10万年前に別れたいとこ

サン族の人たち

「サン族の首都」を歩いて、サンの人たちと会う。華奢なおじさん集団や、子どもを抱えたお母さんや、元気のいい小学生たちや…。こちらを不可思議そうな顔で見ているが、笑顔で「ハロー」と声をかけると彼らもにっこり笑って手を振る。

「ハロー」と言っているが、気持ちとしては「こんにちわ」と言っている。私らと10万年前に生き別れたいとこたちだ、と思いながら言葉をかけている。サン族は、人類がアフリカを出る頃の形質をよく残した人々で、出た人たちとは別にアフリカに残った。出る必要のない主流派だったからだろう。彼らもそこでまた彼らなりの進化を遂げたが、私たちも同じだ。出アフリカ以後、北方に向きを変え、ユーラシア大陸のいわゆる「北ルート」を経て、中央アジア、北アジア、そして東アジアに到達した。その間に、寒冷適応などいろいろ進化して、今日見る極端に?モンゴロイド化した人類になった。

そこまで「極端化」しなかったが、やはり出自は争えない。コイサンとモンゴロイドは似ているところがある。アフロユーラシアの端と端にわかれ、互いに別の進化をしてきたが、会えば「いとこだったんだ」とわかる。

いや、別に、ここで新しい人類系統論を主張するつもりはない。私にはその知識も研究能力もない。ただ実感を語っている。直感と言ってもいい。「似ている」と感じる。

つまりは妄想で、人類学研究に何ほどか関わることはまったくない。だが、人は皆、自分のルーツを知りたいと思う。自分は何者かそれなりに想い、一定の考えをもって世を生きる、人に接する。科学がに真実を明らかにするまで待てばいい、それは考えないでおきましょう、などとはできない。私が何者であるか、どこから来てどこに行こうとしているのか、考えてしまう。日系か東アジア系かモンゴロイドかサピエンスか、あるいは栃木県人か60年代団塊世代か多民族グローバル社会の落とし子か。何等かに自分をとらえ、生まれ落ちた沖積世末期・絶滅寸前社会に積極的に生きていきていこうとしする。そのために、何らかの自分のルーツを振り返ってしまうのだ。

科学論文は意図しないが、科学研究は無視できない。単なる神話の上に自分の生き方をつむぎたくはない。人類学研究の成果にできるだけ基づき、少なくともそれと矛盾しないところに自分の立ち位置を持つ、持ちたい。自分のルーツ、あるいはそのアイデンティティはずっと追求し続ける課題でもある。だから科学研究の成果にもずっと目を向けざるを得ない。

古人類学から何を学べるか

古人類学の進展は目覚ましい。もともと、一つの化石が見つかって定説がひっくり返ることがよくある学問分野だが、最近は現代人を含めたゲノム解析で過去の系統、交雑を明らかにする古代DNA学が台頭し、猛威を振るっている。これまでは化石骨格の形などから進化の過程を分析する以外なかったが、60億ある人間の膨大なDNA塩基対から統計学的なコンピュータモデルを通じて過去をあぶり出し、「ハード・データ」的に過去を明らかにする手法が生まれた。

「古代DNA学」の破壊力は、例えば、デービッド・ライク『交雑する人類―古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(原著・邦訳ともに2018年、日向やよい訳、NHK出版)などを読めばよくわかるだろう。私もこれに刺激され、2020年時点で、どれほど新しい発見が生まれているか、素人なりに追ってみたこともある。しかし、2018年の体系的著書も(ましてや2020年の素人まとめも)、現時点ではすでに古くなってしまった。それほどこの「革命」の突破力は強力だ。

おそらく、専門家でも次々生まれる新知見を追いきれないのではないか。追うだけでも精一杯なのではないか。他人様の専門分野といえ、気の毒に思う。ましてや、「はい、これが人類史です」とまとまった知識を得たいだけの素人としては困惑するばかりだ。

アフロユーラシア大陸の両端で

アフロユーラシア大陸は全陸地の55%を占める広大な大陸だ。今でこそスエズ運河で切れているが、155年前までは連続した陸塊だった。この東端と南端に似た人が居る。不思議なことだ。その間に、連続的関連を示す中間形も見当たらない。どっちかがどっちかに行って混血してるんじゃないか、と言う人もいるが、それは人類学者によって明確に否定されている。

たまたまそこに蒙古ひだ(内眼角贅皮、epicanthic fold)の目つきを進化させた人たちが居たから似ているように見えるだけ、というのが定説なのだろう。しかし、「同じ」モンゴロイドとして、そんな風には思えない。釣り目をつくっただけではモンゴロイドになれない。昔、ハリウッドで東洋系を演じるとき、白人俳優を釣り目にして登場させていたが、あれは絶対東洋人ではない。もっといろんな特徴を兼ね備えないと東洋人になれない。それがわかるから、全体的な直感から私はコイサンが「近い」と思うのだろう。10万年前に別れたいとこだ、私たちは。

10万年前、人類は(ほぼ)コイサンだった

10万年前、人類と言えばほぼコイサンだった。現在コイサンはカラハリ砂漠の周辺に追い込まれ、太古からの狩猟採集生活を残存させながら南部アフリカ全体で10万人程度残るだけだ。しかし、10万年前、人類の総人口は数万人程度だった。現在のコイサン人口だけでもそのまま10万年前に存在したら巨大な人口規模だ。農耕・牧畜民化したバンツーなど周辺民族、そしてアフリカから出た我々を含むユーラシア諸民族の側が、異常な人口爆発を起こしたのだ。

すでに2014年のネイチャー研究論文が、かつてコイサンが人類の最大集団であったことを明らかにしている。「コイサンとその祖先たちは、10万年前~15万年前に他と別れて以来、最大の人口集団であり続けてきた。バンツー語話者や非アフリカ人を含む非コイサン集団が、コイサンとの分岐後、人口減少を経験し、遺伝子多様性の半分以上を失ってきたこととコントラストを成している」と結論付けている。研究者らは、6人の南部アフリカ出身者(うち2人は他との交雑のなかったサン族ジュホアン人)と世界1,448人の公開ゲノムデータを使った詳細な解析を行った上で、その結論を導き出したのだ(Hie Lim Kim, et al., “Khoisan hunter-gatherers have been the largest population throughout most of modern-human demographic history,” Nature Communications,  5, 5692, 04 December 2014)。

「コイサン集団は、全人類の中でも最高レベルの核遺伝子多様性をもち、Y染色体、ミトコンドリアDNAでも最古の系統を有している。これは、その祖先集団が他と比較して大きな有効集団であったことを意味する」と研究者らは言う。なぜ現在、小集団のコイサンの中に、最高レベルの遺伝子多様性があるのかというと、昔それは大きな集団だったからに他ならない。大きく多様性をもった集団から、そのほんの一分枝が分かれて、どこかでそれらだけで暮らすようになれば、その分枝内遺伝子多様性は小さい。6万年前、アフリカの巨大集団だったコイサン内のほんの一分枝がユーラシアに飛び出し、そこで住むようになった。ユーラシア大陸は広いが、ヨーロッパで少し進化した人類も、東アジアで少し進化した人類も、しょせんは元の大集団内の一分枝に過ぎず、同じ穴の中のむじなだ。特定方向に特化した似た者同士の人類集団に過ぎなかった。

むろん、大きな世界に出た種は、そこでの多様な環境に適応し、やがては多様な種に別れていく。遺伝子的多様性を拡大する。ユーラシアに拡大した人類もやがてはそうなっていくだろう。しかし、まだそこまで行かない。たかだか6万年前に出たばかりだからだ。

コイサン祖先とアフリカを出た非コイサン集団は、少なくとも10万年前~15万年前には(当然アフリカでだが)分岐していたとされる。コイサン祖先集団はその後も高い遺伝子多様性を維持した。これに対し非コイサン側の有効人口規模は3万年前~12万年前の間減少し続け、半分以上の遺伝子的多様性を失ったという。出先の厳しい環境で滅んだ系統も多かったろうから、そうなるは自然だ。また、上記論文からは離れるが、約7万年前~7万5000前に起こった「トバ事変」(Toba Event)の影響もあるだろう。インドネシア・スマトラ島のトバ火山が過去200万年間で地球上最大規模の噴火を起こし、地球の劇的な寒冷化を招いた。以後、最終氷河期(ヴュルム氷期)が始まるなど地球環境が大きく変化し、ホモエレクトスなどの古人類もこれで絶滅し、現生人類も一時期人口1万人以下になるなど大きな打撃を受けた。ここで、ホモサピエンスの遺伝子多様性が失われる「ボトルネック効果」が生じたとされる。ただ、この人口減少はユーラシアで顕著だったものの、アフリカ南部では限定的だった。

どんなサピエンスがアフリカを出たのか

現生人類(ホモサピエンス)は約6万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に拡散した、と言われる。その時の人類はコイサン的な人類だったのではないか。いや、現生人類の出アフリカは1回だけではなかった、という証拠も様々に出ている。2002年にイスラエルの洞穴で発見された人骨が、19万4000年前~17万7000年前の現生人類のものであることが示された。2017年には、アフリカではあるが、ヨーロッパに近いモロッコで発見された化石が約31万5000年前のホモサピエンスのものである可能性が示された。2015年10月のネイチャー誌には、中国南部の洞窟から出土した歯化石が10万年前のホモ・サピエンスのものであるとする研究が掲載されている。一般に言われている「出アフリカ」の時期のさらに4万年も前に現生人類が東アジアに到達していたことになる。

6万年前以前にもアフリカを出たかも知れないが、みんな滅んじゃったんだよ、と強弁されているが、苦しい。これだけ証拠が出てくると、6万年以前にも、あるいはそれ以後にも、多数回にわたる出アフリカの流れがあったと考えるのが普通だろう。サピエンスが「アフリカ単一起源」か「多地域進化」か議論についても、真相はおそらくその中間で、各地で別々に進化していた古人類と、新たにアフリカから来たサピエンス的な人類との「混血・同化」があったと見るのが現実的ではないか。ネアンデルタール人との混血はすでに証明されたし、ホモエレクトスその他古人類との混血が証明されるのも時間の問題のように思われる。

6万年前の単一「出アフリカ」説を採るにしても、詳細に見れば複数回の多様な流出があったはずだ。シナイ半島部を経てシリア方面に向かう陸路ルートや、より南のマンデブ海峡やアフリカの角付近からアラビア半島に向かう海渡ルートがあった。その多様な波状脱出の少なくとも一部に、コイサン系統のユーラシア移動もあっただろう。コイサン祖先は当時アフリカで最多の主流系統であったならそむしろそれが普通だ。

そしてユーラシアに入った現生人類は、インド洋、東南アジアなど南海の海沿いに東進した「南ルート」と、インド手前で大陸内部に入り、中央アジアから北アジア、東アジア方面に抜けた「北ルート」の移動経路に別れた(他に西に進んだヨーロッパ先住民たちのルートもあった)。前者はインド、東南アジアの先住民や、オーストラリアのアボリジニーに至る人々の先祖となった。そして後者の「北ルート」を取ったのがモンゴロイドの祖先たちだったと言われる。寒冷気候に適応して、扁平な顔、細い目、蒙古ひだ、短い四肢などの身体的特徴も進化させた。

*それにしても不思議だ。なぜ体毛が薄くなったのか。体毛が深い方が寒さを防げるだろうに。また、同様に寒さに適応しなければならなかったはずのコーカソイドがなぜこれらの身体的特徴を進化させなかったかも不思議だ。例えば、蒙古ひだ(内眼角贅皮)などは、寒冷への適応というより、アフリカでの強烈な直射日光を防ぐために発達させたまぶた形態だったのではないか、と私は思っている。

*モンゴロイド祖先は北ルートを通ったと一般には言われるが、それを証明する研究というのを私は特定できなかった。例えば、日本語ウィキペディアには、「モンゴロイドは出アフリカ後にイラン付近からアルタイ山脈付近に至り東アジアに拡散した「北ルート」をとった集団である。」とさらっと書いているが、その論拠となる論文は示していない。独自にネットを検索しても見つけられなかった。ま、寒冷気候に適応した人種だから北ルートだったんでしょう、という「常識」なのか。

*それともう1点面白かったのは、日本語版ウィキペディアが、比較的正面からモンゴロイドの形成と移動について論じているのに対して、英語版のウィキペディアは、そこに至らず、いかに「モンゴロイド」という概念が間違っているか、いかに人種の概念は偏見に満ちているか、を論究している点だ。確かに西洋人にとってモンゴルはヨーロッパに攻め込んできた野蛮人の代表のような存在で、人種にその名称をつけることにそもそもの偏見があったかも知れない。その意味で批判的に見る視点は評価するが、日本は事情が違うようだ。むろんモンゴルは日本にも攻めてきたのだが、我々は彼らにそこまでの悪いイメージは持っていないのではないか。義経がチンギス・カーンになったという伝説もあるくらいだし。出版物をみても、名著『モンゴロイドの道』(朝日選書)をはじめ、『モンゴロイドの地球』シリーズ(東京大学出版)、『モンゴロイドの大いなる旅』(同朋舎)など、モンゴロイドをテーマにした本は少なくない。これらはシルクルードのイメージとも重なり、むしろロマンをもって語られているのではないか。

こうして、現生人類はユーラシアに入って以後、各地で現在知られる「人種」を形成したと一般には言われる。シベリア付近の寒冷気候の中でモンゴロイドが、紫外線の薄いヨーロッパでコーカソイドが形成された、と。そういう側面はあるだろう。しかし、出アフリカの時点である程度、今日見るような人種的特徴があったと考えるのも不可能ではない。陸続とユーラシアに出て行った人々の波の中に、コイサン的な、原モンゴロイド的な一派が含まれていた(コーカソイド的な人々も居ただろう)。そうした人々がユーラシア東部の北の方で、増々現在のモンゴロイド的形質を発達させていった、と見る。

新しい発見に期待

現在の遺伝子解析による「古代DNA革命」は定説、常識を覆す様々な新知見をもたらしている。180万年前にすでにユーラシアに渡っていた原人(ホモ・エレクトス)からモンゴロイドやコーカソイドが進化してきたのだというサピエンス多地域進化説も根強い。そこまで極端でなくとも、東アジアに進出していったサピエンスがホモ・エレクトスとの交雑でモンゴロイド的になっていった、というシナリオもあり得るだろう。あるいはライクが出した仮説のように、エレクトスの時代からユーラシアが人類進化の主舞台となり、そこで生まれた比較的新しい旧人が逆にアフリカに出ていって、そこでサピエンスの先祖になった、というようなシナリオもあり得る。その場合、そのかなり古いサピエンス先祖がコイサンにつながる人だったかも知れない。何でもありだ。DNA人類学があらゆる驚くべきシナリオを暴いてくれるだろう。

系統樹モデルでは示しきれない

すでに人類進化は、原始的なヒトから高度なヒトに単線的に進むプロセスでなく、あるいは系統樹のようにもともとの幹から多様な小枝が発達するだけのでもないと主張されるようになった。多様に進化して先が途切れるのもあれば、存続してサピエンスに至る枝もある、というのでなく、異なる亜種間にかなりの交雑があってそこから新たな進化が生まれる、など複雑な様相を呈した。枝と枝が融合して再び大きな幹が形成されるなどということは通常の木では起こらない。

一方で多様な枝に進化し、他方で多様な枝間で遺伝子交換が起こり、そこからさらに新たな人類の進化がはじまる、という形で、人類史はDNA解析という強力な手段をもってしても解明に困難を極める複雑な様相を呈してきた。

「古代DNA革命」大いに結構。何でも来い。驚くべき仮説が出てくるのは大いに歓迎だ。アフロユーラシア大陸の両端にどうも似たような人々が居るようだ、というできれば無視したい不可解な事象の背後に、実は人類史定説をくつがえす驚くべき新理論が潜んでいるのかも知れない。