサバンナが続く。
ナミビアの首都ウィントフックから「サン族の首都」ツムクェまで筆者のとった行程(太線)。Map:(partial use) : JonasGraf, CC BY-NC-SA 4.0 Deed

どうやったら行けるか

ナミビアでサン族の人たちに会いに行くならツムクェ(Tsumkwe)一択。前稿の通り、ナミビア北東部遠隔地でサン族の人たちが集住し、伝統的生活をある程度保証されながら地域社会を形成しているところだ。で、問題は、相変わらず、どうやってそこにたどり着くか。

バスも鉄道も乗り合いミニバスも行っていない。砂利道が250キロ続く。歩けないし、自転車も問題外。車があっても、途上にガソリンスタンドがほとんどなく、車体の損傷も激しい。十分なガソリンと食料、水を用意して行くように、夜の走行は道路の状態から自損事故が多く、野生動物との衝突事故もあるので控えるように、などのアドバイス。首都ウィントフックから車をチャーターした場合、料金は片道8000Nドル(約7万円)とも言われた。

まずはグルートフォンテインまで

どうするか。イチかバチかで、幹線道路を行けるところまで行き、砂利道に入るところで車を待ち250キロを有料ヒッチハイクする他ない、と見立てた。そんなことができるのか確証はなく、心に暗雲が立ち込めたまま、5月22日、とにかくインターケープのバスで行けるグルートフォンテイン(Grootfontein)まで行った。

このインターケープのバスも週3本あるだけ。ナミビア首都ウィントフックから、幹線国道B8号線を北上、ザンビア国境を越え、ビクトリア滝の起点リビングストンまで23時間かけて走っている便だ。だから場所によっては夜中や未明に着くとか出るとかになる場合もあり、利用が難しい。幸い450キロ北のグルートフォンテインは夜の9時半着のスケジュールだったので、辛うじて利用できた。

グルートフォンテイン(人口2万6000人)も、この辺では主要都市ということだが、やはり遠隔地の村。ちょっと行くと民家が切れ、広大なサバンナ景観になる。それでも一応、本格的なスーパーがあり、物資が何でも手に入るのはありがたいことだった。

首都ウィントフックのインターケープ・バスのターミナル。南アの有力バス会社がナミビアにも進出している。ここから北に450キロ、グルートフォンテインを目指す。
周囲の風景は相変わらず同じ、サバンナの平原。
インターケープのバスはどこでも快適な車両。そのバスが走る道も、立派なアスファルト幹線道路だ。マイナーなルートまでカバーしているわけではない。
グルートフォンテインの街(人口2万6000人)。
グルートフォンテインの東、南方向には、広大なサバンナ平野が横たわる。この辺には農地もあるようだ。あの彼方に、行けるかどうかわからない「幻の」ツムクェ集落もあるはず。

一泊した宿の庭には美しい花を咲かせた木が。

1泊して翌5月23日、いよいよ運命の「ヒッチハイキング」にトライする。グルートフォンテインからだと、ほとんどが幹線道路を北上したままルンドゥからザンビア方面に向かう車だけだから、途中で右に折れるツムクェ方面への車は拾いにくい。まず分岐地点まで別途ヒッチで行った方がいいかも知れない、などと考えながら街はずれのガソリンスタンドまで行くと…

「ロードマスター」たち

ガソリンスタンドには5,6人の男たちが待ち構えていた。バックパック姿の私が入ってくると、「どこに行く?」とその一人が声をかけてくる。
「ツムクェまでだが。」
「ようし、待ってろ、俺が見つけてやる。」

なるほどガソリンスタンドのはずれに「待合場所」みたいなところまであり、そこに何人かの「ヒッチハイク待機者」が休んでいる。なるようになるだろ、と私も、分岐点まで行くのを止めて、ここに腰かける。

街はずれのガソリンスタンドには、何人かの男たちが待ち受けていて、「ヒッチハイク」しようとする乗客たちの手助けをしていた。左手に「待合所」のベンチ。
入ってくる車に群がり、ヒッチハイク「客」を乗せてくれないか交渉する。ちゃんと、客が待つベンチもしつらえてある。

午前9時ごろガソリンスタンドに着いて、ツムクェ行きの車に乗ったのは11時ごろだった。約2時間、その場所で、男たちの「ヒッチハイキング」手配の様子をながめていた。なるほどこうなっているのか…2時間も居れば、だいたいの仕組みがわかってくる。私も先を急ぐ旅ではない。とにかくツムクェに行ければ御の字。悠々と構えて事の成り行きを見学させて頂いた。

これら男たちは、からかい気味であろうが、「Road Master」(道の支配人)と呼ばれている。定期運行の公共交通機関がない遠隔地域では、街はずれのガソリンスタンドなどが「有料ヒッチハイク」の手配場所になり、そこでロードマスターたちが手練を発揮し、適当な車を見つけてやる。乗客も助かるし、思わぬ副収入が舞い込むドライバーにとっても悪くはない。有料ヒッチハイクの相場は10キロあたり10Nドル。ロードマスターたちはそのうち25%程度をドライバーから受け取っているようだ。

うまいシステムだ。最近は、オンラインでライドシェアを組織するサービスも出てきているが、こちらは昔からの人出を煩わしてのライドシェア手配だ。オンライン上で特定方向に行きたい人を募集して日時設定して組織して、などとやるのはまだるっこしいし、予定を組んでも本当に車が来るか、人が来るか危い。車も客もそこに実存する現場でババッと組んでしまった方が、なるほどずっと確実で効率的だ。

そして恐らく無視できないのがリスク軽減効果。ヒッチハイクは見ず知らずの人が見ず知らずのドライバーの車に乗る行為だ。それなりの危険が伴う。しかし、こうやって人の手を経て手配されれば、ある程度公に知られた旅の行為となり、完全とは言えなくとも、ある程度リスクが軽減される。

男たちは、毎日ここに出てきているらしく、何時にどこ行きのトラックが通るなどもよく把握している。「おいおい、あのトラックが来たぞ、停めろ」などと言い合って、トラックの運転手に大声をかける。運転手は一旦は通り過ぎるが、Uターンできるところで帰ってきて、客のおすそ分けにあずかる。

過疎でガソリンスタンドがあまりないナミビアでは、街はずれのガソリンスタンドで必ず給油しようとすることが多い。車が入ってくると、ロードマスターたちは争って運転手のところに駆け寄り、どこに向かうのか聞きだす。そして交渉が始まる。

「仲間の間で競争はないのか」とロードマスターの一人に聞いた。「そりゃああるけどね」という返事だったが、見ている限りは、適度に譲り合い仲良くやっているようだ。入ってきた車に最初に気付いた者、ガソリンスタンドでぶらぶらしている「客」に最初に声をかけた者に先を譲る、という暗黙の了解ができているようだ。

ロードマスターに頼らず、自分で客を探そうとガソリンスタンドに自分の車を乗り付けるドライバーもいる。ロードマスターたちとの間に微妙な距離感・空気感を取りながら、自分の客を探す。軽い口論になることもある。「ああいう連中をロードマスターと言うのさ」と、そういうドライバーの一人が教えてくれた。「偉そうに道路を取り仕切る支配者」というニュアンスもありそうだ。

このとき会った5,6人のロードマスターのうちの一人に、後にツムクェで会った。36才だと言ったが、家族連れで旅行をしていた。この「仕事」で世帯を支えている人も居るということだろう。

なるほどこれは面白い。来る車すべてに私が当たり、ツムクェに行くか聞かなくてもよい。これなら分岐地点まで行かなくとも、ここでツムクェ行きが見つかるかも知れない。実に効率的だ。地方の交通や地域社会の動きを知る意味からも、興味深い社会勉強だ。などと思いながら、時たま居眠りして2時間がたつ頃…

ツムクェ行きの車が来た

「おいおい、ツムクェの途中までだが、ポリース・チェックの所まで乗せてくれる車が見つかったぞ。150Nドルだ。そこまで行けば、後はツムクェまで別の車が簡単に見つかる。」

よし来た。間髪を入れず、誘いに乗る。2時間待ってやっと現れた車だ。乗らない手はない。小型トラックの夫婦で、街に野菜を売りに来た帰りだという(いや、買い付けに来た帰りだったかな?)。いいぞう、やっとツムクェに行けることになったぞ、と興奮して助手席でしばらく待つと、、、

「ツムクェまで直接行く車が見つかった。こっちに移れ。あと200Nドル払う必要がある。」と促される。

何だかよくわからないが、直接行けるならなおいいだろう、とそっちに移る。これはまったく正解だった。行ってみてわかったが、「ポリース・チェック」(肉なの搬入などを取り締まっている)からツムクェまで、まだ相当あった。地図で見ると行程の半分くらいでしかない。「そこまで行けば、次の車がすぐ見つかる」も、さてどうだか。

計350Nドルになるが、高いのか安いのかわからない。「ロードマスター」が仲介料を上澄みして相場より高くなったのかも知れない。ドライバーと口論しているからその可能性もある。しかし、8000Nドル(7万円)払わなければならないのか、と思っていたのが350Nドル(3000円)になったのだ。ただになったようなものだ。

ちなみに、最初、待っている客に聞いたら、ツムクェまで250Nドルくらいだろう、と言っていた。後で信頼できる宿のスタッフに聞いたら、10キロ10Nドルが相場だから350Nドルは妥当な額だろう、ということだった。

とにかく私はツムクェまで行ければ御の字。「ありがとうよ」と手配のロードマスターに笑顔で手を振り別れた。

この車で直接ツムクェに行けることになった。私は助手席に二人がけで座らされた。後は荷台になっており、そこにも数人。

ついに本当の「ツムクェの道」

しばらく、舗装されたB8号線が続く。周りの風景は、ナミビアに入ったときからほぼ同じ。ずっとサバンナが続いている。サバンナでも木があまりない(乾燥度が高い)サバンナと、ある程度灌木が生えている(乾燥度が低い)サバンナと。

私は助手席に座らされた。しかし、座席一つのところ2人が座るのだからきつい。後ろは荷台になっているが、出発した時には2、3人しか乗っていなかった。

サン族の家族を乗せた

1時間程度乗ると、ツムクェ(さらにボツワナ国境)に向かう砂利道、C44号線への分岐点に着いた。私は当初、ここまで来て、そしてツムクェ行きの車を拾おうと計画していた。車がツムクェ方向に右折すると、そこにヒッチハイクをする家族連れが居た。「サン族だ」とドライバーが言った。私はあわててスマホを取り出してシャッターを切った。なるほど小柄でカラフルな着物を着て人懐こい笑顔を浮かべている。私が、はっきりサン族とわかる人たちを初めて見た記念すべき瞬間。

国道B8号線は、右折してツムクエ方面に向かうC44号線との分岐点にさしかかった。
車が右折するとすぐ、左手の木陰に人が待っているのが目に入った。
サン族の家族だった。

250キロを走ってすれ違った車は10台程度

サン族の家族を荷台の方に乗せて、車は、ツムクェに向け砂利道を走り出す。砂利道だが、ある程度広く、整備もして固めてある。だから悪いことにかなりスピードを出して走る(時速80キロ以上は行っている)。走った後にはもうもうたる埃。前から走ってくる車はほとんどない。

何台とすれ違ったか途中で数えるのを止めてしまったが、ツムクェまで250キロを走って(集落内でのろのろ運転している車を除き)10台程度だった。東京・浜松間を走って、すれ違う車が10台、という状況を想像して欲しい。

この分岐点で、来る車を待つということがどれほど大変かもわかった。グルートフォンテインで、居眠りしながら「ロードマスター」たちに任せていたのは正解だった。

またまたサバンナの中の一本道。しかし今度は砂利道、というより砂道。対向車もほとんどない。珍しく前から車が来たので遠くからシャッターを切った。車の後にはすさまじい埃が立っている。
250キロのサバンナの道。道路は広く、ある程度整備もされているようなので、車はスピードを出す。
途中で車がエンコ。ドライバーが車体の下にもぐって修理した。他に車がほとんど来ないこんなところで動けなくなると、命にもかかわる。野生動物にも注意。飲料水補給を忘れずに。
集落近くでは自転車を見ることもあった。しかし、車よりさらに少ない。珍しいので撮った。
車よりも牛を見ることの方が多かった。
集落近くで人の歩く姿も。やはり珍しいので撮った。決し歩行者は多くないのであしからず。
助手席に一緒に座らされていたおばさんが降りた。ヘレロ族と言っていた。かなり陽気にしゃべり続ける方だった。道路から少し離れていたが、ドライバーはそこまで乗せて行って降ろした。
荷台に乗っていたサン族の家族も、この自宅前で降りた。
いよいよツムクェが近づいてきた。高い鉄塔が見える。
ツムクェの村(人口500人)の中心部分。街中だけ舗装がある。中心部に十字路がある。ついにツムクェに来ることができたという感動。
キャンプ場施設に泊まったが、柵のすぐ外に野生の象が来ていた。