サン族の人たち、第一印象

「日本人に似ている」

サン族の人たちに接して最初に感じた印象は、日本人に似ているな、ということだ。何というか、その人と接するときの感覚、はにかむようなウェットな感受性が日本人の感覚に近い。優しいし愛着の持てる性格だ。写真で見た通り、顔もアジア系と少し近いだろう。あくまでも「黒人」と言えるが、私が子どもの頃、田舎で見ていたおじちゃん、おばちゃん、野外で長く農作業をしていた人たちの顔も日焼けして黒びかりしていた。彼らが都会に出て洗練されたインテリの生活を始めれば、増々現代日本人に似てくるだろう。

この「感覚」が今の段階では重要だ。東アジア系のふるーい先祖なんじゃないか、と人類学・遺伝子研究を読みながら感じていたことを、現地で確かめたかった。そこで実際に彼らと会ってどう感じるか、それをとりあえずの課題にして来た。実際、日本人に近い。それが第一印象。むろんそれで系統分析の何らかの証拠にもなることはまったくないが、まずは来て感じてみたい、ということの結果はそれだった。

さらに体が小さい。男性で150センチくらいで、現代日本人よりも小さい。日本人・アジア系も欧米系、黒人に比べれば小さいが、そういう面でも似ている。彼らは体力的に他の黒人より弱いので、それもあって徐々に大陸の遠隔地に追いやられてきたのではないか。「極東」の隅にまで追いやられてきた日本人とも何やら似たところがあって、共感できる。

彼らは現在貧しく、栄養がよくない。飢えがなくなっていけば、体はもっと大きくなるだろう。日本人も江戸時代には男性150センチ程度だったと聞く。今は栄養がよくなったので大きくなった。

そもそも、小さい体というのは、進化上優れた形質だ。食料資源が限られる中、コミュニティが成立する一定人口を確保しようとしたら、個々人の体を小さくするのが適応的進化だ。それで生存可能性が高まる。熱帯雨林に生活するピグミーと呼ばれる人たちもそれで進化を遂げたのだと思う。動物でも、狭い島嶼などに適応した種は小さくなるようだ。

闘いに明け暮れ、他を滅ぼして自分たちがのし上がる秩序に居る種では、体は大きく頑強になるだろうが、平和で共生的な繁栄を図る種では体は小さくなる。(ということはつまり、どんどん体が大きくなる現代人は、たとえ肉体的な戦いはあまりなくとも、何らかの弱肉強食の原理の中で生きている可能性がある。)

サン族で宿主の自治体職員リコロさん、サン族リビング博物館の後述キャオ君やダム君、コイコイ系ナマ族のロッジ従業員ネルソン君など、すぐに近しい関係になることができた。特に意識していたわけではない。後で考えると、何かいきなりかなり親しい関係になったな、という感じだ。異国で同胞に会ったような感覚、とでも言おうか。

つまり、やはりモンゴロイドとして何か感じるものがある。何か近しいもの、過去のふるーい関係がどこかにあるに違いないと感じられる。アフロ・ユーラシア大陸塊の両端で、たまたまま蒙古ひだ(内眼角贅皮、epicanthic foldと呼ばれるまぶたの形)を発達させたから似ているように見えるだけだ、という論には組みせない。モンゴロイドの特徴はそんな目つきだけで決まるものではない。同じ(?)モンゴロイドとして「似ている」というのを直感的に感じるし、その感覚が今は大切にしたい。

見分けられるようになった

サン族と他の黒人(この辺ではヘレロ族やナミビア主要民族のオバンボ族などのバンツー系)の違いが分かるようになった。いや、そんなに難しいことではない。サン族の人たちは小さい。カラフルな伝統衣装を着ている。しかもそのきれいなはずの民族衣装が何週間も洗ってないかのように汚れ、よれよれになっている。

これに対し、バンツー系の人たちは大きい。アメリカで見てきた黒人たちと同じだ。南アの黒人よりも大きいように感じる。南ア黒人はコサ族をはじめコイサン系との混血で身長も低めになったのではないか。ナミビアでは混血はあまり進まなかったか。ヘレロ族、オバンボ族などバンツー系は歴史的に西アフリカ起源で、北部ナミビア地域には16、17世紀に移動してきている。

バンツー系の人たちは大きいだけでなく活力がある。いろいろ商売をしているのも、車に乗っているのも彼らだ。Tシャツやジーパンなど現代風の衣服を着ている。サン族が貧困層なのに対して、バンツー系は中産階級という感じだ。

ツムクェで観察していると、店の中に入って買い物をしているのがバンツー系で、その外にたむろして、出てくる買い物客に「私にもパンをくれ」などとねだっているのがサン族の人たちだったりする。むろん例外もあるが、そういうパターンが多すぎる。確かにサン族の人たちは、新しい現代風の生活に慣れるのが遅かった分、貧しい生活を余儀なくされているだろう。同じモンゴロイドとして?何とかもっとがんばってほしい、と思ってしまう。

村一番のお店の前には多くの村人たちが集まる。
夕暮れ時、学校帰りの子どもたち。

頻繁に挨拶をかわす

ツムクェでは人に会えば皆挨拶しあう。私も笑顔で元気よく「ハロー」「ハロー」を続けるのだが、何だか子どもとあいさつしていることが多くなった。考えてみればあたりまえだ。ナミビアはまだピラミッド型の年齢人口構造で、子どもが圧倒的に多いのだ。

子どもたちは皆愛嬌がよい。最初は、怖いものでも見るように私を見ているが、こっちが明るく「ハロー」「ハロー」と言ってやると、彼らもにっこり笑って返してくる。

しかし、「ハロー」「ハロー」に「マネー」「マネー」と返してくる集団もあって愕然とする。カネくれ、と言うのだ。根性を徹底的に叩き直さなければだめだ、と思うが、考えてみれば、私たちの世代のちょっと上のお兄さんたちも、外国人を見れば「ギブミー・チョコレート」と言ってまわっていたのだったが。

他と共感、協調する能力

妄想の上に妄想を重ねる論で申し訳ないのだが、彼らの優しい感受性は、我ら人類をサピエンスに進化させた決定要因だったと思う。サピエンスがこれほどまで脳を巨大化させたのは、道具の使用や食物取得技術を磨くためでなく、多数の人々が集まって家族以上の社会を構成できるよう認知機能を発達させる必要があったからだと言われる。つまり、他の人が何を考え、いっしょに行動するにはどうすればいいか、他者を思う柔らかな感受性を発達させる必要があった。他者の内面を知る社会性を身につける必要があった。実はそれこそが莫大な情報処理を必要とする作業であり、そのためにこそサピエンスは巨大な脳とその複雑な回路を発達させてきたのだという。

それほど深くつきあったわけではない私だが、コイサンの人々はこの機能が優れていると思う。他者を思うウェットな感覚があふれ、その柔らかな性格が感じられる。おそらく人類は彼らが獲得したこの形質により人間たるものに進化した。彼らは最も古くからの人類であり、何万年にも渡り最大多数の民族として、この広いアフリカに君臨してきた。その意味で彼らは最初の人類であり、彼らの形質が広く人類に広まることにより、私たちは発展してくることができた。

他者と同調・共感し、ともに行動していける形質は社会の形成にとって不可欠だ。しかし、他者との関係に必要以上に流されず、つまり情におぼれず、しっかりと自我をもつことも必要だ。コイサンの人々はこの面で後れをとったかも知れない。アルコール依存に陥る人が多い。仲間との強い連帯感に入っていくのはいいが、流されすぎるのはよくない。酒を飲むのはいいが、飲まれてはいけない。彼らのウェットな感受性が、ある面でアルコール依存症につながる弱さに関連しているようにも思う。

「自我」というのがもって生まれた器質なのか、それとも社会的行動の中で陶冶されていくものなのかわからない。日本人も「自我がない」とされ、「近代的自我」の確立のため、明治以来、苦しい努力をしてきた。それで自我が発達してきただろうか。社会を崩壊させないだけの行動はとれる前進はあったのではないかと思う。他を理解し、協調する認知機能だけでなく、冷静に必要なものごとを進める自我の働きもある程度は確保してきたと思いたい。コイサンたちも、酒におぼれる人たちばかりではあるまい。何らかに、その優れた社会性をしっかりした自我とバランスをとり、自分たちを高みに進めていく今後を期待したい。