ザンビアからタンザニアへ タンザン鉄道直通なし 

伝説のタンザン鉄道

ザンビアからタンザニアのダルエスサラームまでタンザン鉄道が走っている(この6月18日までは直通で)。中国の援助で1976年に開通した1860キロの鉄路。大自然の中を2日2晩走り抜ける旅はアフリカの旅の中でもつとに有名だ。

私が、ツムクェ「サン族の首都」見学を終えてから、(ケープタウンに帰るのでなく)北上してナイロビまで行こうと思ったのは、ナイロビから安い帰国便があることに加え、このタンザン鉄道に乗れるのが理由だった。困難なアフリカの旅の半分近くを、寝台列車に2日2晩、寝ころがって進める、というのはありがたい、と。(直通列車なしの情報は知らなかった)。

国境をまたぐ直通列車が運行停止

週2便のタンザン鉄道国際列車は、ザンビア首都ルサカからでなく、その北150キロのカピリムポシから出る。銅資源産出の地をダルエスサラーム港と結ぶために鉄道がつくられた、という歴史が関係しているらしい。

7月9日にルサカからバスでカピリムポシに行き、翌日同鉄道の始発駅、新カピリムポシ駅で、7月11日(火)発のダルエスサラーム行きの切符を買おうとすると、

「ダルエスサラームまでの切符はありません。列車は国境のナコンデまでいくだけです。」

という衝撃の返答。そこで自分で二つの検問所で出入国手続きをし、その後また別の切符を買ってタンザニア側の鉄道に乗るのだという。ガーン。2日2晩、寝台列車に寝たまま移動、の期待はついえた。そんなの聞いてない、いつ変わったんだ。「ごく最近です、マネジメントの決定です」との答え。まあ、駅員に抗議してもしかたがないが。

結局、後述の通り、国境通過後の鉄道の接続も悪く、そこに1泊し、さらに鉄道をあきらめてバスでダルエスサラームに行くことになる。面倒な旅になったのだが、しかし、これがアフリカの旅だ。どんなことにも適応しなければ、と気持ちを何とか切り替えた。

注意喚起! これは大ニュースのはずだが

ウェブ上には、タンザン鉄道(Tanzam Railway、またはTazara Railway)の旅の素晴らしさを記した記事がごまんと載っている。その直通列車が停止されたのだから、これは大ニュースのはずだ。しかしその情報はまず見当たらない。何しろ鉄道運営体Tanzania-Zambia Railway Authority (TAZARA)の公式ウェブページがそれを書いてないのだ。一番最新のTAZARA公式ニュースは、この4月1日から崖崩れで運休していた同鉄道が5月25日から再開しますという案内があるだけ。タンザン鉄道に関する情報で最も充実していると思われる第三者によるアフリカの鉄道旅行サイト「The Man in Seat 61」もこの大事件については言及がない。

しかし、後で徹底的に調べると下記サイトにニュースが出ていることがわかった。

travelnews.africa, June 14, 2024
Transport & Logistics Zambia, June 17, 2024

最初の簡単な速報は、中国の新華社通信が出したようであるところがすごい。タンザン鉄道は中国の援助によってつくられた鉄道だ。

これらニュースによると、要するに、諸般の困難により国境を越える直通運行ができなくなり、6月18日から「次に発表があるまで」、ザンビア側もタンザニア側も国境近くの街までの折り返し運転をする、とTAZARAが13日に発表した、ということのようだ。

大いに注意喚起しておかねばならない。タンザン鉄道はオンライン予約ができず、駅でその日に切符を買う。だから、現地に来て初めて直通なしの情報を聞いてびっくりする、という形になる可能性がある。

これまでは、出入国審査も、走行中の列車に係員が入ってきて済ませてくれるという楽なものだったらしい。しかし、これからは自分で2カ所の検問所に行き、スタンプを押してもらわなければならない。しかも、国境ですぐタンザニア側の列車が待っているわけでなく、80キロ離れたムベヤという大きな街までバスなどで移動しないと鉄道には乗れない。

ルサカからダルエスサラームまでの行程図。太い赤線がタンザン鉄道に乗った部分。他はバス。Map: OpenStreetMap

まずバスでカピリムポシへ

衝撃ではあったものの、とりあえずは旅の様子をごゆるりと説明する他ない。前述通り、タンザン鉄道に乗るには、まず首都ルサカから北に150キロのカプリムポシに行く。ルサカからバスが1時間おき程度に出ていた。

7月7日、ルサカのバス・ターミナル(写真)からカピリムポシ行きのバスに乗る。バスターミナルは、鉄道駅と違って、非常ににぎわっている。市場的雰囲気もある。
カピリムポシへの途中は相変わらずサバンナだが、平野部には農地も開ける。
大規模な企業型農業も見られた。
カプリムポシのバスターミナルに着いた。街の中心部、市場や鉄道駅の近くにある。
鉄道駅は。にぎわっていると言うべきかにぎわってないと言うべきか。列車がほとんど来ないので市場になってにぎわっている。タンザン鉄道が出るのは、この旧駅ではなく、北東に1.5キロ行った郊外にある新駅なので間違いなきよう。
カピリムポシで入った宿「カピリ・カウンシル・ロッジ」。評議会ロッジの意味だが、自治体の運営する公営宿だ。ツムクェでもこういうところに入り安かったので、同名称の宿があれば迷わずそこに入ることにしている。booking.comなど予約サイトには出ていない。確か2000円程度で安かったと思う。設備上は特に問題はなかった。

カピリムポシからタンザン鉄道に乗る

タンザン鉄道の出る新カピリムポシ駅。街中心部から北東1.5キロの郊外にあり、周囲に店などはない。食料など買うべきものは街の中心部で。ATMもない。街中にもクレジットカードの使えるATMはあまりない。切符は現金でしか買えないので困ることになるかも知れない。街の幹線道路のやや南の方、Shopriteスーパーの3軒先くらいのTotalガソリンスタンドの奥に3台のATMがある。上記、カウンシル・ロッジにも近い。
駅の構内。列車はここのホームに着く。出発は14:00だが、やることもないので10時頃には来て、待合室で読書。
1等の乗客にはこのような立派な待合室がある。1等も2等も料金にあまり変わりがないので、1等寝台の切符を買った。切符は現地でその日にしか買えない。当日しか買えなくとも、少なくとも1等は売り切れになることはないようだ。運賃は、正確に控えておかなかったが、ウェブページによると、国境のナコンデまで417クワチャ(約2500円)。確かにその程度だった。写真中、座席に座っているのは駅でいっしょになった中国人のX君。タンザニアの地方都市に行き、友人のコンビニ店を手伝うという。観光というより出稼ぎのようだ。
出発時間の午後2時頃列車が入ってきて、乗車した。出発まで何時間も待たされるのを覚悟していたが、意外にも20分程度遅れのみで出発した。タンザン鉄道長距離列車には普通列車のキリマンジャロ号と特急列車のムカバ号があるが、私の乗った火曜日発の列車は前者のようだった。切符にordinary trainと書いてあった。以前は特急が火曜日発で、普通が金曜日発だったはずだが、変わったのだろう。「特急」は2016年に導入された豪華な列車だが、「普通」は以前からもの。しかし、スピードはあまり変わらず、スケジュール上、2日2晩の旅で5時間の違いがあるだけだ。
1等寝台車は4人が入るコンパートメントになっている。私は上のベッド。写真は上からドアの方向を撮ったもの。隣の上のベッドには同じくダルエスサラームにまで行くザンビア人のY君が居て、以後、その他のダルエス組を含めて行動をともにすることになる。ビジネスコンサルタントで講演などをして回っているという。なるほど知的で繊細な感じのお兄さんだ。
食堂車。
1等寝台車の廊下。壁の赤い四角は中国の国旗で、その下に「China Aid 中華人民共和国援助」と書いてある。中国製ということだ。
車窓の風景はまたしてもサバンナ。南アから旅してきてずっとサバンナだったように思う。木の少ない砂漠的なサバンナ、少し木が多いウッドランド的なサバンナと、わずかな違いはある。
同上。
北に進むにつれて森に近いサバンナ景観も現れるようになる。場所によっても植生の状態はかなり違う。
同上。
ザンビア北部地方の村。
列車が駅に停まると、食べ者などを売る人たち、見物の人たちが多数寄ってくる。駅構内 にはだれでも入れる(欧米も含めて諸外国の鉄道駅はそういう所が多い)。1等車両の方は客が少ないので2等車両の方に売り子がたくさん群がる。
同上。
1日目、7月9日の日が暮れる。
翌7月10日の朝となった。大きな駅で長時間停まった。Kasamaだったのではないかと思う。「笠間」と同じだなあ、などと思った。
反対方向に進む列車も停まっていた。何とロボス・レールではないか。世界最高級の鉄道ツアーを運行する南アの会社。最低でも数百万円するケープタウンからダルエスサラームまで16日の鉄道旅行事業を行っているはず。こんなツアーが実際にあるのかと疑うような鉄道の旅だが、確かにここに実在している以上、信じるしかない。
これはその食堂車らしいが、確かにちらっと見ただけでも我々の列車よりかなり高級だ。純白のテーブルクロスの上にワイングラスが見える。こんな旅行がしたいって人が、まあ、居るのか。
引き続きザンビア北部の景観。サバンナの中にザンビアの村。
木が多めになったサバンナ。正直言ってだんだん飽きてきた。どこまで行っても同じような景観が続く。(ただし、今回は乗らなかったが、タンザニア側の眺望は変化に富み、山岳・平原眺望が開け、野生動物も見られて素晴らしいと言われる。)

タンザニア国境 午前に着くはずが、夜到着

国境の終着駅ナコンデには朝9時頃着く予定だったが、夜8時頃着いた。あらゆる遅延、想定外に覚悟はできているものの、すでに暗い。だが、そこは鉄道旅行のいいところ、仲間ができている。

1昼夜コンパートメントの寝台列車に乗っていると乗客間の親交も自然と深まる。ダルエスサラームなど国境を越えて行く者たち5,6人がいっしょに行動するようになっていた。私は通常は団体行動を極力避けるタチだが、こういう場合は心強い。事情に詳しいザンビア人たちの先導に頼ることにする。

駅の出国管理事務所で手続き。次いで数百メートル歩いてタンザニア側の入国管理事務所で手続き。何やらよくわからないが、この両検問所間にも多くの民家があり、人々が右往左往していた。たどり着いた検問所は、幹線道路(ザンビア側T2、タンザニア側A104)の方の出入国管理事務所のようだった。これまでの通常の鉄道国境越えでは来ることのない場所だろう。

通過ビザ問題なし

タンザニア入国には少し気をもんでいた。100米ドルの観光Eビザを避けて、陸路モンバサに抜ける30米ドルのトランジット(通過)Eビザをオンライン申請していた。これが認められるかどうか(詳しくは別稿参照)。しかも申請から1週間たっても結果が来ない段階で、見切り発車的にタンザン鉄道に乗っていた。

結局、列車に乗ってから、まさに国境を通過する当日の昼頃、メールでビザが送られてきた。ホッとした。少なくとも料金二重払いでアライバルビザを取得させられる危険は回避できるだろう。入国予定日に合わせてぎりぎりに発給したのか、と思うようなタイミングだった。(いや、列車が10時間も遅れたから間に合ったものの、予定通り午前中に国境に着いていたら間に合わなかった。)

タンザニア入国管理事務所でも、陸路の通過ビザに何もクレームがなかった。4日で通過する申請をしたので、4日間滞在のビザが出るのかと思ったが、通過ビザの最長期間7日間滞在のスタンプが押された。(実際、アフリカの交通機関は遅延に次ぐ遅延だから、予定通りの滞在日数では困ることになる)。

また、本来は、発給されたEビザをプリントアウトして持って来なければならないのだが、この場合その余裕がなかった。係官は私のEビザを彼らのパソコンに転送してプリントアウトし、それに私の署名を入れさせる、という手続きを踏んだ。

無事完了。山場を越えた、と思った。グループ内で私だけ取り残されるか、と案じていたが、全くスムーズで、逆にグループの他のメンバーが黄熱病予防接種の証明がなくて、時間を取られたりしていた。

翌朝、ダル行きバスに乗ることに

夜遅く入国検問所から解放され、タンザニア側の街トゥンドゥマに放り出される(ザンビア側ンコンデとタンザニア側トゥンドゥマは隣接した同一都市と言ってもよい街)。そこからバスで150キロ離れたムベヤまで行って、ダルエスサラーム行きの列車に乗るのだが、もう遅くなってしまったようだ。次の列車はいつだ、ここからダルエスサラームまでの直通バスもあるというぞ、など情報収集とけんけんがくの議論。まあ、ここは事情通の方々に任せる。訳のわからぬ者が口出ししても混乱するだけなので、私は議論に加わらない。

結論。今夜はこのトゥンドゥマの街に泊り、翌朝5時のダルエスサラーム行きの直通バスに乗る。OK、異議なし。近くの安宿ツイン部屋に2人ずつ泊る。翌日3時起きして近くのバス発着所へ。何でこんなに早く行く、とも思ったが、まあよい。ダルエスに行けさえすればよいのだ。

バス発着所に未明に来て、相当待った。タンザニアと言っても朝方は寒い。待合室で火を焚いて温まる人も。私は外を歩いて体を動かした。
このバス会社はNew Force Busという。中国語で「新動力客運」とも書いてあり、明らかに中国系だ。ウェブで調べると、タンザニアの主要バス会社の一つで、中国資本が入っているという。バスも真新しい中通客車(Zhongtong Bus)製のものを使っている。
バスの中。
明るくなってくると、窓の外には再びサバンナの風景。
しかし、街・村には、ときどきモスクも顔を出す。タンザニアは人口の34%がイスラム教徒だ。タンザニアはインド洋に開け、「インド洋交易圏」を通じてイスラム商人からの影響が大きかった。これまで旅したザンビア以南の国々が8割以上クリスチャンであるのと対照的だ。
建築もイスラム文化の影響なのか、屋根が急傾斜の民家が多い。富める者の家ほど鋭角的になっている印象。集落地には農地もかなり広がる。

 

同上。
大規模な企業型植林地域も見た。
特定地区が一斉に伐採され、木材の「収穫」が行われるのだろう。
バスが街に着くと、ものを売ろうとする村人たちが一斉に寄ってくる。バスは、人々の住む地域を走るので、窓外の風景も興味深い。鉄道は駅のあるところ以外、自然の中を走るので、風景に飽きが出てくる。
同上。
バスはやがて山岳地帯に入っていく。アフリカ東部には大陸を南北7000キロにわたって縦断する大地溝帯(グレート・リフト・バレー)があり、その周囲に大山脈や渓谷、湖沼が形成されている。キリマンジャロなども含まれるその東側分枝、東リフト・バレーはタンザニア東部を通る。ただしこの辺では標高2000メートル台の山脈(ルベホ山地など)が形成されるだけ。
バオバブの木が目に付くようになった。
バオバブの木は分散してはえるだけで群生はしないものと思っていたが、この辺ではかなり群生もしている。
同上。
大ルアハ川を渡る。大ルアハ川は、タンザニアの最大河川ルフィジ川(全長600キロ、流域面積18万平方キロ)の主要支流だ。その支流部分だけで長さ475キロある。西部高原に発し、地溝帯山脈を切り裂いて東流し、ルフィジ川となってインド洋に注ぐ。
大ルアハ川の流れ。山岳地帯に入ってきたからだろう、インド洋からの湿気で雨量も多いと見られる。山河の風景にどこか日本とも似たところがある。サバンナ地帯とは異なる。
山地帯を走ると、密集した植生にバナナの木などを配する風景が見られ、前に旅したラオスの景観を彷彿させる。
高原の街ミクミの街並み。
ミクミの郊外からはじまるミクミ国立公園にはキリンなど豊富な野生動物の姿が見られた。詳しくは別稿。バスが国立公園に沿って走るとは意外だった。
バスがに東部主要都市モロゴロ(人口50万)に近づくころ、右手にウルグル山脈(最高標高2630メートル)が見え始めた。女性の力が強く土地が女系相続される興味深い部族、ワルグル族の人々が住む山岳地帯だ。この辺で暗くなってきた。写真の限界。

真夜中にダルエスサラームに着く

終着のダルエスサラームに着いたのは午後11時頃になっていた。人口500万のアフリカ第5の大都市(東アフリカ最大)で、犯罪も多いので気をつけるようにとのアドバイスも見る。しかし、市中心部の宿を予約していた。グーグルマップを頼りに行けば、真夜中でも歩いていけぞ、と意気込んでいた。しかし、ニューフォースのバスは、市中心部から10キロ近く離れた郊外が終点だった。これは困るよ。鉄道が発達し競争力をもつ国ではこんなことはあり得ない(鉄道駅はだいたい街の中心部にある)。

さて、困ったぞ、どうしようか、と案じる間もなく、タンザン鉄道以来の仲間グループの一人、Z君が、俺たちの三輪タクシーに乗れよ、と助け船を出してくれた。ガーナ人だがダルエスサラームの親戚(恋人?)の方が三輪タクシーで迎えに来てくれていた。

ありがたやありがたや、三輪タクシーは予約ホテルのすぐ前まで行ってくれて、無事チェックイン。Z君から名前と連絡先電話番号をもらっていたのに、見つからない。心からの感謝をこのブログを通じて送る。